BLOG

41回目の11月15日を無事迎えた。全世界の41回目の誕生日を迎えたミュージシャンの8人に1人は思うであろう「ジョン・レノンより長生きすることになったんだなあ」をやはり感慨深くしみじみと独り言の如く呟きながら高崎線最終電車で家路に着いた。

家に帰るとヨメ・トキーが僕がジョン・レノンより長生きしたこととヨメ・トキー自身に訪れた2つの喜ばしい出来事を祝する為の深夜の小晩餐を用意してくれた。

アクアパッツァという響きだけで地中海に浮かべた船の上にいるような気分になった。それは空腹に流し込んだ白ワインの功績でもあった。


16日午前7時。小鳥のさえずりのアラームで目を覚ます。風呂に入り月一のハートクリニックへ行く。再発した心房細動がなかなか治らず、先月から薬を増やしてのこの日、心電図の結果は変わらず。カテーテルアブレーション手術を以前より強めに薦められて少し凹む。


この日はヨメ・トキーが僕の誕生日を祝して1日フルコースツアーを企ててくれた。

行き先知れず、車でまず向かった先は前橋のmom's cakeというところであった。厳選された穀物と野菜果実とマクロビオティックという概念を味わった(気になった)。僕が最も惹かれたのは店主の方の言葉遣いと声のトーンであった。穏やかかつ丁寧でありそれでいてフランクな口調になんとも言えない好意を抱いた。また髪に白く小さな埃のようなものが付いていたのだけど、付いている方がこの方にとっては自然な気がしたし、ずっと付いていて欲しかった。


「穀物(白米は穀物じゃない)をしっかり食べること(自分の体にあった調理法で)、ちゃんとした塩を上手に使うことが大事。」と仰られていた眼差しには穏やかな佇まいの奥底にある強い信念のようなものを感じた。


車は山に向かって走っていた。ばっちりキマった紅葉樹林と枯れ散った樹林の合間をくねくねと登り7降り3くらいの割合で駆け抜け着いた先は榛名神社であった。

初めて訪れた榛名神社に僕は自分でもびっくりするくらいグッと来てしまった。本殿までの道中の自然の産物が悉く素晴らしく、空気の澄み具合は季節によるものなのか年中そうなのかは榛名神社ヴァージンなのでわからないが、視界が圧倒的にクリアで景色を眺めてもよし、吸ってもよし、温度もよしの三拍子揃いであった。そして登る事15分辿り着いた本殿周りは本社が補修の真っ最中でまさかの原寸大の写真の防音シートで包まれており、二人で「最後、写真!!?」となったが、拝殿の方は立体的な建造物のままであったので事なきを得た。

先日、ヨメ・トキーは一人で思い立ち秩父の三峰神社の奥の院に行った時になんらかの凄まじいパワーに手がビリビリしたらしいが、ここでも三峰ほどではなかったがビリビリ来ており、彼女の手を触るととても温かくそういうパワーを感じる兆しのない自分はとても羨ましかった。


次に向かった先は榛名富士であった。当初、登りは歩いて帰りロープウエイ降りてくるというプランだったようだが、榛名神社に時間を取られ、いや時間を預けさしてもらったので、巻きが入り登りもロープウエイで。

山頂の榛名富士神社でもお参りを。先程はとはうって変わり寒く、関東平野を一望出来ることもあるらしいが、視界もほど悪く、近しい山々の形が日本昔話の山のようだなと思ったぐらいしか特筆することはなかった。


山を降ると急に道が混み始め、程なくして伊香保温泉郷に。今朝風呂に入ったので温泉はスルーかと思っていたのであるが、榛名富士登山でかく予定だった汗を温泉で流すプランであったようだ。

がしかし伊香保は予想以上に混雑しており、お目当の温泉に行く為に停める予定の駐車場が待ちの長蛇の列。このままではディナーの予約に間に合わないというヨメ・トキーの判断で諦め、山から街へ向けて車を走らせる。にしたら時間が余る、せめて何処かで足湯でもと検索すること2分。都合良き足湯スポットが道の駅 よしおか温泉という所にあり。程なくして到着してさあ入ろうかと行ってみると8脚ほどしか浸けれない程のスペースに大学生くらいのカップルがL字に仲睦まじく2脚づつ浸け合っており、そこに変な夫婦の4脚を追加するのは愚行極まりないことであると阿吽の目配せで直ぐさまよしおか温泉の本風呂に入ることに切り替えた。この英断により、浸かった温泉の気持ち良さは格別であった。


そして温泉から走ること10分。この日のラストプランとして訪れたのはVegan Restaurant あわたまというところであった。Tannoyの古く馬鹿でかいスピーカーが2台隙間なく並べてありそこから古いジャズ音楽が流れていた隣の棚には沢山のレコードが並んでいた。もちろんレコードプレーヤーもあったがそのプレーヤーの上に置かれたiPhoneのイヤホンジャックからアンプに繋がれていた。

お料理は総じて美味いといういうよりも不自由で楽しい味であった。これはこのWEBのトップページに書いてある、"Get unfree oneday - 不自由が心地良く不自由を自由に楽しめる人に幸が灯り、そしてその灯は誰も消すことができない。"という僕の最近の考えにも通づるところがこのお店には詰まっているように勝手に感じて嬉しく楽しくなっていた。

これらの料理はまずヴィーガンという縛りがあり、更にオーガニック食材という縛りがあり、季節という縛りがあり、時間という縛りがあることを心地良いと感じている店主が自由に楽しみながら作っている料理群であったように感じた。砂糖なんか当然全く使ってないのに前菜からデザートまで(スープ料理の写真撮り忘れた)後味が全てほんのり甘いのは店主の幸の味ではないだろうか。不思議なくらい酸味や辛味のない料理ばかりだったので正直こんなに全部甘くなくてもとは流石に舌目線では思ったが、、、。

帰り際にスピーカーに耳を傾けるとレコードノイズがしていて、iPhoneで流してるのにプチプチ鳴ってるのはスピーカーが古いからかなと思ったら、レコードの音を録音したのを流しているとのことであった。店主さんはジャマイカの音楽(特にレゲエ以前の古いレコード)しか聴かないしヴィーガンになったきっかけもジャマイカという意外な経緯にしばらく話込んでしまったくらい面白い方であった。

そんなこんなで楽しいヨメ・トキーツアーは甘味に包まれながら幕を閉じた。


トキロックが本当に元気になってきて一年前じゃ考えられなかった一年後を過ごせたことが嬉しくてつらつらだらだらと長くなってしまったが、その喜びを書き留めて置きたくなったのでそこは抗うことなく、今は。


gigadylan


この数年の個人的なアクシデントをきっかけに色々沢山の気づきを得た事で視野がVRレベルになり、捻くれた性格や素直に伝えれない文脈を多用する辺りは中々変わらないが、考え方や暮らし方は大きく変わって来ているように思う。

とにかく僕を含め多くの人は有るものに慣れ、無いものに憧れ、有る事を忘れ、不満や不安を募らせる事で経済を発展させてきたと言っても過言では無い側面が多大にあり、経済の発展が滞こおるべくして滞り続けてる今(まだ発展させようと資本主義に基づいた恐怖を煽り試行錯誤している人達を非難することはないしマネーゲームでワイワイやるのも一時的には楽しいとも思うが、その過ちに気付いたり感じたりしている人達をどうか巻き込まないでおくれとは思ってしまう。)

有るものに慣れ、無いものに憧れ、有る事を知った上で追い求めながら安心して楽しく暮らせば良いだけではないかと今の僕は思う訳で、実際に食べるものも日々大量に捨てるほどにこの国にはあるし、住めるのに住んでいない家も困るほどにあり、助けれるのに助けるのに手間を要するシステムが蔓延してることに気づいてる人達は子供の頃教え込まれたことを棚に上げ、楽しく暮らすことにエネルギーを注ぐべきである。

こんな話を母にすると、この子大丈夫か?頭おかしくなってしまったんか的な会話になるが、要はお金がないと生きていけないと思っている人達にとってお金がなくても楽しく幸せに生きていかれる事は脅威であり、安倍政権はじめ企業やテレビにしてみたらある意味反社会勢力かもしれないなんてことを思ったりもしているが、革命的なことに興味はなく穏やかに共鳴し合う人達が焦らずゆっくり各々の心地良さを大事にすれば、僕が年老いた頃には違った景色が見れるような気がしている。もし思ってたのと全然違う未来になったら気のせいだったで大体のことは片付ければいいし、その頃には僕の気の方も変わっているでしょう。(老人というカテゴリーに配属されるまで生きていればの話であるが)





時折、瞑想の真似事みたいなことをしてみている。自然に包まれ気持ちいいなと感じたいなと思って山に行ったりしている。目を瞑り、川のせせらぎや、小鳥のさえずり、風の音を聴きながら、呼吸に集中しようとする。そして心置きなく屁をこいたりする。ビール呑みたいななんて思ったりもする。もちろんエロいことが浮かんだりもする。こんなことしてる場合じゃないなと思ったりもする。何やってるんだろ?と思ったりもする。可笑しくなってきて笑いを堪えたりもする。

そしてそれなりの時間が過ぎたと感じた時、ふっと立ち上がって。

来る前と寸分変わらぬ自分の内心を捕らえ、


得るものはなかったが失うものもなかった。

これが無というもの なのか


と帰路についたりもしている。



gigadylan







先週の話。

避難指示は出ていた。いつでも避難出来るよう準備もしていた。

けど、僕らは避難所には行かなかった。

結果、今回は大丈夫だった、僕らは。


利根川から数百メートルの所に我が家はある。

前日からやらないよりはマシだろう程度物理的な備えを施し、自然に対しての万全はないとある種の諦めを持つことで自然に敬意を払っている気になることも悪くないだろう。"もっとこうしておけば良かった"は起こってしまった後には付きものであり、付きまとわれないように諦めきれないものを極限まで減らして置くのがこういった場合の備えとしては最適であろう。

当日、裏の水路は早々に雨水に覆われネギ畑は水田に様変わり。

利根川が氾濫したら間違いなく1階部分は浸水することは覚悟した。それでも2階までは大丈夫だろう注意報を自分内発令し、一階に置いてあるアンプ等の機材を浸水に備え移動。

平屋住まいのご近所さんには何か合ったら遠慮なく家に来て下さいと連絡。僕らに限らずここの地区の多くの人が避難所には行ってないようだった。理由は大きく2つあると思う。指定された避難所がとても遠い所にあり、夜で見通しも悪く小さな川も渡ったりしないといけない中、そこまで行く方が危ないのではないかということ。そしてもう一つは利根川の氾濫や決壊を経験したことがなく、ここは大丈夫だろうという過信を誰もが持っているということ。

守る側、助ける側の立場の人達も同じ人である。ミスもあるし限界もある。天災と人災を結びつけるような声や報道は個人的には耳を塞ぎたくなる。あらかじめ凄い台風が来ると教えられていただけでもありがたく、あとは個々に支え励まし助け合うしかなと思ってしまっている僕はただの楽観理想主義者なのだろうか、、、。

助け合いに終わりはなく、災害の被害の大小に関わらず、自国、他国に関わらず、常に助けを求めてる人達がいるのは紛れもなく現実で自分に出来る範囲でそういった現実から目を背けない生き方をしたいなと思う次第である。多くの人が恐らく自分の微力さに無駄骨感を感じることもあるかもしれないけど、変に一個人に大きな力があり過ぎるとおかしなことになることもなきにしもあらず、助け合うという空気感の一部となる人達多めの社会になればいいなと思いながらこれを書いていることもまた微力ながらの一部になっていれば。


自分の中には世間的にも自分的にも不謹慎だと感じ取れなくもない感覚がある。とんでもない台風が間違いなく来ていて、自分も含め多くの人が恐怖や危険に晒されているにも関わらず、非日常な状況や未体験の何かにワクワクしてしまっている自分がいたことは認めなければいけない。その感覚に流され、命を落とす可能性を高める行動に出ないことを心掛けないといけないと自分に言い聞かせるくらいそれははっきりととした感覚である。これは今に始まった事ではないが大人になるとこの感覚が経験と共に薄れていくかとも思ったが、どうやらそうでもなくその行動が元で迷惑をかけてしまうかもしれない人間関係(妻を筆頭に)が増えたことでセーブすることを覚えただけかもしれない。

僕には危ないとわかっていながら土手などに行って携帯で映像を撮ったりしてる(それで流されたら自業自得の極み)人達の気持ちが実のところ理解できる。

悟空が強い敵にワクワクしても成り立つのはドラゴンボールがあっての話ということを肝に命じて置かなければいけないのがドラゴンボールがない世界の宿命であるなとつくづく思ったりしている。


絶対に崩れてると思っていた玄関の積み石が何事もなかったのようにあったりもして。


何でもかんでも予測想定出来るなんて思ってはいけない、文字の自動予測変換でさえ、出てきて欲しい文字が全く出てきてくれないことも多々あるんのだから。



gigadylan




母の実家が瀬戸内海に浮かぶ弓削島というところにある。しまなみ海道にはぎりぎり属しておらず、因島からフェリーに乗って数分の島である。子供の頃は事あるごとに遊びに行ったが、思春期とバンドに夢中だった20年くらいは足が遠のいていた。お爺ちゃんとお婆ちゃん、母の妹さんが亡くなってからは島に会いに行く人もおらず、何年か前の正月にお墓参りに一度行ったきりであった。誰も住んでおらず、お隣さんだったキヨちゃんに管理してもらってる家と小さな畑だけが残っている。(もしかしたら、爺ちゃんが持っていた山とかもあるのかもしれないが遺産相続の時、田舎特有の揉め事が勃発して裁判だのなんだので大変だったようで実際のところどうなってるのか僕は知らない。)

今年の盆に母が連れて行って欲しいという事で久しぶりに行く予定であったのだが、母が体調を崩し

行けず、仕切り直して大阪のライブついでに母とトキロックと弟とソラ(犬)と行くことした。今回の目的の一つに実は将来の移住の候補地としてどうかな?という思いもあった。もちろん過疎が進んで行く一方ではある島ではあるのだが、移住者も多く、気候もいいし、災害も少ない印象なので自分が描く暮らしをしていく環境としては周りの人達と人間関係さえ築ければ悪くないなと思っての事だった。

実際に行ってみると、もっとも惹かれたのは海であった。


子供の頃行っていた時はまだ因島の造船業も盛んで工業廃水も生活廃水も垂れ流しだったので、汚くて泳げないというほどではなかったが、綺麗という印象はなかった。時代の変化と人々の環境保全への意識の高まりを経て今はびっくりするくらい水が綺麗で意味もなく"ぶわさあああぁぁぁーーーーん"と飛び込みたくなる仕様になっていた。そして残暑が本暑に引けを取らないレベルだったおかげで淀みなく飛び込めたのは幸中の更なる幸いであった。今まで怖くて身を任せて海に浮かぶという事が出来なかったのだが、シチュエーションとライブをやり終えた安堵感ががっちり手を繋ぎ、万物にありがとうーーー!という思いで海に身を任せ浮かぶ事に成功した事はこの夏のすこぶる良い思い出となった。

それ他にはお墓参りや実家を軽く掃除したり、気になってた島カフェでランチ。ここの女主人は母の同窓生らしく、しまの会社をやってる方なのだが、移住の話をすると"なめたらあかんで"的なジャブトークを喰らわされ、なめてはないが久々に強い女性を前にして少々たじろいだりした。母は久々にあったにも関わらずあまり話をしていなかったので、学生時代仲悪かったのだろうかと深読みしてしまったりもした。あともう一つ気になっていたパン工房、『Kitchen313Kamiyuge』さんにも行ったのだが、オーブン故障の為生憎その日は閉まっていた、残念。


神戸に帰省すると必ず父には会いに行く。

6月に帰った時はまだ一緒に歩けて、カメラを向けると反射的にピースしていたが、

今はもう僕のことが誰なのかもわからなくなっているように見える。それは認知症の疑いを感じた数年前に抗うことを望まなかった、ある意味父の望みでもあるわけで、日に日に血の繋がりよりも目の前に現れる誰だかわからない人の温かさや冷たさが全てであり、人類皆家族になり得てると捉えれば僕の思想からすると願ったり叶ったりでもある。それでも、今の父の姿を見て涙が出てしまったりするのは、きっと"北の国から"とか見て涙を流してきてしまった自分のルーツの名残なのだろう。

これからの時代は色んな見方を味方につけて、昭和の親が描いたあるべき長男の在り方には性格上、応えられそうにはないが、応えられないなりの親孝行を模索はしようと思う。納得してもらえるかどうかはまた別の話かもしれないが何にしても、言葉にならない"ありがとう"によって互いに生かされている事だけ分かり合えれば、浮かばれることもあるだろう。というか、ありますように。


gigadylan 


覚えてることと言えば、手が震えるほど緊張しながら演奏し始めたこと、かつてなくよく喋ったこと、トキロックのベースの音がやけに良かったことくらいである。

2週間前の午後7時過ぎ。僕とトキロックは1年9ヶ月ぶりにmothercoatとして大阪は扇町Para-diceのステージに立っていた(正確には椅子に座っていた)。この日の目的はその時点ですでに達成されていた。僕らは約束の時間にそこにいれた。出来れば上手な演奏をしたいであるとか、お客さんが楽しんで帰ってくれたらいいなであるとかは、ただの欲であり今の僕にとっては目的ではなかった。それでも異常なほど緊張していたのは、僕が今だに欲深いからであった。


setlist

1.apple

2.安住の地

3.wednesday

4.clamcalm (New)

5.apollo (New)

6.paradise (New)


終演後、久々に会に来てくれた皆が優しく、おおいに甘えた。関西の人達だけでなく北海道や関東の方からもわざわざ観に来てくれた方もいたりして溜まりに溜まっていた"ありがとう"に更に当日追加された"ありがとう"が加わり、還元なき尽くされ三昧、ただただ感謝する感謝祭であった。

元メンバーのジュンペイも東京から仕事終わりでわざわざ来てくれた。あまり話は出来なかったが久々に顔を見れて嬉し恥ずかし夜行バス帰りであった。

Number girlの大阪公演終わりで駆けつけてくれたお馴染みの顔々も僕のお酒をより美味しくしてくれ、そのまま朝まで打ち上がった。


yohiacoさんとNeeUのヤスイさんが友達で西荻窪でカリーバーをやっているシューベルと繋がっていて、シューベルの話で盛り上がった。

かつてスタッフだったtsumacoの念によって集められた、初顔合わせの3アーティストによる奇怪なイベントは僕目線では大成功で幕を閉じた。tsumacoの全身全霊に感謝である。ありがとう!!!!

tsumacoはこのイベントをやると決めた時、これ私の生前葬ですからと言っていたが、終わったら次は生誕祭やりましょうと言っていた。もはやアラブの石油王族の発想であるが、皆、今と近しい未来を楽しむ為に生きるべきである。

予期せぬ事態や予期していても備えきれない出来事が起こったら遠慮がちにでも大袈裟にでも助けを求め、自分も他人も責める事なくその場とその時を精一杯あれれば、報われようが報われなかろうが、後悔は少なめになるような気がしています。


mothercoatの今後のこと、謙虚に妄想しています。またその事は今度。



gigadylan

やりたいこともやらなければいけないことも解っていても心と体がそこに向かわなかったり、追いつけなかったりしている。

その間、何をしているかというと常にそこに向かう為の気分を待っている訳である。

その待ち時間に生活費を稼いだり、本を読んでみたり、映画や動画を観たり、Facebookで友達の動向を気にしてみたり、散歩してみたり、カフェに行ってみたり、瞑想の真似事をしてみたり、哲学的な思考に耽ってみたり、政治にあーだこーだ言ってみたくなったり、日曜日に訪れるエホバの王国の方の話に耳を傾けたり、木を切ったり、雑草を抜いたり、草木に水をやったり、性欲の赴くままに慰めてみたり、人間ドックへ行ってみたり、急に思い立ち料理してみたり、掃除してみたり、障子を張り替えてみたり、ただただビールを飲んでダラダラしてみたり、とにかく寝たり、ひたすら寝たり、異様に寝たり、そんな自分を不安視してみたりしている。

40歳になったらこんなに眠れるものかというくらい僕はよく眠っている。トキロックも僕に引けを取らないくらい眠っている。このペースで行くと還暦を迎える頃にはコアラに引けをとらいないくらい眠れる気がしているくらいである。

余談中の余談ではあるが、子供の頃は寝るのが勿体無いと思っていた。小学校高学年の頃、門限的なものはあったが、朝早く出て行く事には両親共にお咎めなしである事に気づいた僕は朝練と称して4時くらいから友達を集めて球遊びをしていた時期があった。もちろん、最初は面白がって集まってくれたが徐々にもう少し寝たいという全うな理由で徐々に集まる人数が減り、最終的に一人でボールを蹴る事に虚しさを覚え終了したが眠るくらいなら遊んでいたかった。それが今や遊びたくてもとにかくすぐ疲れて眠ってしまう。せっかく夜遊びしても咎められない年頃になったのに、いやはやなんとも皮肉なものである。

それはさて置き「待っていても自然になんかやってこないよ」という囁きが聞こえてこなくもないが、待てば暮らせば時折はやって来るもので今週末、扇町パラダイスではその時折を何とかかんとか組み合わせた一つのカタチを楽しんで貰えたらなと思っています。台風が少し心配なので、皆さん自然には逆らわず、命大事にでお願いします。

待てば暮らせば、色々と崩れてしまっていたものたちも新しい要素を含みながら修復されていくもんだなと実感しています。今は歌いたいことより話したいことの方が多くもあり、当日、気づけばトークショーになっていたという事もあり得なくはないですが、そうなったらそうなったでそれもmothercoatということでご理解ください。


今や、眠れる夜と眠り続ける昼多めですが、、、。

この曲もやろうと思ってます。


gigadylan









昨日のブログ書き終えて自分にとってのエアコンとは何なのかという全く今やるべきでない考察を

始めた挙句、また書き始めてしまい "これ何の時間 ? " と首を傾げている。


1981年に購入した我が家のTOYOTAカローラにはエアコンが着いていなかった。窓を開けたら大丈夫だと両親は思っていたし、実際、窓を開けて走っていれば命の危険を感じない我慢出来る暑さであったのだろう。 

1984年か1985年の夏、ギガ家はオープンしたての姫路セントラルパークへ車を走らせていた。動機については定かではないが恐らく誰かから割引チケット的なものを貰ったことで火がつき、マイカーで巡れるなんて5歳の僕と3歳の妹を連れて王子動物園を回るよりも楽であるし、ワクワク感も大きいだろうと思ったのであろう。僕もうる覚えの極みではあるが、サファリパークという響きが動物園より圧倒的に自分のワクワクドキドキ感を引き出していたと記憶している。そして世界最速の動物チーターの生走りが見れるのではないかという妄想がより僕の子供心の純度を高めていた事は容易に想像出来る。  姫路セントラルパークに着き迷う事なくサファリエリアのゲートに向かう。そしてゲートで音声ガイド機器を渡された後、宣告されて気づく、少し考えれば分かることではあったが、当然のことながら窓を開けてはいけなかった。ずらりと並ぶ車の列。もはや「すみません、クーラーがないのでやっぱりやめます。」と言える訳もなく 入場し数分後、命の危険を感じた僕らはライオンの手が入らないだろう程度窓を開けたが、時速10Kmにも満たない車の中に風が入る訳もなく、車内は音質の悪い音声案内と家族4人の「あかん、あかん これはあかん。早よここ出な死んでまう」という声が入り乱れ、もはやチーターどころではなくなっていた。その後、遊園地に行った記憶はすっかりなく、とにかく帰り道、両親が、この車に早急にクーラーを付けることで意気投合し、後日我が家のTOYOTAカローラにクーラーがついた事だけは鮮明に覚えている。そして当時新品のカーエアコンは異様に臭くて(ただ嗅いだことない匂いに僕の嗅覚が戸惑っていただけかもしれないが)、僕が匂いに酔って気持ち悪くなり、結局窓を開けていた記憶もある。  

実家の居間に一台だけクーラーがあったが、僕が住んでいた18年間でつけた事は数えるほどしかなかった。”電気代が勿体無い、風吹いたら涼しいやろ、クーラーの風は身体に悪い"が我が家の基本的な教えであった。

"命の危険を感じるまで使わないもの"

小学低学年くらいまでに知らず知らず刷り込まれた観念は意識的に取り除いていかないとなかなか

消えないものである。

良い思い出と今良かれと思ってする事は切り離して考えなければ途方に暮れる物事が増えるばかり。


今の子供達に未来を託すに当たってもっとも大事な事は昭和の観念を観念するということに尽きると

僕は切実に思っている。この話は長く面倒になりそうなので、今はやめておこう。

そんなことより、ライブに向けて色々とやり始めて散らかった破片を何とかくっつけないとなのですが、なかなかパワーが出ず困った、困った。



gigadylan

長い梅雨が明け一気に真夏がやってきた。

バンドの活動が盛んだった頃は居住空間にクーラーがなくても全然大丈夫だと思っていたが、単純にツアーに行ってるか、バイトしてるかであまり家で過ごすということがなかっただけかもしれないし、「僕、エアコン苦手だから」と言ってみたかっただけかもしれない。

時は流れ意識も感覚も変化があり総合的に考えても今年は暑くないとは言い難い。

地域放送で、一日中エアコンをつけて過ごして下さいと呼びかけている程に。


8月に入りトキロックの「暑い」という発言が耳につくようになり、言葉の反復により脳により暑いという観念を擦り込ませる恐れがあった為、家での「暑い」という発言は1日5回までとする言論の不自由に取り組むことにした。かと言って6回言ったところで互いに選りすぐりの罵声を浴びせることくらいしか罰則めいたことはないのだが、、、。程なくして家の外に暑いと言いに行く裏技を編み出されたので、僕も対抗措置としていざとなったらノルウェイ語で「varm」と言う技をこっそり温めていた。

きっとこれを読まれた方は速やかにエアコンを取り付けなさいと思われたかもしれない。その通りであるし、その通りに実のところしてある中での猛暑へのアプローチを色々と行なっている。

遡ること半月程前にトキロックと話し合った(ほぼ僕による説得に近かったが) 結果、エアコンを購入する意思を固めていた。僕らにしては高価な買い物であった為、ポイントが5倍になる8月5日を待ってネットで買った方が良いであろうと欲に塗れた選択をした結果、当然ながら夏が先に来て冷気を待つカタチとなった。購入から数日後、購入先からお盆明けでもいいですか?という電話があり、業者さんのこの繁忙期の大変さを理解はしてはいるのだが、「すみません嫁が暑くて随分と汗をかいていまして」と縋るようなトーンで普通の事を言ってなんとか15日に取り付けて貰えることとなった。

そう言った訳で、指折り数え待っている。

快適な室温を得る為に、不快な外気温を更に上昇させる可能性を秘めた人間の欲望の産物を。(実際のところは人は人の観点でしか測れないから地球に及している本当の影響はわからないが)

そう考えるとゾッとして数分は寒気を駆使して凌げる。温暖化のことを少し考えるだけでもちよっとしたエコだなと思いつつも夏の間、ゾッとし続けることは幸福ホルモンの分泌に差し支えがあるので

素直にダイキンさんが書いている事を7割信じて欲望に身を任せ進んで行くのが人間の自然な生き方だと現時点では思いながら、とにかく今は冷気を待っている。



私の本当が知りたくなってしまった。
何もかもわからなくなってしまって、
生きる意味を求め始めてしまったんだ。
まるで世界が本当にそうであるかのように、
本当にそうでなければいけないような風を
縋るように吹かせて。

間違いを(と)認めれるほど、誰もは強くはなくて、
攻めたて安心するのは 誰もが弱さを隠したいから。

私の安心は誰かの不安となることを
私の苦しみが誰かの癒しとなることを
私は知っているから、もしも平和を望むなら
あなたも私も満たされないままに。

もしかすると、誰もが得体の知れない怖さに
もしかすると、誰もが得体の知れない不安に
人が持ち得たはずのやさしさを
人が持ち得たはずの強さを
夢の中に追いやって。

変化を求め過ぎる前に、気づいてないやさしさに
気づける強さを、私は欲しい。

かつて、mothercoatが出演させてもらったイベントでソールドアウトしたものは数える程しかなく、いつも直前でもチケットのお取り置きが出来たのですが、、、

今回、前方椅子席20席、後方段差をつけてのスタンディングになるそうで、55枚でソールドアウトとなります。 またご一緒するyohiacoさんもNeeUさんも人気のある方々なので、もしかすると早めに売り切れてしまう可能性も十分にありますので、お早めのご予約をオススメしますというか、お願いします!

今しか出来ないmothercoatのカタチをどうかこの機会に観に来て欲しいと思っています。

本日15日の22時からparadice.ticket@gmail.com にて受付開始です。

チケット予約時は ・バンド名・氏名・連絡先を明記の上ご予約お願いします。

 ■お一人様1枚のご予約でお願いします。

 ■先着順で整理番号を返信メールにて発行いたします。

 ■3日以内に返信メールをお送りしますので、ご連絡がない場合はお問い合わせ下さい。

時々、我が家に顔を出す猫がいた。トキロックは当初反対していたが、僕はせっかく立ち寄って来てくれてるのだからと、玄関にほんの少しのキャットフードを置く事にした。

来た時に名前がないとあれだなとオスかメスかも確認もせず、その猫の存在が僕らの生活に挟まっているようで心地良かったことから"栞"と名付けた。

栞の姿を見れることはあまり多くないが、餌がなくなっていることで今日も来たんだなと来訪を確認出来た。そしてそれが小さな日々の楽しみとなった。仕事帰りに「今日、もう栞来た?」とトキロックにLINEするくらいに。来てない時は、夜中の2時くらいまで栞が見える部屋で待ってしまうくらいに。

栞は警戒心が強く、こっちが見つめたり、手招きするとプイッと背を向けてどこかに行ってしまう。

出来る事ならいつの日か、少しばかり触れてみたいと思ってしまっている。その僕の強欲を嗅ぎ取ったのか、ここのところ僕の居ない時にしか顔を出さなくなったような気がする。その事を考えると異様に寂しい気持ちになったりしている。久々のこの気持ちはなんだ? もしや栞に恋心を抱いてしまっているのか?猫に恋している40歳の男を人々はどんな風に思うだろうか。もしも栞の同意のもと触れ合うことが出来たら、これは不倫という事になるのだろうか?トキロックも栞のことを懇意にしているが、恋してるという枠組みになった場合、栞に向かって「この泥棒猫め!!」と怒鳴り帰したりするのだろうか? 

そんなこと考えながら、今も栞を待っている。


gigadylan





自覚出来る程の疲れを我が身に感じていた。浸かるべきものに浸からなければいけないと思いつつも浸かれず仕舞いの日々が続いていた。来たるべく週末、然るべき場所へ車を走らせ浸かるべきもの浸かっていた。浸かっている自分の周りの岩場を浸かる気配のない推定7.8歳の全裸の少年が細心の注意を払いながらぐるぐると割と広めの露天の岩場を伝い歩いていた(場所によっては四つん這いになったり)。僕はその少年の男性器と玉袋があまりにも可愛く綺麗なのでしばし見とれていた。しばらくして父親らしき方がやってきて、何の躊躇もなくさくっと浸かった。そして少年は父親に「今、絶対に濡れないゲームをしているんだ、すごく楽しいからずっとやっていたい。」と告げた。

父親は何一つ咎める事なく、笑顔で自分が浸かるべき時間浸かり終えると、一滴も湯に触れる事なくゲームをクリアした少年を称えることもなく共に健やかな顔で露天を後にしていった。

その光景は僕の疲れを取るには十二分な光景であった。

僕は使った事ないテレパシーを使ってその少年に「You are the winner here!」と伝えた。


常識とは何か?を考えてきた。今もなお考えている。

自分は常識に囚われたくないと思っているようだ。裏を返せば多種多様な常識に囚われている身であるということでもある。また囚われないということと非常識を推奨するということも全然違う。

その行いに置いて本人に常識、非常識の認識がない、もしくは瞬間的に吹き飛んでしまっている状態で囚われている者から見たら非常識に感じるが致死に至る害のない行いに対しては咎めることなど何もないと強く思っている。なぜなら常識は非常識を咎める為のツールではなく、多くの人が多くの場合、そうであれれば安心出来たり、無駄に感情を左右されない為の良くも悪くも安らぎの共通認識であるだけなのだから。

いつの時代も咎めたがり屋達の常識が風潮として蔓延し、謝るべきことでもなかった事に謝罪しなければなくなったり、反省しないといけないという僕からすれば非常識を押し付けられたりしているのをニュースや街中で見るたびに、人々の心の豊かさを削り取っていっているように感じてしまうのは僕だけだろうか。


今日もジメジメ。洗濯物の乾き具合以外、特に気に触ることなし。

ライブに向けて、さあどうしようか? まだ定まらず。

15年ぶり?に歌ってみた。「安住の地」


gigadylan