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かつて、mothercoatが出演させてもらったイベントでソールドアウトしたものは数える程しかなく、いつも直前でもチケットのお取り置きが出来たのですが、、、

今回、前方椅子席20席、後方段差をつけてのスタンディングになるそうで、55枚でソールドアウトとなります。 またご一緒するyohiacoさんもNeeUさんも人気のある方々なので、もしかすると早めに売り切れてしまう可能性も十分にありますので、お早めのご予約をオススメしますというか、お願いします!

今しか出来ないmothercoatのカタチをどうかこの機会に観に来て欲しいと思っています。

本日15日の22時からparadice.ticket@gmail.com にて受付開始です。

チケット予約時は ・バンド名・氏名・連絡先を明記の上ご予約お願いします。

 ■お一人様1枚のご予約でお願いします。

 ■先着順で整理番号を返信メールにて発行いたします。

 ■3日以内に返信メールをお送りしますので、ご連絡がない場合はお問い合わせ下さい。

時々、我が家に顔を出す猫がいた。トキロックは当初反対していたが、僕はせっかく立ち寄って来てくれてるのだからと、玄関にほんの少しのキャットフードを置く事にした。

来た時に名前がないとあれだなとオスかメスかも確認もせず、その猫の存在が僕らの生活に挟まっているようで心地良かったことから"栞"と名付けた。

栞の姿を見れることはあまり多くないが、餌がなくなっていることで今日も来たんだなと来訪を確認出来た。そしてそれが小さな日々の楽しみとなった。仕事帰りに「今日、もう栞来た?」とトキロックにLINEするくらいに。来てない時は、夜中の2時くらいまで栞が見える部屋で待ってしまうくらいに。

栞は警戒心が強く、こっちが見つめたり、手招きするとプイッと背を向けてどこかに行ってしまう。

出来る事ならいつの日か、少しばかり触れてみたいと思ってしまっている。その僕の強欲を嗅ぎ取ったのか、ここのところ僕の居ない時にしか顔を出さなくなったような気がする。その事を考えると異様に寂しい気持ちになったりしている。久々のこの気持ちはなんだ? もしや栞に恋心を抱いてしまっているのか?猫に恋している40歳の男を人々はどんな風に思うだろうか。もしも栞の同意のもと触れ合うことが出来たら、これは不倫という事になるのだろうか?トキロックも栞のことを懇意にしているが、恋してるという枠組みになった場合、栞に向かって「この泥棒猫め!!」と怒鳴り帰したりするのだろうか? 

そんなこと考えながら、今も栞を待っている。


gigadylan





自覚出来る程の疲れを我が身に感じていた。浸かるべきものに浸からなければいけないと思いつつも浸かれず仕舞いの日々が続いていた。来たるべく週末、然るべき場所へ車を走らせ浸かるべきもの浸かっていた。浸かっている自分の周りの岩場を浸かる気配のない推定7.8歳の全裸の少年が細心の注意を払いながらぐるぐると割と広めの露天の岩場を伝い歩いていた(場所によっては四つん這いになったり)。僕はその少年の男性器と玉袋があまりにも可愛く綺麗なのでしばし見とれていた。しばらくして父親らしき方がやってきて、何の躊躇もなくさくっと浸かった。そして少年は父親に「今、絶対に濡れないゲームをしているんだ、すごく楽しいからずっとやっていたい。」と告げた。

父親は何一つ咎める事なく、笑顔で自分が浸かるべき時間浸かり終えると、一滴も湯に触れる事なくゲームをクリアした少年を称えることもなく共に健やかな顔で露天を後にしていった。

その光景は僕の疲れを取るには十二分な光景であった。

僕は使った事ないテレパシーを使ってその少年に「You are the winner here!」と伝えた。


常識とは何か?を考えてきた。今もなお考えている。

自分は常識に囚われたくないと思っているようだ。裏を返せば多種多様な常識に囚われている身であるということでもある。また囚われないということと非常識を推奨するということも全然違う。

その行いに置いて本人に常識、非常識の認識がない、もしくは瞬間的に吹き飛んでしまっている状態で囚われている者から見たら非常識に感じるが致死に至る害のない行いに対しては咎めることなど何もないと強く思っている。なぜなら常識は非常識を咎める為のツールではなく、多くの人が多くの場合、そうであれれば安心出来たり、無駄に感情を左右されない為の良くも悪くも安らぎの共通認識であるだけなのだから。

いつの時代も咎めたがり屋達の常識が風潮として蔓延し、謝るべきことでもなかった事に謝罪しなければなくなったり、反省しないといけないという僕からすれば非常識を押し付けられたりしているのをニュースや街中で見るたびに、人々の心の豊かさを削り取っていっているように感じてしまうのは僕だけだろうか。


今日もジメジメ。洗濯物の乾き具合以外、特に気に触ることなし。

ライブに向けて、さあどうしようか? まだ定まらず。

15年ぶり?に歌ってみた。「安住の地」


gigadylan

3ヶ月ぶりにログインしている。書くことがなかった訳ではないのだが、他の事に時間を費やしている内におざなりになってしまった。時間がなかった訳ではないが安定した不安定に慣れてしまってた僕は"踏み出しては休み、踏み出そうとしては出せずに休み"を繰り返していた。そうする(できた)中で崩れていた日常がおぼろげながら象られ、灰色だった日々にささやかな彩りが見られるようになった。これで良いのだとその日常に感謝しつつも、それだけでは満たされない我欲が時折顔を覗かせたりもしていた。


5月の半ばにmothercoatのスタッフであるtsumacoから近未来の話を持ち掛けられた。瞬間的に今はまだ無理だ、逃げたい。と明確に思ったが、tsumacoの明確な想いと念が僕の逃げ腰を絶妙に揉みほぐし逃げ場を失った。逃げ場を失った割にその時はアルコールを摂取していたからか心地良くもあり、やってやろうじゃないかと妄想を膨ませた。ソロでのお誘いであったがトキロックにmothercoatでやりたいんだけどと恐る恐る聞いたら「やろうか」と言った。mothercoatで出させて欲しいとtsumacoに伝えたらとても喜んでくれた。

妄想がある程度の膨らみに達した辺りから現実的な要素が妄想を萎ませ徐々に緊張に変わり不安定な今の僕らに何が出来るか、また数ヶ月で何が出来そうかを考えるとより鼓動が早く大きく波打った。

そして明確に思った、弱音を吐きたい出来れば強気にノリノリで無邪気に踊りながら

引っ張り出してくれたtsumacoには感謝しかない。

とにかく僕らは9月7日に大阪でライブをする事になった。

僕らの新鮮な弱音に期待し駆けつけてくれたら何よりです。

イベントタイトルの『Núna』というのはアイスランド語で『今』という意味で、tumacoが思い入れのある3組のそれぞれの今を表現して欲しい、お客さんと交わり重なる今を感じて欲しいという気持ちでつけたそうです。

偽りのない今を表現するのは割と得意な方だと自負しています。


tsumaco presents

『Núna』
2019年9月7日(土)

大阪 扇町para-dice 

■open/start 17:30/18:00(¥3500+1D) 

■act NeeU / mothercoat / more 1band★7/14(日)20:00〜 1バンド追加発表 

■ チケット予約  paradice.ticket@gmail.com にて、
2019年7月15日 22時〜受付開始!
(先着順で整理番号をメールにて発行)

ジュン(2009年から2017年までmothercoatに在籍したドラマー)から渋沢栄一公(以下"公"という)が一万円紙幣になるというニュースを聞きつけバンドのLINEで祝辞を送ってきた。絡みづらいシニカルジョークを交え返してみたところ、恐らく面倒に思えたのだろう途絶えた。ここは素直にThank you, I'm proud of it.と返すべきだったのだろう。仕事帰りの電車で氷結を飲んでいたので仕方ない。

それはともかく以前近所の渋沢栄一記念館にある何かで、その昔千円札の候補になったことがあったが髭がなかったせいでオーラに欠け伊東博文に敗れた。というような記事を見た記憶があったので時を経てやはりそうなるべく人はなるもんなんだなと、芸術に置いても同じような現象は多々起こっており、作品や功績が時を経て再認識されるのは人の一生を永遠と結びつける架け橋のようで素敵なことだなと思ってみたもののそう言いたいだけかもしれない。

たまたま条件に合い移り住んだこの家の近くに公の生家があり記念館があった。いつぞや現代史で登場したであろう公のことは全く覚えていなかったが、移り住んだことで知り、少しばかり興味を抱き、うっすらと親近感を覚えた。ただそれだけのこと。ただそれだけのことであってもなんだかとても嬉しく、ここの住んでいることを誇りに思えたりする自分の脳の構造に驚きながらも感謝している。

そんな小さな盛り上がりの中、今朝、目覚めると桜に雪が積もるという祝いなのか嫌がらせなのか判

別に困る景色が広がっていた。珍しいことに触れることは嫌いではない性格上、これは雪桜と公の像を一緒に写真に収めておくべきだと青淵公園に、そして公の像のところまで行くと驚くべき光景が。普段ほとんど人などいない公の周りに人だかりができていた。そのことの方が珍しく思えその光景も含め写真に収めたかったが、昨今のプライバシー事情を加味すると気温に比例してモチベーションも下がり公に背中を向け雪桜をせっかくだからという記念に何枚か収めた。



今、読んでる小説でアルマジロ(以下"マジロ")は仰向けで寝るということ知った。すぐに動画で確認する。極めて無防備に眠るマジロの画面を目の当たりにして、仰向けで眠れなくなった自分は甲羅もないのにいったい何を防ごうとしてるのだろうともの思いに耽った。そんな季節外れの雪の日の午後であった。


gigadylan





天候と週末がハイタッチ。平成最後の桜がガッツボーズ。桜の花びらと共に乱舞する人、人、人。

これほどまでにチャラダサい表現を出来てしまうほど素晴らしいひと時に今日は触れることが出来た。

朝食を食べ終えた時点で昼に無性にケバブが食べたかった。催されていたさくら祭りの会場にいくつか出店があるとトキロックから聞いていた。が、ケバブ屋はなかった。が、桜は咲いていた。

深谷駅前の会場周辺では献血へのご協力の呼び掛けと明日に控えた埼玉県議会選挙演説の為訪れた共産党の立候補者の演説と高崎線遅延のアナウンスが入り乱れる中、子供達がダンボールで作った力士を大きなベニヤ板の土俵に縦横無尽に並べ、戦略もなければ勝利するコツも誰一人見出せないままひたむきにベニヤを叩き続けるというカオス相撲に花を咲かせていた。

僕らはそれを横目にサクラ色したロゼの甘酒(色以外どうロゼなのかはわからなかった)を飲みながら会場である神社でお参りした後、川沿いを桜に沿って散歩することにした。

もちろん木々のコンディションの違いによる咲き乱れ方の違いはあれど僕らを満足させることは今年の桜たちにとっては花びらの上で軽く躍らせるくらい容易すいことであった。


しかしながら視覚の満足だけでは腹を満たすことは出来なかったので、ケバブの代わりが必要であった。気がつけば時は多くの飲食店がランチタイムから休憩時間もしくはカフェタイムへと切り変わる

時間帯に入っていた。僕はモスバーガーか、バーガーキングを代替案として提案したが、トキロックは首を縦に振らなかった。食事に置いての明確なプランを失った時、トキロックと僕で数年がかりで編み出したとりあえずスーパーの弁当コーナーに行き値引きシールに導かれた上で明確に食べたくないと思わないものをチョイスするというプランを発動させることにした。そしてそれを持って今一度桜のたもとで食べるのは決して妥協ではなく、名案であるとさえ思えたのでコープさんに車を走らせた。そして僕らはトキロックチョイスのウニいくら巻4巻と僕チョイスのカニクリームコロッケ、ハンバーグ、オムライスのコンボプレートを膝の上に広げ先程とは異なる桜の下で食べた。そしてウニいくら巻8巻で良かったなと明確に思ったが口には出さなかった。



家に帰ってそろそろかなと思っていた庭のタラの芽がそろそろだったので今夜、天ぷらにして食べることにした。

ほとんどの事が何かのそろそろによっていざなわれそれに応えるように生かさせてもらっているだけかもしれない。自分の意思なんてものはビックリマンのシールのようなもので時にメインのように扱われたり重宝されたりすること(してしまうこと)もあるが結局はチョコのおまけなのである。

gigadylan 

秩序を正すと秩序を乱すはある意味では同義となる。正している(保っている)様で乱している。乱している様で正している。個人がそれを判断する基準をどこに定めるか、宇宙?地球?国?地域?職場?学校?SNS?家族?恋人?友人?で無限に変動し続ける基準を前にしては常に入り乱れていることが正しい、つまり混沌に耐えうる状態を保ち続けることこそが秩序を保たれている状態であると思ってしまうのは僕だけだろうか?

"混沌の中に平穏を感じること"が出来る能力?感受性?体質?さえ身に着けることが出来れば、この世のほとんどのことは問題ではなくなる。たとえその場凌ぎで合ったとしてもその場を凌げなくてはその次の場がないのだから、その場を凌ぐっていうことは決して悪いことではないし恐らく人類は未来を想像しながらもその場を凌ぎ続けてきたからこそ今があり、明日やいつかもある気がして今を過ごせている訳である。

"混沌の中に平穏を感じること"と文字で表すと簡単な様なことに思えるが、手持ちの能力には限りがあり、多くの人が挫け、助けを必要とし宗教やスピリチュアル、心療内科やセラピーやヨガ、アルコールや煙草やドラッグ、はたまた筋トレ、マラソン 等々、、、 善悪、合法非合法に関わらず様々な補助を駆使してその場を凌がざる得なかったということをたとえ代償があった(ある)にせよ肯定出来る感性を持つべきであるし、それを持たずして秩序は保たれない。


と、日曜日の朝から新しい元号は何になるのかななんて?何になったところで自分に及ぶ影響なんてほとんどないに等しいことに対して、眉間に皺を寄せ腕組みをしながら全部を推測することは至難の業であると判断し、一文字を五候補まであげていいという秩序ある推測ゲームをしながら上記にある「ところであなたは何が言いたいのだ?」というような混沌とした限りなく論文に満たないエッセイテイストの独り言を並行して綴っていた訳だが、"萌" 、"彩"、"恵" 、"希"と女性の名前に使われそうな漢字を使うことで華やかさとかつての男社会と呼ばれたような時代のあり方との決別を暗に匂わせるものになるのではないかと絞り込んだところで後一文字はやはり、いつの時代もみんな大好き"安"にしとこうと少々投げやりではあるが、こんなことに誰に頼まれる訳でもなく当たったところでサプライズパーティーが開かれる訳でもないのにかれこれ3時間余り費やしているのだから父親譲りの無難な一文字を投入したところで推測を終えることにした。

ゲームは終えたが、ところで僕は何が言いたかった?ということが残っている。

そして思う。この世は何か言わなければ、何かしなければで溢れかえっている。

高校野球中継の解説者が、初めて見た何とも言えない選手の特徴を述べていることを筆頭に。


今日の昼も何を食べたいかさえわかっていない僕に、その何かが何かを明確にすることはセックス描写をせずに官能小説を書くことくらい難しいことである。(恐らく不可能ではない)

それでも何も食べなくてもいいとは思えないのは教育の賜物か教育の代償か生物の仕組みかわからないが、その時がくれば何でもいいから食べたいに収まり何事もなかったように次のその場を凌ぎ続ける。その何でもいいの部分を肯定、受容すべく教育を受けていれば僕らの感覚は凌ぐから、繋ぐに変わっていたかもしれない。

その場繋ぎ。

悪くないじゃないか。


その場繋ぎの合間に明確な何かを読みかけの本に栞を挟むように生きていければ。

そして今夜はスパイスカリーを作るということだけは明確に決まっている。



gigadylan




三寒四温を肌身離せず感じながら、くしゃみをし鼻水を垂らしながら朝食を食べる。 ここのところ、僕が朝食を作りトキロックを起こす、または作ってる途中に起きて来て準備に参加するということが多いのだが、たまにトキロックが調子が良さそうな時は起こされる側になりたくなり、「”ご飯もう出来てるよ、いつまで寝てるの”とほんのり苛立を含めたトーンで起こして欲しい」と懇願する朝もある。トキロックの調子は大体朝一のトイレに行って戻ってきた時の感じで大まかに感じる取ることが出来る。そして今日はその日であった。 晴れの日は太陽の動きに合わせ窓際に沿って東から南へ暖を確保しながら本を読んだりする。これと言って絶対的な予定がない日は大体そんな午前を過ごす。L92乳酸菌を昨年秋から毎朝飲み続けてきたお陰か、そもそも花粉が少ないのか慢性的な花粉症の症状が例年に比べ今年は幾分ましな気がしているが、なかなか自分が掲げたパフォーマンスを出せない時は淀みなく花粉のせいにしている。 SNSに触れたり、ブログを書いたり人に会ったりすることがまだリハビリのように感じているが、 徐々にそれが日常になっていくような気配に春を感じる。それでも暖気に誘われ焦ったように咲いて(咲かされて)しまった桜が昨日、今日で散っていく様に昨年、一昨年の自分を重ね春を待てない愚かさをその散り桜に解きたい気分である。桜にすれば"そんなの知ったことかよ"であるが、、、。 


昨年の昨日と今日は繋がらなかった。今年の昨日は今日にちゃんと繋がっていた。 

曖昧な言い回ししか出来ない事を許容することで今日が明日に繋がる。こともある。 

丁度、太陽が真上に来た頃に目が合う機会があったついでに見つめ合ってみたら、二人して声を出して泣く羽目になったのち可笑しくなって笑った。 繋がらなかったあの日から一年経ち、こうして繋がる日々になった今をささやかに二人で祝った。 


gigadylan

何故だかわからないが、殆ど何もしなくてもすこぶる野菜が育つところがある。

幾人かの農家の人が口を揃えて"あそこはとびきり土がいいからさ"と言ったとか言わないとか。

何を育てるにしても、いい土壌があるに越したことはない。


我が家の1階にあるスタジオは一昨年の冬 片付けたきり一度も音を鳴らされることなく機材諸共放置され、いつの間にか僕のド素人DIYものつくり工房と化しつつあった。いつか使うかもしれないと思いつつ一生使わないだろう機材をリサイクルショップに持って行ったり、オークションに出品するなりすれば片付くし少しはお金にもなるし機材たちにとっても良いのだろうが、皆で使っていた機材を目の前にすると今はまだ虚無感の方が強く、どうにもその気にならなかった。

しかしながら昨年の冬辺りからその気になったこともない訳ではない。幾つかのレコーディング機材を元ドラムス、ジュンの元部屋に運び込み、そこをレコーディングスタジオにすることにしたのだ。

今年に入り、机を買い、足りない部分を自分で作ったりした。ある程度整ったところでさて久々に何か録って見ようかとLogicという音楽制作ソフトを立ち上げたのだが、画面を前にして音楽を制作するにあたって必要であろう手順や、基礎知識をそっくりそのままどこか遠いところに落としてきてしまったことに気づいた。とりあえず珈琲を飲むことから始め、その音楽制作空間の居心地に満足し、いくつかのアーティストの楽曲をiTunesで流し、悪くないねと心の中で言ったままひと月半が過ぎた。

そして思った。まずは土からだな と。

すなわち、音源制作における土とは言わずもがな電源であり、もっと言えば電圧のことである。この部屋に200Vを引かずしてレコーディングするなんて、水耕栽培で作られた味も香りも2流のパクチーを作ってるのと同じことだと偏った物の考え方に拍車をかけ、思い立ってジモティーを使って近くの電気工事士の資格を持っている人を探し電話し要件を伝えた。後日50代くらいの中肉中背のおじさんが約束の時間より少し早くやってきた。おじさんは3ピンと3口を間違って持ってきた。日本のコンセントはアース線を通してないとこがほとんどだから3ピンは意味がないと言った。そんなことはわかっていたが、形状的に音楽機器の電源ケーブルの先が3ピンになってるものが多いのでダミーではあるが僕はコンセントの差し込み口として3ピンにしたかったのである。そもそも2口を3口にしたいだけなら工事なんかせず優秀な電源タップを購入するのが僕が思う一般的な感覚であり、そんな工事頼む一般人は果たしているのかと思ったのだが、電気工事士にはその感覚よりも日本の一般家庭には3ピンのコンセントは必要ないという感覚の方が上回るのだろうか?いや考えれば2ピンへの変換プラグを着けて対処することの方が一般的でもあること(僕もこれまでそうしてきた)から確かに僕の感覚に非がない訳でもない。しかしながら僕は電話で一文字も違わず3ピンに変えたいと言った。悶々とした心の中をスイスにし結局1階のスタジオにつけてある3ピンのコンセント口を外して2階と付け替えてもらったのだが、そのことで工事箇所が2箇所ということになりそれだけで倍の料金取られるという納得しかねるが納得しないと先に進めないおじさんとの関係性になった。そこからおじさんはそれならアースとらないと勿体無いということに夢中になってしまいアースの取り方について熱弁を奮われた。確かにノイズが減る可能性が増えることと地球にとっても人体にとっても良いということに魅力は感じつつも少し面倒だなと思っていた矢先、我が家の裏の土の中からアースを取るための導線が生々しく壁をつたい全く使っていない外のコンセントボックスに刺さっているの発見してしまった。そしてこれを伸ばせばアースが取れるということがわかったので後で見積もりだけ出して欲しいと言ってなんとかおじさんのアース熱を取り除くことが出来た。そして本題の200Vを引けるかを調べてもらった。結果この家のブレーカーには200Vはきてることがわかった。がブレーカーの場所からスタジオ部屋までそこそこの距離がありおじさんはその作業を渋った(おじさんは腰が悪そうだった)。そして僕にステップアップトランス(昇圧機)をひたすら勧めた。音に関するダウントランスでのいい話は小耳に挟んだことはあったが100Vを200Vにするというイメージが僕にはその昇圧機の箱の中で小さいおっさん100人が必死で自転車を漕ぎ1Vづつ捻出している姿しか浮かばず、その日の小さいおっさんの個々の体調によってかなり電圧の供給が不安定になる気がしてならないのと、またその電気工事士のおじさんに対してほんのり不信感と言うか頼り甲斐にかける何かを感じてしまっており、とりあえずどっちにしろ工事のパターンと昇圧機購入のパターンの見積もりだけ全部出して連絡くださいと言ってお別れした。

後日、見積もりが出てやはり昇圧機を強く推してくるもんで、一旦予算の関係上アースは保留にした。

そして昨日、Amazon(おじさんには悪いが)から小さいおっさん100人入りのこいつが届いた。

そして今日、東の小さな畑にパクチーの種を蒔いた。


そろそろ何かと種蒔くにはいい季節になってきた。Logic入門読みながら寝るとします。







gigadylan 


先日、"STAR BUCK" (謎の邦題"人生ブラボー!")をAmazon primeで観た。簡潔にいうと個人の善意の行為が直接関係のない人たちの誤解を招くような行為であったとして、世間に激しく非難されたとしても正直にあれれば当事者同士は必ず分かり合えるということをコメディータッチで描いた映画だと僕は捉えた。見終えた後とても良い気持ちになる映画であった。その2日後、こちら側の勝手な偶然なのだが、深谷から籠原へ向かう17号線沿いのCAINZ HOME籠原店の敷地内にSTARBUCKS COFFEEがオープンした。丁度ワイヤープランツを植えたい箇所があり、CAINZ HOMEにも行く理由があった。


1997年に神戸から東京に出てきた当時、僕は来日2年目のSTARBUCKS COFFEEを甚くお洒落に感じていた田舎者の一人であった。入る時は必要以上に気取ったりもしていたと思われる。多くの場合埋まっていて極稀にしか座れないソファーに極たまに座れて砂糖をたっぷり入れたスターバックス・ラテのグランデを飲みながら歌詞を書いたりしてみたりもした。しかしながら根本であるスターバックスのコーヒーの味が口に合わなかったことと、全体的にラインナップがお菓子っぽかったこと、僕には値段が高かったことからその敷居を跨げなくなった。(U.Sツアーの際はWiFiスポットとして重宝させてもらったがやはり味に関しては同じ印象のままサイズだけが大きかったと記憶している。)

そういった20歳前後の甘い経験を経てこだわりのあるコーヒーを出す喫茶店に行く必要がない時は決まってドトールに行くようになった。家のコーヒーも最終的にドトールに落ち着いているし、先日、NEWDAYSのコーヒーがコンビニの中では一番好きだなと思ったら、ドトールの豆を使っていることを知ったりと、おそらくドトールの豆には僕の舌に丁度良い何かが入っているのかもしれない。急なドトール好きアピールをして申し訳なかったが、ならば何故そんなSTARBACKSの敷居を今回跨ぐことになった?ということを説明しなければならない、結論から言うと甘いカフェ・モカが無性に飲みたくなってしまったからだ。ある時期から砂糖断ち(全く摂らない訳ではない)のようなことを始め、コーヒーもブラックしか飲まなくなりスイーツも出されない限りほぼ食べないようになっていた。が去年だったか、一昨年だったか急激なポリフェノールブーム(世間的にもそこそこそうだが)が我が身に訪れ、カカオ含有量多めのチョコを摂り始めてから、徐々にポリフェノールと共に糖分をも欲するようになってきてしまい、この日は特に我慢出来ないくらい甘くカカオ的な何かが関わったドリンクを口にしたかったのである。そこに舞い込んだ地元にSTARBUCKSがオープンしたと情報が追い風となり数年ぶりに僕をSTARBUCKSに導き敷居を跨がせたのである。

そして数年ぶりのSTARBUCKSではカフェ・モカは予想を上回る甘さで提供され、トキロックが頼んだカモミールティーのソイ・ラテは人を困惑させるには十分な不可思議さを兼ね備えたままの味で提供された。当初、互いに図書館で借りたばかりの借りたての本を読んでいたのだがオープンしたての土曜の昼過ぎということで慌ただしく(ただほとんどお客さんがテイクアウトで席は常に所々空いていた。)落ち着いて本を読むには不十分だったことから、僕はこの喧騒の中、声を張らず会話出来るスキルを身に着ける練習をすることに切り替えないかとトキロックに提案した。トキロックは笑いながらその事に賛同した。主には上に書いてあるようなお互いにとってのSTARBUCKSとはどういった場所かということや、カモミールティーを豆乳ラテにした事によって生じたであろう不可思議な味のちょっとした分析めいたことであったり、壁に飾られている絵が熊谷の伝統的な染色技法を用いた"熊谷染"であることについてであったり、テラスでくつろいでいるお客さんの連れたパグとトキロックが似てる似てないで若手のカップルめいた小競り合いトークであったり、その他細かい取り留めのない会話を一定の距離を保ちながら伝え合った。僕の声は通らないことで定評があるので、幾度か聞き返されたが、かなり意識して相手の耳がキャッチしやすい周波数を出すようにした。

何にせよ、小田舎にSTARBUCKSが出来たことで二人とも少なからずはしゃいでいたことは確かである。

トキロックが自ら写真を撮ることは滅多にないのだが、この日勝手に写真を撮り始めた

カフェ・モカが写ってないのは残念だが、その出来事は僕にとっては感慨深く、それだけでも充分に満たされる良き一日であった。


gigadylan

去年から家で何か出来る仕事はないかと伊勢崎にあるギターのパーツを作っている会社の委託内職をしている。

その会社の製品はブリッジやらサドルやらトレモロやらシンプルそうに見えるものから複雑そうなものまであらゆるパーツが全部手作業でキメ細く作られていた。僕が使ったこともないようなチューニングが狂わないことに命を掛けてるといっても過言でもないブリッジの工程はそこまでやるのかと面食らうほどの作りであった。

てっきり今やほぼほぼ機械である程度のところまで組み付けられていると思っていた僕は深く感銘を受け、それらを自分が組み付けるのかと思うと一時的に胸が高まった。そしてそれはやってみると難しいというよりも、やはり細かい工程が多く、思っていたより慣れてきても時間がかかる作業であった。

時給にすると平成も終わりかけているのに昭和の香りがするくらいであるが、トキロックも僕も家で具体的な何かやれることがあった方がいいという点に置いてと、モノ作りの真髄を体感出来る点に置いてはとても良かったなと思っている。またそこで働いてる人達が漂わす空気が僕は好きである。

しかしながら、徐々に仕入れと納品の移動時間や実際の作業時間に費やす時間が惜しく感じるようになってしまったので今月いっぱいで辞めさせてもらうことにした。その感情は僕が自分の音楽を作り始めようとしている証拠でもある。モノ作りに置いて大事なことは時間をそのことに対して惜しみなく使いたいと思えることでなければいけない。


いやはやどうしたものか、今回はALETTAという最近懇意にさせてもらっている野菜の話に辿り着いた経緯を書こうと思っただけなのであるが、上記のような経緯の奥の経緯を書かなければその経緯に偽りがあるのでは思ってしまう自分に異常性を感じ、今し方、画面の前で脳がフリーズした。とは言え書いたからと言って犯罪になる訳ではあるまい、気にせずキーボードを打ち進めてしまおう。(この文もまた無駄である。)


本題に入らせてもらうとその仕入れ納品の関係で週に一度、伊勢崎方面に車を走らせる機会ができ、ある時354号線沿いにkaraka~zeというJAが地場野菜やらパン、調味料を販売する小さい道の駅のようなお店を見つけた。そこで出会ったのがALETTAである。ブロッコリーとケールの掛け合わせとあるが、そのフォルムは(ケールにあまり馴染みのない僕は茎の一部以外、まさに葉の部分がケールなのだろうと調べもせず思っている)ブロッコリーの本来であらば主の部分はかなり影を潜め、ケールだろう箇所が大半を占めているように僕の目には映った。おそらくそれはケールの方がオシャレ感が強く、栄養素も高いという裏付けの下、そのようになったのではないのかとALETTA売り場の前で物思いに耽った日が懐かしく思えくらい今では何と何の掛け合わせという過程よりもALETTAはALETTAでしかないと噛み締め味わえるようになってきている。適度な歯ごたえと独特の苦味と程よく物足りない甘みにどうか人々が虜になっていくことを僕は望んでいるが、ニューベジタブル戦国時代、そう簡単ではないのかもしれない。僕はALETTAファンの一人としてこのブログを読んでしまった暁にはどうか一度ご賞味願いたい。(売れてなさそうだから助けてあげてという意味ではない、単純に良い野菜なので奨めてみているだけである。もしかしたら、全国的に大流行りしていて食べたことなかったのが僕らくらいであったら恥ずかしい、、、。)


写真の右後ろからひょこっと顔を出しているのはただのブロッコリーである。


gigadylan

自我に重きを置いた行動を少しばかりとり始めたことから行動の制限を促すいくつかの出来事に遭遇することとなった。これでも長考の末の一手であったのだが、更なる長考を守護霊的な何かが僕に忠告している気がしてならない。

  "今はまだ駒を進める時ではない"

今年は本厄である為、去年に引き続き乗り気ではなかったが、ここ数年の得体の知れない身の回りの災いごとに、もはや神頼みもやむ終えないという訳で年初めに厄祓いをしてもらった。去年と同じ若い宮司さんであったのだが、時期がズレたこともありマンツーマンでのご祈祷となった。そういった場においては些細なことが全て笑いのツボを刺激する故、祈祷中はずっと下唇の内側を噛むことで対処した。祈祷後はかなりフランクに話しかけられ「儀賀さんって去年も来られましたよね、珍しい苗字なんで覚えています。」という流れから当然出身を聞かれ、「僕は神戸なんですけど、祖先は三重の方みたいです。」「へえ、そうなんですか。僕、ずっと伊勢神宮で研修していたんですよ。」「そうだったんですかあ、僕も一昨年、お詣りに行きましたよ。」、、、、「今日もうご祈祷とか誰も来なさそうですよね?良かったら今から呑みに行きません?」と言えるような雰囲気で今年の厄は祓われた訳であったのだが、去年も祓われてこれかと思ってしまうくらい転機に訪れるとされてる災厄

がドアを蹴破って入ってきており、今年もまたノックされてるなと感じる出来事が早くも起きており、まあ全て厄年だからということで苦虫を舌で転がしつつも駒を一つ二つは進めれるように注意深く、まろやかな一手を捻り出すのがしっかりと置くべき場所に方位を定めお札を置いている僕の定めなのだろう。

と、ここまで書いておきながら耳を澄ますと行動の先に弊害や障害が生じるのは至って健全なことであり、何もせず、何も起こらないように努めた時間に慣れすぎてしまっただけではないか?という内なる声が聞こえなくもない。


そんなこんなではあるが久々にライブ告知を。



とは、まだいく訳がないか、、、、、。



gigadylan