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京都nanoが好きです。モグラさんとまあこさんのことが好きです。

多分2016年の年末だった思うが神戸への帰省の途中、大掃除をしているというのを何かで知ってふらっと手伝いに行った。

無性に会いたくなったからだ。トキロックが病気の真っ只中の時だったので人に会って変に気を使わせてしまうのもどうかなと思いもあったが、なんかまあモグラさんならいいかと思って行ってしまった。

そこにはいつもと変わらないモグラさんがいて、初めて会う若いバンドマン達と

一緒にケーブルを拭いたり、床を拭いたり。まあこさんにも会えて、元気とご飯につける佃煮を頂いて実家に帰った。それがnanoに行った最後だった。


数年後。何もせず、何も出来ず、一般的な社会生活も送れず塞ぎ込んでいた夏。

ひょんなことから止めていたツイッターを開いたら、このツイートが。

布団の上で涙しながらスクリーンショット残してお守りにしていた。

これがあったから今のmothercoatがあります。

それ故にnano16周年ファイナル。正直、想いが乗っかり過ぎていて、無茶は承知の上、引くくらいの厳戒スタイルでライブをやろうと思っていたし、Facebookにもそうのように投稿していました。

しかしながら、この状況でウイルスに対しての最善策は自宅待機だということはいくら自分の強い想いや大事な今や死活問題を抱えていても覆らないくらい事実であるし、何より今、自分が感染していないとは言い切れず、先週末1日中トキロックと昼から生テレビみたいな激論を交わした末、冷静に出演キャンセルの連絡をしました。

その時点で当然ながらモグラさん自身もやれるかやらないか苦悩しているようでした。


先ほど京都nano及びモグラさんの方から公式に4月1日から4月14日までの再度休店の発表がありました。


楽しみしてくれてた皆さん、どうかご理解下さい。

救済グッズの通販も近々始まるようなのでそちらも合わせて宜しくお願いします。


そして、日を改め必ず京都nano 行かせてもらいます。
その時は関西圏の皆さんは絶対観に来て下さい!!!!!
京都は見所たくさんあるので圏外からももちろん歓迎です!
これはmothercoatからの要請です。
宜しくお願いします!!!!!!!!!!!!!!!!!!
濃厚接触しか出来ないくらいパンパンのnanoで再会出来ることを強く求めます。

※検温、手洗いうがいは引き続きお願いします。マスクも携帯しとくのがベストでしょう。

何より日々の助け合いは永遠に!!!




gigadylan

今週末と4月始めに決まっているライブがある。今もまだ心置きなく来て下さい とは言えない状況が続いている。かつての僕はこんな時こそやるべきだと声を大にして言ってしまうような人間であった。かつてと書いてみたものの正確には今もその人間性は変わっていないかもしれない。それを証拠に僕らは今週末に迫るライブをキャンセルしていない。

困ったことが起きているのでみんな困っているのはとても自然なことだと認識している。なんとか困り果ててしまわないように時に感情的になりながらも冷静さも持ち合わせながら知恵を絞り出し合うこと以外の無駄な論争や小競り合いは暇つぶしにはいいかもしれないが、そういったこととは僕自身今は無縁でいたいと思う。イタリアの人たちが窓越しに歌い合ったりキャッチボールしていたりフランスの人たちが医療従事者に窓やバルコニーからエールを送っている映像を見たり、ドイツのモニカ グリュッタース文化大臣からの声明などを見たり(拾い上げていくとキリがないくらい混乱と困難の中で希望に向かう人々の姿がある)するとその国民性の違いを嘆きたくなったりもしなくはないが、こんな時こそじたばたせず子供から老人まで家で座禅を組んで過ごしたりしていれば世界に誇れるニュースかつ希望になりうるかもと思いつつ、もはや日本にそんな国民性はほとんど残っていないのかもしれない。禅について深く勉強してきていないので、日本人と禅との関係性の解釈が間違っている可能性はあるが、自分の乏しき日本人としての誇りの中に、混乱の中においてもうろたえず、声を荒げず、呼吸を整え今に溶け込む精神性みたいなものが残っているのは確かである。

そんなことはさておき、トキロックから自分たちはどう過ごすべきか?ライブをやるべきか?

ちゃんと話し合おうと言われ、それは大事なことだとお互いの見解を述べ合う機会に恵まれ、話あった結果、状況をを注視した上で今の時点では予定通り手洗いうがい消毒マスクを徹底しやるという流れである。新型コロナウイルスに関わらずリスクを冒しながらみんな生きている。交通事故で昨年は1日9人弱亡くなっている。重軽傷者を入れると車に乗ることが脅威でしかないと思ってしまうくらいの数字になるが、車を規制したりはしないし、ほとんどの人はそのことを望んでいない。ウイルスと違って車においては圧倒的な恩恵があるから比較にならないとはいえ人が死んだり、苦しんだりするという点においては同じであると考える。僕らが手洗いうがい消毒マスクをして人々が感染リスクの意識が高まっているライブハウスで皆が意識高めで集まりライブをやって自覚症状ない感染者が来ていて感染し重症者を出す確率よりも、普段と同じ意識でほんのり気をつけながら運転し僕が人を轢いてしまう、もしくは事故に巻き込まれてしまう可能性の方がおそらく高いだろう。が僕はそれがわかっていても日常的に今も車に乗っているなどというような書き始める生きることが怖くなるくらい無数のリスクを冒しながら生きている。

仕方のないことを、仕方があるようにしようとし続けたから人類の今がある以上に

仕方がないことを仕方がないねと思ってこれたから人類は存続出来ていると僕は思うわけで

個人の悔いが残れば残るほど世界は平和に近づくというのが僕の41年目の結論である。(10年後どう変わってるかは楽しみでもありますが)

簡単に言うと個人が悔いを残さない為に世界(宇宙)はあるのではないということ。

世界征服を目論む人がいたら大いに悔いを残して亡くなってもらった方がいいということです。

世界征服まで飛躍すると実感が湧かないかもしれないが、、、。大なり小なり各々が思い通りには生きれないということが救いだということです。


ということで、ん?どういうこと? で

ライブ告知をします。 

仕方なしに来てください。仕方なく家で座禅を組んでいてください。

仕方ない今を大いに悔やんでください。

皆さんの仕方なさをよろしくお願いします。


▲言葉交わさず、触れ合えずとも希望を分かち合えれば▽

ANYOレコ発 土曜日のお昼から時間たっぷりの3マン!

「ANYO"near your ear"Release Tour」

▷03.21 (sat)@下北沢SHELTER

■open/start11:45/12:15 adv¥2500/door¥3000

■act ANYO/nego

私達は12:55~

予約はticket@mothercoat.comまで

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祝 Aureole 復活!日曜日の夕方から時間たっぷり3マン!

「Aureole presents "Live Again」

▷03.22 (sun)@吉祥寺NEPO

■open/start17:30/18:00 adv¥2900/door¥3400

■act /Aureole/siraph minimal set

私達は18:00~ ロングセットでやります!

予約はhttps://liveagain.peatix.comまで

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京都nano16周年月間ファイナル

「LOVEFESTA2020」

▷04.05 (sun)@京都nano/京都-

■open/start11:30/12:00 adv¥2500(Dなし)

■act Lainy J Groove/突然少年/浪漫革命/Ribet towns/踊る!ディスコ室町/てら

アフターアワーズ/Word, one, no key./YOLVE/浮かむ瀬/DoReMi

PA:俺akaモグラ

私達は19:50~

予約はticket@mothercoat.comまで


gigadylan







カテーテルアブレーション手術の醍醐味の一つに術後8時間絶対安静かつ足を曲げれない状態でベッドに横たわっていないといけないというのがある。カテーテルアブレーション仲間の間でもその時が一番キツイともっぱらの評判であり、覚悟はしていた。

その割に麻酔がまだほんのりと残っていたのか、思ったよりキツくないなと思いながら3時間程眠れはしないが穏やかな時間を過ごしていたのであるが、徐々にどこが痛いのかはっきりしないがあらゆる箇所がポジションチェンジを訴え始めていることに気づいてしまった。斜め前のMさんはかなり腰が痛いようで辛そうな声をあげており、ナースコールしてなんとかしてもらえないかと訴えていた。(向こうの様子が見えないのでなんとかして貰えてたのかどうかわからないが引き続き辛そうな気配はこちら側にも漂ってきていた)僕はと言えば思いもよらず踵が痛みを主張してきたのでMさんのナースコールついでに看護師さんに声をかけアキレス腱の下辺りにタオルをかましてもらうことでことなきを得た。1つの痛みが解決されると2番手の痛みが浮き彫りになってくるもので、さっきまであまり気になっていなかった後頭部の痛みに気づかされた。当初、頭の重みで後頭部が痛いのだと思っていたのだが、幾度となく位置を変えたりして対処していたのだが、途中でこれは頭の中の痛みだということに気づいた。若かりし頃に偏頭痛に苦しんだ思い出はあるが、長らく頭痛に苦しむということがなかったものでどの程度の痛みでナースコールを押すのが適切なのかに頭を悩ませた。

痛みもさながら、もしかして術後、どこかに見逃していた血栓的な何かがぽろっと脳血管に詰まったりしてしまってないかという不安が血管を駆け巡りナースコールを押す。あーそうですかあ、鎮痛剤持ってきますね〜。ぐらいの反応に安堵する。そうこうしてるうちに8時間経ち傷口をチェックした後、絶対安静が解除され、恐る恐る体を動かす。鎮痛剤が効いたのか体勢を変えれたのが良かったのか、ウトウトし始め軽い眠りにつき始めた朝6時。病室のカーテンが開いて朝日が差し込んだ。体温と血圧 脈拍を測りに看護師さんがやってくる。熱があったが、どうやら術後熱が出ることはよくあるらしい。1週間くらいは体調が悪いと感じると言われていたのでその一環のもののようだ。左心房を焼く際にどうしても食道も軽く火傷するらしく、食欲もなくなると言われていたが昨日の朝食べたきりだったこともあり、ばくばく食べた。S先生が直接結果報告にやってくる。昨日聞いてた話と寸分違わずであった。

頭痛のことを伝える。術後頭痛を訴える人はあまりいないらしく因果関係に首を傾げながら涼しげな顔でS先生は去っていった。先生が紺色のNBのスニーカーを履いてることにその時初め気づいた。全体的な色味の統一感を大事にしながらも足元にしっかり自分の拘りを出すコーディネイトをしていることから心臓の焼き加減や焼き色にも自分なりの拘り持ちお洒落に仕上げてくれてることは容易に推測できますますS先生へ信頼度が増した。

昼前に尿管カテーテルが抜かれる。入れる時程ではなかったが、一瞬うっっ!とはなる。

これでだいぶ楽になったと思いきやこの日の放尿が痛くて痛みとしてはそれが一番嫌な痛みであった。

予定では本読んだり、動画見たり、ブログを書いてみたりしようと思っていたが何もする気になれず、この日はいくつかかの検査とほぼぼんやり赤城山を眺めて過ごした。


翌日無事予定通り退院後、励ましてくれた皆さんに感謝の気持ちでいっぱいになると共に赤城の神様にもお礼をという気持ちと最近スタッドレスタイヤにしたもののこのまま今シーズン、活躍の場を与えることなく終わりそうな危機感から山の上の赤城神社にどうしても行きたいという気持ちを抑えきれず、車を山頂の方向へ走らせた。道中スタッドレスタイヤが水を得た魚の如く、アイスバーンに対応し心が満たされた。程なくして湖の上に張られたテントの群れが見えてきた。

退院の喜びと天気、景色、空気の良さに心がのたうちまわり参拝後少々はしゃいでしまった。そこにいる多くの人たちが氷に穴を開けワカサギを釣って食べるという楽しげなことをしていたのでやりたくなったが、そこは大人気を活用して堪え切った。


長々と今回の手術にまつわるあれこれを日記のように書いてきましたが、自分にはトキロックはじめ心の支えとなるような人たちがいることを強く感じることのできた貴重な時間となりました。

家に戻ってからも頭痛は不思議と治らず、目の前がキラキラするので近くの病院でMRIに入ったりして脳には異常なく綺麗な脳ですねと煽てられ自惚れてみたり、働きにいってることを近所の人に「まだ早いよ、死んじゃうよ〜」と怒られながら穏やか日々を過ごしています。FaceBookの友達の投稿やネットの情報に思うことや心動かされることもありながら、日常を再構築し始めてます。


「助けて下さい」と言えた時、人は自立している。


安富 歩さんの本の帯に書いてあった言葉。

自分が最も苦手としてきたこと、くだらないプライドがそれを阻んできたこと。

困った時ちゃんと「助けて下さい」と言えること。

困ってる人の「助けて」 に手をさしのべること。


確信としてあるのはこれからも世界中で困った出来事は何かしら起こり続けるということ。

身体も思考も柔らかくあれ。今後の僕の最大のテーマである。


何せ身体が硬い、、、 



gigadylan







目が覚めたら、そこに涙目のトキロックがいた。

その涙の出具合と表情から手術は成功したんだなと思った。

カメラを向けられ何故だかわからないが、ふいに敬礼をした。


”恥ずかしくはないが還って参りました" 


その3時間程前、僕は手術室に向かうストレッチャーの上にいた。


手術開始時間は予定より基本遅れると思っていて下さいと朝言われていた。

が、そう思ってトキロックと談笑している最中に完全なオンタイムで準備してくださいと

看護師さんがやってきたのでふいをつかれた。

あれよあれよとストレッチャーに乗り換え、手術室に向かえたことはしても仕方ない緊張をする隙を与えられず、流れる天井とトキロックと看護師さんの下顎を見ながらこれ映画やドラマでよく見るやつだと心が踊った。

そうこうしているうちに手術室に入り、今回担当のS先生のチームに引き渡された。

右側から黒縁に所々金色でアクセントを施してある主張の強い丸メガネガールの顔が中々の速さで近づいてきてこのままマスク越しにキスされるのではと胸が高鳴ったが、目前で止まり「〇〇のIです。ギガさん宜しくお願いします〜!」と挨拶され、間髪入れず左側から特徴に欠けるボーイが顔は近づけず「〇〇のIです。」と挨拶された。開始早々頭文字 I に挟まれたことから愛に囲まれこれは幸先いいなとくだらないことを思った。

手術室は近代化甚だしく、これから宇宙に行くのか?と思えるほどのモニターとテクノロジーを感じさせる仰々しい機器に囲まれていた。

それに相反するかのようにチームS(なんだかんだ10数人いたように思う)は大学の緩めのサークル(大学行ってないので勝手なイメージであるが)もしくは、髪型自由ピアスOKの居酒屋のようなノリがあり、携帯が鳴ったりして「誰か携帯なってるよ〜」「わりーわりー オレオレ」みたいな会話がなされたり、S先生が麻酔の量を最初いくつからいって最後いくつでみたいな数値を麻酔担当らしきボーイに言うのだが、ボーイが全然覚えれず「いくつでしたっけ?」とか言って別の担当のガールが「いくつといくつだよ〜 もう 私の方が覚えてんじゃん」

あははは〜(笑)みたいな感じなのである。おいおいチームS こんな感じで大丈夫なのか?と不安になりかけたが、もしや敢えてこういう空気にすることでこの手術は大したことなくて楽勝なんだよということを暗にアピールし僕を安心させようとしてるのかもしれないという結論に瞬時に辿り着くことで逆に安心した。手術着が解かれ、手術用パンツも解かれ、僕の貧弱な身体を若きチームSに託し目を瞑った。血管に麻酔が入ってくる感覚を少し味わったのちに和やかに意識が遠のいていく数秒はとても気持ちが良かったとこまで覚えている。



僕の心臓が小さかった事で焼く範囲が少なく手術が早く終わったこと、興に乗ったTEAM Sが今後悪い電気信号を受け入れてしまう可能性がありそうな右心房の何箇所かもついでにやっといたよということを後でトキロックから聞いた。

きっとスラムダンクの山王みたいなチームだったんだろうなと、ありがとう常勝軍団。多分。
gigadylan 
夜はごうごうと風が強かった。頻尿で何度もトイレへ。イヤホンで睡眠導入音楽を聴きながら眠りを迎えに行こうと試行錯誤。
僕の心臓は小さいそうだ。道理で小心者な訳である。ずっと心電図を取っているのでナースステーションでは眠れてないことや、時に悪いイメージが沸いて緊張してしまっていることなどバレバレなんだろうなと思うとより落ち着かず、邪念を振り払うべく般若心経に切り替えたりするも、選んだものがバイノーラル録音仕様で臨場感が強過ぎ和尚と小坊主達の倍音全開の声が四方八方から攻めてきてより取り乱したりしてしまったりと、うとうと、おしっこ、取り乱しのループを繰り返しながら朝を迎えた。

カーテンが開かれると昨日とは打って変わって赤城山がくっきりにっこり僕を見下ろしており、「心配するな、保証はないが多分うまくいくよ」と言ってくれてる気がした。退院したら山の上の赤城神社に参拝しに行こうと思う。
担当医のS先生がやってきて大体の手術開始時間を告げられる。S先生は出身は不明だが言葉のイントネーションがどことなくはんなりしていて落ち着く。
トキロックと僕は昨日お会いした感じから、彼をカテーテルアブレーション界の若手ホープだという位置付けにし。脳内のお気に入り医フォルダーにはんなりと入った。きっとはんなりと手術を終わらせてくれることだろう。

SNSを見ながら朝食を。和テイストの朝食に牛乳なのか?と合わないなと思いながら牛乳を飲み干す。舌がパンとコーヒーを欲し売店へ。
コメントくれたり、念を送ってくれたり、気にしてくれたり。小心者の僕にはもうこのまま死んでもいいかなと思える(悪い冗談言えるくらいの余裕あり)くらいとても励みになっています。
4人部屋の他の方々はみんなアブレーション仲間(僕が断トツに若年であるが)で昨日、手術終わりの方を目の当たりにしたり、対面のSさんは色々と教えてくれたりしてくれる。
僕自身が一番ビビっているのはおしっこの管をいれることで、子供の頃血尿が出た時に一度やった記憶があるのだが物凄い痛かった記憶があり30年経って技術が進歩している、もしくは僕のペニス自体の感覚が鈍っている(あの時はまだ剝けてもいなかった)ことを期待。

さっき手術着に着替え点滴が始まった。一気に病人感が増す。
初めて飛行機に乗った時も初めてFUJIYAMAに乗った時もおしっこちびりそうなくらい心臓がバクついたが、今回は心置きなくおしっこちびれるというか漏らす心配がない点においては気が楽である。

あと数時間後には手術代の上。外はいつも変わらず夕日が沈む準備をしている。


gigadylan

病院のベッドの上でぼーっとYouTubeで動画サーフィンをしている。
2年半前に息苦しさや動悸息切れがやけに続き検査に行ったおりに持続性心房細動と診断され薬物治療を続け1度治りかけてみたものの昨年春に再発。ちょうどバンドの凍結が決まったり、トキロックの病気が悪化したり、その他諸々望ましくないことが重なっていた中で良からぬ電気信号が左心房に入り込み不整脈や動悸息切れを引き起こしてしまったのではなどとドラマチックなことを思ったりして気を紛らしているが実際のところこれだという原因を特定することは不可能であるし、意味のないことである。
カテーテルアブレーション手術をすることに抵抗はなかったのであるが、薬を飲みながら片手間ではあるがネットから得た不整脈に効果的なヨガや足ツボマッサージをやっていればひょんと治るのではという甘い期待を左胸に抱いてみたものの我が左心房は受け流し続けてるようなので、今年は何かと心機一転するのに向いており、このタイミングでしてみることにした訳である。
そんな大袈裟な手術ではないと云われているのだが、初めての手術であり、また心臓を焼くというイメージが焼き鳥のハツを連想させることから数日前からそわそわは勿論している。
今朝、病院にチェックイン。 

諸々の検査や担当医からの説明。副作用の話を聞いて納得するも、起こったところで自分に出来ること殆どなく、医師を信頼し委ねるしかない話である。また術後一ヶ月間は禁酒と言われ。次の東京でのライブは飲めないということに最もショックを受ける。4/5の京都nanoはさすがに飲んでしまうと思いますが、、、。

そんなことで明日、手術。成功率60〜80%ということなのでこれ読まれた方はお手数ですがほんのり念を送ってくれれば頼もしいです。

消灯時間21時まで あと10分。眠れればいいのだが。

gigadylan 

「今日、終わったらすぐ行かんといかんけえ、先に打ち上げしようと思うんじゃけど、考えといて。」とリハを終えた僕らに告げ、SiMoNさんがリハに入った。

このイベントもそうであるが、"SiMoNさんに誘われたら断れない"が僕とトキロック、いやmothercoatの掟であり指針である。ただ出番前に今はお酒を飲む気にはなれないのでお茶もしくはノンアルコールビールかなんかでと思いながらSiMoNさんのリハが終わるの下北沢を散歩(緊張していたのか無性に歯を磨きたくなって歯ブラシを買う為)しながら待っていた。

440に戻るとSiMoNさんは消えていた。あれっと思って電話すると「東京に来たら服とか見たいでしょう、いくつかいい古着屋あるから一緒に見よう」と言われ掟に従い、最初に紹介されたビンテージだからなのか優れたデザイン性なのか基本万単位の古着屋さんで買えない服を散策した後、「ちょっと僕らには高価過ぎますね」と正直に告げるとCHICAGOなら安いのも沢山あるよと言うことで見に行く。見に行った手前、何か買わないとという使命感が芽生え僕が持ってそうと思われても不思議ではないが実際は持ってない柄のセーターを物色し、一番最初に目についたセーターを買うことにしてレジに行こうとするとSiMoNさんが「服買うときは絶対、試着した方がいいよ」と言うもんで一応試着する。大きめではあったが、柄も気に入ったし値段も2000円と手頃であったので購入。SiMoNさんもそのことで満足したのか自分は買わず、軽くお茶でも行こうかといくつかお気に入りのお店に連れて行って貰うも、時代の移り変わりは早く、SiMoNさんが下北沢にいた頃のお店はなくなってしまっており、先打ち上げ難民になりかけるも、SiMoNさんが「あそこどうじゃろか?」と指差したビルの3階にある雰囲気良さげなカフェバーに入りノンアルコールで乾杯。約20分ほどの打ち上げではあったが、久々に会えた喜びを伝え、SiMoNさんの近況を聞いたりしながら濃密な時間をライブ前に過ごすことが出来た。


いい買い物が出来たと思っていたが、今日袖にでっかい穴が空いてることに気づいて値段に納得したのであった。


この日は近からず遠からずな久々に会えて嬉しい出演者ばかりであった。みんなSiMoNさんに誘われたら断れない何かがあるのだろう。440の店長さんとも僕らは認識していなかったが十数年前の名古屋の大学の学園祭に出演した時にCDを買ってくれたらしく、巡り巡っての再会であった。

同年代の働いている人達には平日の19時半は早くて来づらいかなと思っていたが、いろんなところで出会ったいろんな人達が観に駆けつけてくれてありがたい限りであった。

ライブにおいてはTシャツも持ってきていたのだが、今の自分ならタートルネックのセーターでも出来るのではと新しい挑戦をした。結果的に暑かったが、出来なくはないという気づきを得たことは大きな収穫であった。

ライブ後の温かな言葉や、称賛と捉えても差し支えないような言葉に気持ちよくなりつつも、それらに値するライブをやれてる気はまだしておらず、これからゆっくりとそれらに応えれるようにと思うばかりである。それでもヒサシさん(THE BEACHES)のツボを刺激できていたことは素直に嬉しかった。またこの日出演していたみんなと音楽の話を出来たことが何よりも楽しかった。


この日は写真とか全く撮ってなかったんだけど、twitterに動画あがってたので拝借。


発注先のトートバックのボディの在庫切れから、何か作らねばと作ったサコッシュの売れ行きが良く思っている以上に世の中の人は自転車に乗っているんだなという発見もあった。

まだ持ってない人は是非買ってほしい。自転車持ってない人はまず自転車を買ってほしい。


gigadylan

foltとはいつ出会ったのだろう?長い付き合いになる。

去年、秋に誘われた。まだ再開するとも公式に言っていない時だ。

とにかく嬉しかった。凍結直前の名古屋、トキロックは居なかった。

苦い苦い記憶を置いたままバンドは凍結した。


以前の僕らはライブをする為だけにいろんなところに行っていた。

行く場所と言えば銭湯とライブハウスと、打ち上げの居酒屋、帰り道のラーメン屋くらいなものだった。前日の夜中に向かって、その日の夜中に帰る、もしくは次の場所へ移動するが

ほとんどだった。僕自身はそれで満足していたし、そうすることでバンドの収支を安定させなければと思っていた。

今はどうかと言うと、のんびりと向かって疲れ過ぎない程度に観光(今はもっぱら神社巡り多め)したり、美味しいもの食べたり友達に会ったりしてのんびり帰ってきたいと、赤字にならなければまあいいかなというか、そこまで頭回さず(たまに記憶が蘇りスイッチ入りそうになるけど)、とにかく目標なくバンドをやるということに没頭している。


鶴舞ハポンはとても好きな箱だ。箱柄も良ければ働く人達の人柄も良い。今回はモモジさんにPAブースで遊んじゃって下さいと軽〜く言ったら、思ってる以上にがっつり遊んでくれて、一緒にライブしてる感がとても嬉しかった。まだまだ余裕を持ってやれる程場数も踏んでなければやり方も試行錯誤中だけど、失敗しながらも反省少なめに次はこうしようと進める今がありがたい。
みんなそれぞれに素敵だなと思える音楽をしていた、それなりに年月を経たバンドの集まりだった故転換の意識も高く、僕らの出番前にまさかの30分巻になり、バンド人生で初めてステージ上で30分待機という経験を出来たことは歴史に刻める記憶となった。  

打上げが名古屋と言えばの杏花村で、会えたらいいなと期待して行ったら期待通りの新栄R&Rの伊藤さんに会えて、年甲斐もなく抱きついてしまった。
トキロックなしでやった最後のロックのライブは伊藤さんが寂しくないように外音のロウを愛を持ってあげてくれていたことを僕は知っている。
また本多さんにも会いに行かなければである。

とにもかくにも良い夜であった。
観に来てくれた皆さん本当にありがとう。

明日は東京です。下北沢440。
再会。今はそれに尽きます。

2020年2月19日(水)下北沢440
open/start18:30/19:00 ¥3000+1D
w/SiMoN/CHUB DU/中野陽介(Emerald)/よしむらひらく
DJ:ヒサシ the KID/篠原信夫
私達は19時35分予定。
予約はalmondfishrecords@gmail.comにmothercoatで何枚とご予約下さい。

会えるの楽しみにしてます。

gigadylan

答えが出たのはちょうど東名から新東名に入る数分前のことだった。その時から遡ること90分前僕らは関越から鶴ヶ島JCTを八王子方面にハンドルを切っていた訳だが、何か聴こうかとなり数曲アップされていたLOOLOWNINGEN&THE FAR EAST IDIOTSの新譜を聴いていた。トキロックがふとアカクラの声は張り付いてくる声だからずっと聴いてはいられない声だなと呟いた。なんとなく音の立ち上がりの早い声や音楽は時に疲れたりするからということだろうと解釈し、なんとなく対照的だと勝手に思った声のsleepy.abの新譜に切り替えた。

以前の作品に比べ(全部聴いてきた訳じゃないけど) 声がとても近く感じる印象だった。やっぱり良い声してるなあと思いながら(mothercoat始めた頃はナリヤマ君の声に憧れたりもした。)も運転中に眠気を誘われてはまずいという危機感から、何か話でもしようとトキロックに「好みの声のアーティストって誰?」と問いかけた。「この声はいいなと思った人いるんだけどそのバンドの名前が思い出せない」と言う。

もっとすぐ名前出てくる人で好きな声の人いないのだろうか?と思ったが、それは気になるねというところから謎解きが始まる。提出された情報はアルバムのジャケットが女の人が頭の上に亀を乗っけていた。男性である。プログレッシブな音楽。どこの国のアーティストかはわからない。トキロックがネット検索するも該当するものが出てこず。これはドライブに最適な難題だなと頭の中にいろんな声を巡らす。途中、Steven Tylerの声は好きという意外な怪情報まで提出され、混乱する。いくつも名前をあげるも該当なし、いよいよもってトキロックもFrank Zappaを聴きながら、今聴いたら全然好きじゃないけど、これだったのかなあと弱気な発言。色々質問して更なる情報を引き出す。フジロックで観たことあるかはわからない。でもバンドのみんなでライブ映像を見てた気がする。歌というよりラップ?言葉の羅列っぽかったかも。そこで、あっプログレではないけど WHY?だ!と辿り着いたかのように言うも

答えはNO。気持ち悪いまま圏央道を車を走らせる。気分転換でもないがAEROSMITHを何十年ぶりかにちゃんと聴く。人間の声というよりも獣と同じ類の声に感じる。

このまま名古屋に着いてしまうのでは思いながら海老名JCTのカーブを曲がる。

この歳になると思い出せないことばかりだ。思い出せないままやり過ごしてる日々だ。

そういえばこれだけ長く一緒にいて知っていてもおかしくないようなことでも知らなかったなということがあるんだなと、なんとかどんな声が好きかは今世のウチに知っておきたいなと思いながら大井松田で右ルートを選択する。

トキロックから変態バンドとして絶賛されていたと思う。という情報が出た直後、

天から答えが降ってきた。


Marz Volta !!!!!!!!!!!!!! 


という声が御殿場に響き渡った。

もちろん、Marz Voltaを聴きながら新東名を西へ西へ車を走らせたとさ。

すっきりしたトキロックはMarz Voltaを聴きながら眠りに。

めでたし めでたし。


後日 ジャケを見たら女の人が乗っけていたのは亀ではなく甕だった。



にしても意外、、、、。

トキロックがMarz Voltaのアルバムを持ってることさえ知らなかったのであるから。

そんな名古屋への道中であった。


gigadylan


今年の目標はないが"再会"と"出会い"がテーマではある。

理由はどうであれ、活動をこちらの都合で休み、またこちらの都合で再開し、

その上、大した案内もせず都合よく観にきて欲しいと思ってしまっています。

情報も溢れていて楽しみ方も無限にある中で自分の音楽、ライブに足を運んでもらうことはそこに特別な何かがないと難しいことだろうなとあらゆる企業や人々のプロモーション合戦を見ながら思います。そのスピード感やマメさを見習わなければなと思ったり、小粒な焦りを感じたりすることもあるのですが、少し動いては休んでな毎日に慣れ親しんでしまったのか、その旨味に気づいてしまったのか、のらりくらりの延長に未来の希望を見出そうとしています。

みなさん色々あるの知っていますので、ご都合を擦り合わせて合った時に会いに来てもらえればと思ってます。

2月はこの2本です。


folt Release Party「in union vol,1」

-2020.02.09 (sun)@鶴舞K.Dハポン/名古屋-

■open/start17:30/18:00 adv¥2500+1D

■act folt/SIRMO STAD/diezel/'wl of the art/mothercoat

私達は19:30くらいから

予約はticket@mothercoat.comまでお名前と枚数を宜しくお願いします。


SiMoN Release Party「Waves"and"Live in New York City」

2020.02.19(wed)@下北沢440/東京

■open/start18:30/19:00 adv¥3000+1D

■act SiMoN/中野陽介(Emerald)/よしむらひらく

■DJ ヒサシ the KID (JERRY LEE PHANTOM/THE BEACHES)/篠原信夫(THE BLONDIE PLASTIC WAGON)

私達は19:40くらいから

ソールドの可能性ある為予約はalmondfishrecords@gmail.comにmothercoatで何枚とお早目にご予約下さい。


そんなりへったりな今の自分なのですが、まだまだ同じ時間を共有したい人や、行ってみたい場所作りたい音楽、やってみたいことが日々そこそこ頭に浮かぶもので、凄まじく長生きしたいとまでは思ってはないのですが、いつ死んでもいいとは思えず、今のスピード感でそれらのことをやっていこうと思った時にそこそこは生きていたいなという欲深さを持ち合わせており、こだわりで窮屈にならない程度に体は大事にしたいなと思う訳であります。

先日、整え間違いで体調を崩したと書いたのだが、あまりに喉が痛く喉の奥に違和感を感じたもので、もしや喉頭癌もしくは食道癌になってやしないかと検査しにいった挙句、ただの炎症ですねとキレイな声帯と食道の写真を前に宣告され、顔が赤く腫れ上がるくらい赤面して帰ってきた。先生やそこにいた看護師さん、受付の人、次に待っていた人等にこの人とんだ大袈裟ボーイだねと心の中で思われたことは間違いなく、死ぬリスクを減らす手段とはいえ、こんな自分の保身の為の甘めのジャッジで通院してしまっては先生方の手間が増え、他の患者さんの貴重な受診時間が足りなくなったり、また国から負担頂いてる7割の医療費が無駄になっている(すなわちみなさんが異様に気にしている税金の無駄遣いに繋がっている)とも考えられなくもなく申し訳ない気持ちでいっぱいになり心苦しく早死にしてしまいそうな気がしてきたのでこれからは体に関しては中袈裟ボーイを貫こうと心に誓った月曜日であった。

にしても喉が痛い、ライブ前は意識してしまう分より痛く感じてしまうのかもと言い訳しておこう。


今日もまた別件で前橋の病院に(病院マニアに認定されそう)訳あって受診しに行っていたのだが、帰りに農家のレストランKIMIDORIさんでランチ。先日、ナイツなラーメンで岩中豚が出てきて美味しそうだなと思っていたら今日のランチメニューに岩中豚のハンバーグがあり、迷わず注文。メインの前に出てきた自家製焼き野菜のアンチョビソースがけ(多分)も美味しくボリュームもあってさすがでありました。


gigadylan

1月を出た。つまり2月に入った。ということになる。出入りを自由に選べなくとも僕は日本の表現感覚の中で育ってきた影響かはわからないが、自分軸で日々を過ごせていると錯覚した時、絶対的な時間軸に対しても出入りしている感覚に陥ることも可能なんだなあ。なんてことを考えながら、朝から最近ハマるとこまで持っていきたいと続けている腸ヨガをし、官足法に乗っ取った足ツボ揉みをしている。足ツボ揉みは強烈な痛みを伴う。リラックスしながら痛みの我慢の限界までツボを押すことで効果があるらしいのだが、リラックスすることは至難の業ではないかと苦痛に顔を歪めている。これでは続ける気にならないと痛みを堪えるのではなく素直に「痛たたたたたたたーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!」と声を張り上げながらやると段々笑えてくるいう大技を繰り出すことに切り替え、なんとかかんとか第二の心臓の血液の巡りがより良いものになればとやってみている。

何故、そんなことをやっているかと言うと。先の記事でも書いた認知症の父が昨年末、もう死ぬのではと思ってしまうくらい状態が悪かったのであるが、足揉みの先生に来ていただいて週3回か4回2時間かけて揉み続けてもらってる(父の場合は体の状態に合わせた力加減で)うちに血色も随分と良くなり、良いのか悪いのかまた少し元気になったということで興味を持ち、実際にその先生にも会って、やってるところも見て、自分もそれなりに体の不調を嗜んでいる身であることからやってみたらどういった変化が現るかを試してみたいと先生の信念の100分の1くらいの興味本位のみでやり始めてみている。


昨日は足利にある足利織姫神社に行っていた。縁結びのご利益があるということでツアーの先々で新しい縁に恵まれればと参拝。そして振り返れば天候にも恵まれ関東平野の先の富士山まで見えありがたい限りであった。写真を撮ってみるものの遠くから見えた富士山は携帯で写真に撮っても伝わらないランキングベスト5にランクイン。因みに1位は今日の月、でかい!!と思って撮った月である。それはさておき清々しい気持ちで社を後に。


帰りに"孤独のグルメ"で見た、太田にあるブラジリアンレストランに行く予定にしていたのだが、前日の夕食ががっつりラムステーキだったことが尾を引いていることに気づき、胃腸にお伺いを立てたところ、その近くあるオーガニックレストラン"ラ・スール"に切り替えることに。

入ってみたら、土曜日ということもありそこそこ混雑していたのだが僕らが客層としては最若手に位置していた。そこら中から聞こえてくる会話は主に健康談議に終始していた。そこに僕は薬膳師の資格を持っているからということから始まり、とにかくウチの料理を食べてれば体の不調はなくなると言い切り倒す健康哲学強めの店主が客に呼ばれてはホストのように飛び回ってはその哲学を語り、お客さんは熱心に聞いたり尋ねたりしていた。壁には額縁に入った資格証とあらゆる山を妻と登頂している写真が貼ってあった。店主から放たれるその揺るぎない信念を食べている、もしくはその店主の健康体をお裾分けしてもらっている気分になった。僕が食べた薬膳カレーは丁子(クローブ)がかなりわかりやすく効いていて僕好みであった。

帰り道についで、冠稲荷神社にも寄って帰る。ここは何とも商業色強めというか複合施設になっていており、幼稚園からカフェ、結婚式場まで併設していたり各所にインスタ投稿推奨スポットを設置していたり、立派な金木犀の木の周りにガラス張りの円形の神札・御守処があるという何かとモダンな神社であった。





体に好いことや、心に好いことに惹かれ実践したり外に出て行くも、案外その場のパワーに圧倒され帰ってくると思いの外疲れていて、体調を崩したりしていることは内緒にしたいところだが、実際、昨晩からちょっと崩してしまった。ある筋の情報からそれも好転反応の一つなんて思い込むことでこの本末転倒的な状態を笑うのも人生の醍醐味であるものです。



とりあえずレッドブル飲みたい、、、。トキロックに嫌な顔されるけど。




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先週は少し遅めの正月休みとして実家に帰っていた訳だが、予想と覚悟をしていた母親の息子夫婦にやってもらいたいことシリーズが開幕。8割方、認知症で施設に入ってる父親にまつわるあれこれである。母はお任せすべくお金を払って預けている施設に毎日通ってあーだこーだやっている(施設の方からは僕らに任せてお母さん、もっと休んでくださいと言われてしまってるくらいに)。

母は自分の足が悪くなく体がもっと丈夫であれば本当は自宅で自分が介護したいのである。その方が体は休まらないが近くにいることで心が休まるのだと思われ、かつての水と油の仮面夫婦はこの状況になり、今また出会った頃のようにお互いを必要とし、一緒にいたいと思い合ってるように僕の目には映っている。ヨメトキーが随分と元気になった今、僕らが実家に戻り介護補助すれば母がもっとも望んでいる形になることは口に出さずとも察しているが、僕自身は家族愛という観念(血の繋がりに拘る考え方)に疑問があったりするのと、僕が感じてきた父は"何もしなければ何も起こらないし誰も困らない"の人だった。父は何につけてもよく怒っていたが、今思えば人間の欲望に対して怒っていただけなのではないかと今は思う。とにかく「そんなん、せんでいい」「そんなん、いらん」と声を荒げ眉間にシワを寄せていた。とにかく僕は母を中心とした僕らがこうあって欲しい(こうしたい)父の最期ではなく、なるようになっていく父の最期を今までとさほど変わることない距離感で見届けようと思っている。


母は自分のこうしたいに突き進む人である。"何かをし、何かが起こり、時に誰かを困らせる"側の人である。

年末に自分たちが納骨されるお寺に行き、戒名の候補をもらいにいっていた。僕らが帰ってきてすぐ、「この中やったらどれがいいかね?」と5つの候補から選ばされた。母と僕とヨメトキーでせーので指を指すことにした。僕とヨメトキーはさすがで同じものを指した。そしてこんなことに無駄にプレゼン能力を発揮し母を納得させた。翌日、妹にもどれがいいと思うか一応聞いた。妹は消去方でこれとこれはないかなということで3人が決めたものは消去されなかったので、4人でお寺に行き住職にこれでお願いしますとなった。その勢いで母も私のももう貰っときますとなり、母の戒名も暫定的に決めることになった。そしてこの日から両親を呼ぶ時は戒名で呼ぶことを採用することにした。

住職さんはこちらの質問に基本、ありがたい法話を交え返答してくれた。母は基本、葬儀のお金がどれくらいかかるのかということを具体的に聞いていた。びっくりするような額ではなかったが、葬儀にそれくらいかけるのが一般的というならば、その感覚を取り払い、未来ある命にそのお金を寄付した方がいいと思うのだけれど、仏様はどう考えられているのでしょうか?と尋ねてしまいそうにもなったが、ここは朝まで生テレビの会場ではないということを強く認識して飲み込んだ。


年末、父の調子はかなり悪かった。内臓のどこかから出血してる疑いが便から垣間見れたこともあり、14日中央病院へ検査するために連れて行った。前日、もし悪い箇所が見つかっても治療しない(出来ない)ということを話し合って決めていた(悪化することで痛みを伴う場合は出来る限りの痛みを和らげる処置をしていただく)のだが、そもそも検査自体も今の状態で出来ることはかなり限られていて胃カメラと腸のエコーを撮ってもらうことくらいしか出来なかった。それでも母が連れて行きたかったは何もしないということにどうしても罪悪感が伴う環境で生きてきてしまったからではないだろうか。母は僕がいるうちに実家一度に連れてきたがっていた。父も家に帰りたいだろうと母は思っているようだ。実際はわからない、そうかもしれないし、どこで何されるかもわかってないままいろんなところに連れ回されてる父の安らぎはもはやこの世にあるのかも謎である。それでも付き添っている僕らは父の一挙一動からこちら側の主観で何かを感じ、何かしてあげたいと思ってしまうのが常であるが、僕の思いは変わることなくもうゆっくり休ませてあげて欲しいし、母には残りの人生を父の介護以外の何かに費やして欲しい切に思う。


父と過ごしたこの何日かの数時間は、食事を食べさせたり、排泄を手伝ったり、体を揉みほぐしたり、強く抱きしめたりとこれまでの人生でもっとも父と触れ合った時間となった。

便にまみれた父の陰茎と陰嚢を拭いていた時にあまりに柔らかく伸びる(本気で引っ張れば膝くらいまで伸びるんじゃないだろうか)ることに気づく、しかも手触りもとても良く、特に陰嚢の方であるが、金玉袋っていう一般的な偏見がなければ伸びるけど耐久性に優れてそうな感じがちょっとした鞄の素材にいいのではと冗談でなく本格的に思ったりしてしまい、自分のモノも年老いた時、その様になり特に使うこともないのに付いているだけの状態に達したならば、切り取って何かしら別の用途に代用出来る時代になっていればいいなと思ってヨメトキーにその旨を伝えたら一蹴されてしまった。恐らく大衆の賛同を得るにはまだまだ世紀を跨がなくてはいけない話なのだろう。


ヨメトキーがハマりつつある神社巡りの一環で産土神様をお参りしに行った。

2拍手の音を高らかに響かせたい(ネットで調べた方法で)と欲を出し、力でないことはわかっていながらも力が入り鈍い音になってしまい、そのミスが気になり神様にそのことを謝るというようなことが神社巡りでは3回に1回くらいある。参拝に上手い下手があるのかはわからないが、相変わらず邪念が多く、参拝に集中出来てない自分を見透かされてるようで、毎回最後の一礼の際には「なんかすみませんでした、、、。」となってしまう。

せっかくだから僕が生まれた時、両親が住んでいた家の辺りも行ってみようと母から住所を聞いたのだが、google mapにその番地はなく、神主さんに聞いてもこの番地はないですよと言われ。母に再度確認しても、「ちょこっと路地入ったとこよ」と路地だらけの町で言われたまま狐につままれたような気分で帰路についた。


そんなこんなで今年の正月休みは終わった。

少しずつ今ある曲をカタチにしていければなと。

ライブの方も、嬉しいことにちょこちょこ新しいお誘いも頂いていてありがたい限りです。

停滞していた、停滞させていたいろんなことが対応できるくらいにまで整理されゆっくりと進み始めている感覚の中、少し自分に期待してもいいかななんて恥ずかしいこと思ったりしています。


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