BLOG

朝、天気が良いと水やらなければという使命感で起きることが出来る。
顔も洗わず外に出て水をやっているうちに目が覚める。

風が気持ち良かったので外で朝食を食べることに。

実は告知も直前になってしまったが9月5日に千葉稲毛でライブが決まっている。

今年初めに活動再開にあたってCamelliaのタカシに
夏くらいに稲毛にも行きたいし一緒にもやりたいと僕から言ったのをちゃんと覚えていてくれて難しい時期ではあるけどカタチにしてくれた。

観に来てくれればいいなと思っているけど、各々に感染予防のスタンスがあるだろうから配信でもいいので観てくれたらいいなと。


▲残暑にも千葉にて再会を試再開▽
■9/5(土)@稲毛K’s Dream 
“COMUNNICATION” vol.70
-act-
camellia
shane(trico)
世界のユイさま
mothercoat
start/18:30 adv/¥2,500 配信¥2,000
https://twitcasting.tv/ksdream1995/shopcart/21531

今しか出来ない楽しみ方がこれからをより楽しくさせてくれると信じて。

僕らは19:10演奏開始予定。


僕らはライブがないと練習をしない、昼間は暑くてやる気にならないので日が沈み始めてからノソノソとやり始めるスタイルがこの夏の我々のトレンドになっている。


そんなことで、昼は近くに今月は2日しか営業していないimaさんという素敵なパン屋さんを見つけたので行ってみたり、今日は野菜をたっぷり食べたいなと産直によって茄子とトマトを買って帰って来たりしたわけなのだが帰って来たら、ご近所さんから夏野菜玄関先に置いといたよの連絡が。

ありがたや〜


と思っていたら、夕方にはお隣さんから茄子が沢山成ったから取りに来ての連絡が。


これに買ってきた茄子もあるから当分は茄子三昧である。

ほんとにご近所さんに恵まれ過ぎて、その恵で僕らは生かされてます。


時を同じくして、止めていた時計の針がいろんな人の思いによって動かされたかのように昨日は急にメッセージや電話で会いたい人からライブの話が3件も舞い込んできた。

あまりに立て続けに来たので神のお告げのような気になったりもして、これは現実的に否が応でも本腰入れて練習しなければいけないという事態に数時間で発展したことで少しばかり目眩がした。

あまりのプレッシャーと暑さも合間ってビールを飲みながらリハに臨むという過ちを冒してし数曲グダグダなままリハを終える。お互い課題は多いがスイッチが入るとそこそこやる二人なので楽しみにはして頂ければ。

全くの白紙だったカレンダーにありがたいことに書き込む予定が出来ました。

今年は半ば諦めていた再会を今しか出来ないカタチで出来ればなと思っています。

2020秋冬、mothercoat 微活動するので何卒よろしくお願いします。



GD

朝から木を切って、昼寝して、ナウシカ読んで
夕寝して、落ち葉集めて木の枝と
一緒に燃やしながらご飯食べただけの日だった。 


トキロックは炊事洗濯を除いては一日中編み物していた。

他にやらなければいけないことがある
気がするのだけれど、
別にやらなくてもいいことばかりやっている。

そもそも仕事も別にやらなくてもいいこと
なのかもしれない。 

生活の仕方さえ身につけてさえいれば。






GD
ここまでやらなきゃいけないのか。

率直にそう思った8月15日。

水戸SONICの感染症対策は徹底されていた。


5ヶ月ぶりのライブであり、初の配信ライブ。

正直なところ、本番始まるまで個人的には気の持って行きどころを見失っていたこともあり配信も観て欲しいような観て欲しくないようなそんな心持ちであった。(誘ってくれた伊香賀君や主催のkidonoのみんなには申し訳ない、、、。)

アーカイブが今は見れないようだけど、いつか見れるようになるかもです。

(その時はまたSNS等でお知らせします。)


我慢と新しいライブハウスのあり方、楽しみ方の模索。

新時代到来のワクワク感より、甘い甘い密の味をどこかで求めてしまっている

自分がいることに気づかされた日でもあった。

そういったこともありMCでは随分と駄々っ子のような事をぽろぽろ言ったが、

全て本音ではある。


それはそれとして、久しぶりに音楽で交わる人に会えたのは本当に嬉しかった。

その中でもUHNELLYSの新機軸での初ライブを観れたこと、終演後ゆっくり

話しが出来たこと、特に音楽の話が出来たことは何より楽しかったし刺激と

なった。そしてやはりそういう場は自分にとって居心地の良いところであった。


ロケットダッシュレコード伊香賀君には本当に感謝、感謝である。

つくばロックフェスも大成功になりますように。


GD




夏が来たら、みんなを家に招いてBBQでもなんて思っていたが、

どうやらそれもどうなのかな、、、と

思わされてしまう状況である。


一寸先が闇でも光でもない不透明気味の透明な感じが思いの外心地良かったりもして、

適当な僕らはそれなりに楽しくやってます。


色々と映画とかもprime videoで観て良かったなあって毎回思うんだけどすぐ忘れてしまう。


昨日はこれでした。

藤山さんと岸辺さんの演技を超えたオーラというのかパワーが心地良く、音楽も

素晴らしかったので、ソーミンチャンプルーと冷やしトマトに冷奴にビール飲みながら

観るといいかもです。


先週は父の初盆と百箇日法要の為、一泊二日で実家へ帰っていた。

オンラインじゃダメなのか?と言ったが、今は母にとっては父への法要が当面の明確なやることとして生きる力になっていることもあり、母の気持ちに一周忌までは寄り添うことにした。

我が家の父の遺影は、ある夏、床屋に行き突然パンチパーマで帰って来て家族一同どよめいた時期の父の写真を選んだ。

こんな綺麗な海と砂浜に囲まれながらこんなしかめっ面でポーズとれる父が今は愛おしく思えたりもしている。

線香あげる度、半笑いになってしまう。日焼け防止なのか?何故、ジャンパーを着ているかも謎である。父に対する思い出は少ないが残された写真を見返すと、あの頃感じていた以上に愉快な人だったんだなと今は思う。


GD






随分と久しぶりに記事を。


ジメジメとした日が続いていた。

何も書く気がしないし読む気もおこらないことを天気や気圧のせいにして

梅雨明けを待っていた。



実は6月から新しい職場で働き始めた。

昔、お世話になった方が新しいお店をオープンするということで手伝い始めたのだが、コロナ事情はどこ行った?緊急事態宣言が明けの間違った解放感がそうさせているのか?ありがたいことでもあるのだが思っていた数倍の来客に驚く隙もないてんやわんやな忙しさに自分のスローライフは一転、悩む暇もなく全否定はしないが肯定は出来ない日本的資本主義社会の渦に再び巻き込まれて(飛び込んで)しまうこととなった。

そういった中でその構造に問題意識を持つ暇もあらず、大きな病気や、不幸、不祥事などなくここまでこれてきた人達にとっては何の疑いも持たず突き進んでしまうんだなということを体感している。そして、スピードとパワーのある者が認められ、更にそこに高いクオリティーの生産力を保てる者に従うというような職場の雰囲気が出来上がっていく様(おそらく多くの人がそれ普通のことじゃない?って思うだろう)を見ながら、また自分もその歯車のそこそこ重要な一端になりながら、一生懸命に働くお母さん方、フリーター、学生の皆さんと時間を共にしながらこれから社会に出ていくであろう子供たちにとって仕事とは人生とはこういうものでいいのだろうか?ということを考え始めると、どうしても申し訳ない気分になってしまう自分がいる。

結局のところ自分は疑問を持ちながらもその社会構造に適応出来なければいけないという観念の教育環境で育ってきてしまった功罪なのか、思いの他、適応出来てしまっており、時としてスピードとパワーで他のスタッフに有言、無言の圧をかけてしまっていることも無きにしも非ずである。

僕らの世代から上の人たちが体感してきた日本人的豊かさを保持することに安らぎがあるかどうかは謎ではあるが、そういう風に育ってきたし、今も目の前の日常はその残骸の中(言い過ぎ?)にあり、骨組みを変えることはそうとうなパワーがいるので繰り返し繰り返しリノベーションしていく必要が少なくとも自分の人生においてはあるなと思っている。少なくとも経済活動で豊かさを取り戻すというような時代ではないのではと思えてならないし、あと2〜300年もすれば、「かつてお金っていうものがあってね〜 みんなそれでやいやいやっていたんだよ〜」みたいな会話がAIも交えなされているのではと勝手に妄想している。死ぬ間際、その片鱗を少しでも垣間見れたらなと思っているがどうだろうか?


生きてるだけで価値があるということはまだまだ理想であり基本となるまでにはまだまだ時間がかかると思ってしまうのは僕みたいに違和感を覚えながらもこの社会構造に適応出来てしまう人が沢山いることで、適応出来ない人たちの苦しみを生み出してしまっているなと考えられなくもない。

そしてその状態は適応出来てるだけの人たちも適応できない人たちも両方共に生き辛さを感じさせてしまっているのではないかとも思う。

そんな中、意味のない日常がとても有意義に感じられたりもしている、休日、ベランダに小さなハーブ園を作ったり、ミニトマトやゴーヤを植えたり、モンステラを植えかえたりすることに意味はない。しかし、それとなく気分が良くなっていた、5、6、7月であった。

そんなこんなで、すっかり音楽制作はストップしてしまっていたのだが、

先日、思い立ったようにMVを作り始めたら夢中になり、すんすんすんと新曲" TOUCH W "MVを公開出来たりするのは自分にとって音楽表現というのは生きがいなんだなということを再認識させられる。

どうにもこうにもまとまりの悪い記事であるが、もし今、この現在をまとめられる人がいたとしたらそれはきっと思い込みが激しい人か思想が強過ぎる人ではないだろうか。


GD

頭の中を整理しないととは思ってはいるのだが、今はこう過ごすべきだと定めれるほど確定的な未来がないのをいいことに散らかしたままにしている。


何かと問題提起しがちな世情である。

だからと言って素晴らしいことも山のようにあって、素晴らしいことから決して目や耳を逸らしてはいけない。


今もボブ・ディランの新譜を聴いているというか流しているのだけれど、

もはやディランの声さえもボブディランという楽器として聴こえるレベルである。

とにかくサウンドが温かく、ずっと流しておけるくらい素晴らしいのである。


梅雨は明けたのだろうか? 

今朝は朝日が差し込みパッと目が覚めた。

トキロックはすでに起きていて、久しぶりに二人とも朝から調子が良かったので

散歩に行くことにした。

きっかけは忘れたが、遺伝子組み替えについての話になり、そこから

陰謀説や局地的悲劇を過剰に全体的危機感に導く情報に触れた時の対応について

議論するという異例の散歩となった。

何気ないことをきっかけに思わぬ方向に進みすぎてしまい、思っていたのと違う時間を過ごすことなんて日常茶飯事である。


だからと言って落ち込むこともない。

先のことは常に予定や予測であって確定した未来は絶対的にないのだから。


夏が来なかったとしても落ち込むことはない。

素晴らしいことは海のようにある。



GD





色々なこと。試して、妄想して、楽しかったり、飽きたり疲れたり。

この前晴れたの、いつだったか?   思い出せない。


ベランダのミニトマトの為にも、

裏の水路の亀の親子の為にも。 

洗車したい人たちの為にも。


晴れの日、待ってます。
mothercoatの現状、最新です。



会えなくても、触れ合えている感覚、
それを頼りにゆっくりアルバムを作っています。

とてつもなく無計画なので待ち望みは
ご遠慮下さい。

ある日突然、いつの間にか。

不確実、不確定、不安定を愉しめなくなるような
世界にどうかなりませんように。



GD






先日のことである。襖を開けたら、畳の上にうんこがあった。


自分がしたものでない限りはまずは嫁(トキロック)を疑うのが筋である。問いただす前に念の為うんこに近づき凝視してみる。嫁のにしては随分と情報量多めのうんこだなと率直に思い確認の為、嫁のもとに足を運ぼうとしたその時、横にあった椅子から障子にかけてまったり寛いでいる蛇がいることを視覚的に認識する。しかしながら思考が追いつかず、その椅子の前で立ち尽くし、生ライブ配信のチャット画面的な表現をすれば、ひたすら?????????????

を送り続けているような時間を費やしたのち、その部屋を離れ嫁に一連の自分の目でみたことを伝える(この時点ではまだ幻覚の可能性もなくはないと思っている)。

iPhoneカメラと嫁を携えて再びその部屋に足を踏み入れると、やはりうんこも定位置にあり、おそらくそのうんこの出処でもある蛇もさっきと寸分は変わったが椅子から障子にかけてやはりまったり寛いでおられた。

僕の"だろっ"と嫁の"えっ"の顔が向かい合ったまま時が止まり、何とか時を動かすべき対処方を探るも、このまま嫁を布団に押し倒す以外浮かばず、それはおそらく今じゃないことは嫁の"えっ”の顔が物語っており、そのまま数分、僕らの体感ではなく人類が定めた時間だけが過ぎ去った。

そして一通りの"唖然"を堪能したのち、二人の直感的共通認識として守り神が現れたもしくは先日亡くなった父が我々の様子を見に来てくれたのでは?というのがあり、それを踏まえた上でこの蛇様に対する我が家の方針を固めなければいけないということで、蛇に関して無知な僕らはSNSを駆使してこれが何蛇であるのか?と共に毒の有無を確認させてもらった結果(情報くれた皆様に感謝!)、思う存分我が家で寛いで頂いて構わないという結論に至った。

上記に書いた父が我々の様子を見に来たというメルヘンな考察には訳があった。先日、父が火葬されている際、僕ら家族は3密を避けるべく外のちょっとしたベンチでおにぎりを食べながら父の焼き上がりを待っていたのだが、

おにぎりを食べるぐらいでは費やしきれない時間の中、僕は一人ふらふらと散歩していた。すると後ろで、ぼたっ という音がして振り返るとこの記事の流れでいうと勿論のことながら蛇が居たのである。

ああ父は蛇になったのか、もしくは蛇の姿を借りて様子を見に来たのか、なんてロマンチックなことを思い、家族にその旨を伝え、「そうかもねえ」なんて談笑をし、諸々の葬いを終え自宅に帰ってきた矢先に我が家に蛇が再度現れたものだから、この偶然をエビデンスの取得に拘らず何らかの繋がりを想像し楽しんでも罪ではなかろうと、母に「父さん、家にも来たよ」と連絡し動画等送ったら、母も妹家族も「父さん、あなた達が一番心配で見に行ったのね」とそれなりにロマンチックな時間を過ごせたようで何よりであった。

その後数日、その蛇は姿を見せなかったのでお帰りになられたのかと、少し寂しい気持ちもありながらそれが父さんであったならば、49日まではそこそここっちの世界で好き放題やれる中での一コマであったのかななんてことを勝手に思っていた矢先に再び忽然と現れた。

生前、父は地元の言葉で言うならば"いちびり"なところがあったもんで、僕らが少しはしゃいでることを察してか、部屋中を使って脱皮をするというライブでいうならアンコールで最もお客さんが聞きたがってる曲をやるというようなノリで脱皮を披露したもんで、僕らはものの見事に歓喜乱舞したのであった。

脱皮に感激しているトキロックの記事はこちら。

翌日、ただのアオダイショウであれ、我が家の守り神であれ、父が一時的に姿をお借りした蛇であれ、我々は十二分に触れ合いを堪能させてもらったことから、そろそろ我が家から外の世界にお帰り頂くのがいいのではと、いつでも窓の外にいざなえる準備をしていたが、結局その日は我々の前には姿を見せることはなかった。

そしてその翌朝、尿意の為、布団から眠い目を擦りながら襖を開けると我が家で最もカラフルな場所に父(蛇)はおり、「ワシはようわからんけど、この感じ、インスタ映えとかするんちゃうの?写真撮っとき〜」とこっちを見て舌をペロペロするから、「僕、インスタやってないけど、トキさんやってるから撮っとくわ」という脳内会話と共にシャッターを押した後、父さんは鴨居に入っていって数時間後完全に姿を消した。

それが僕個人の見解としてのこの世での父との最後の会話となった。

今回のことをSNS等でも書いたことで友人や知識ある方々から、アオダイショウが家に居るとお金が舞い込むというような言い伝えを教えてもらった。コロナ下で収入が激減した僕らはその言い伝えに淡い期待を寄せていたわけではないが、そうなればいいねえぐらいに思っていたら、一昨日、トキロックの勤務先の休業中の補償が10割補償になりましたというメールが届き、その会社の社長さんと共にほんのりとこのアオダイショウにも感謝した次第である。


GD

自分は不自然な人間だと思っているが、不自然なことは人間社会の構造上肯定すべきだと考えている。

何を持って不自然と思うかというとやはり人間以外の動物と比べてということになる訳で、一概には言えないが僕の目から見ると動物の方が自然体で生きているように見えている以上は自分は不自然に生きてると言っても不自然ではないだろう。

それ故に自然体に憧れを抱いてしまうのは人間にとっては自然なことで、出来る限り自然体というものを心掛けていたりもするのだが、"心掛けてる時点でもはや自然ではない"のループから抜け出すことは極めて困難であると考える。

僕自身は人前に出る時、ある程度の世間体を気にして生きているつもりである。ある程度の格好はつけたいなと思っている。ただ格好つけてるなと思われたくないなとも思っている。格好つけてないのが格好いいなと思われたらいいな(上記の自然体を心掛けてる状態)とも思っている。そんなこと思ってるなんて格好悪いなと思いながらも、要は何にせよ格好悪いと思われたくないと思っているところがある。

しかしながら近年は、以前に比べ鼻毛が出てても、ホクロから長い毛が生えていても気にしなくなりつつある、もちろん世の中や隣人が切って欲しいと言えばそこに抵抗するほどの主張があるわけではなく素直に従うが、出来れば鼻毛が伸びている(伸ばしている)アイドル等の活躍により、鼻毛を切らなくてもとやかく言われない社会になれば生きてく上で無駄な手間を省ける人たち(自分込)が増えていいなと思ってはいる。実のところこれは鼻毛に特化した話ではなく、伸びるものも抜けるものも潤ってるものもカサついているものも下がってくるもの上がっていくものも逆らうお洒落もあれば従うお洒落もあることが往々にして望ましいと感じている。

一方、トキロックも何かと”自然”という概念?観念?に惹かれる傾向にある不自然な人間である。

彼女は彼女なりの格好のつけ方があり、格好つけてないわけではない。自分の美的センスも何となく持ち併せており

料理の盛り付けであったり、人に会う時の服やアクセサリーであったり髪型には彼女なりに気をまわしたりしているし、

体重や体型も気にしたりしているし、他人に格好悪いと思われることは彼女もやはり望んではいない。

特筆すべき彼女の特徴としては若かりし頃は奇抜な染髪や化粧を施していたこともあるが、近年は自分の身体に手を加えたり負荷をかけることを異様に嫌がる傾向が強くなってきており年々それは顕著になってきている。

故に全く化粧もしないし、毛染め、パーマもしないし、もちろんピアスも開けない。

数年前から陰毛の処理はもちろん、脇毛も剃らなくなったりしている。

かつては締め付けられるのが嫌だとブラジャーもしなかったのだが、夏場、あまりに乳首が露呈する素材の服を着る場合に限り、世の中にはそこに反応してしまう男性もいなくはなく、シチュエーションにおいてはそれが社会的に宜しくない方向に発展する場合が無きにしも非ず、ユニクロ等で売っているキャミソールの下にカップみたいなのがついてるものを社会の為に着た方がいいよと僕が助言したことでブラ着けない規制は多少緩和されたりもしている。

ひと昔前だとおそらく”女を捨ててしまった”とか”おっさん化現象”と言われてもおかしくない感じではあるが、もはや性別では括れない時代に突入しているわけで僕はトキロックのそのいわゆる人工的な美よりも動物として美にこだわってる姿勢をバンドメンバーとしてまた夫として見守っているわけだが、このままいけば、顔の成り立ちから察するに頬の肉がより重力に従いパグ化が進み新たな愛くるしさに繋がる気がして10年後を楽しみしてたりもする。

そんな二人が一緒に暮らしているわけであるが、自然体への憧れが間違った方向に進化し家の中ではシロテテナガザルの歩き方を二人ともに意識して模倣している。


自分たちはどこに向かっているかは謎だが、そのような動きをしている時は異様に楽しいので皆さんも気が向いたらやってみて欲しい。



GD

先週、トキロックがニュースを見ながら不意に"white"はいいこと歌っていたねと言った。

次のアルバムに再録しないかなんてことを言うからそれどころではないと空返事を施した。

先日、オキシクリーンを使ってダイニングキッチンの床掃除をし始めたことから、どこをどう間違ったかmothercoatを始めた頃の音源を引っ張り出して聴いてみるという事態に発展した。

自分の才能を疑う余地を与えず、がむしゃらにわがままに自分から出てくる全てが正しいと勘違いしていたあの頃、ひたすら言いたいことややりたいことが怒涛のように浮かび続け、その全てを作品にしていたあの頃の自分はもういない。他人が作ったようにも思えるそれらの音源を聴きながら自分もいつ死ぬかわからないし、mothercoatの歴史として残しておきたいという気持ちが芽生えると共に我が家の財政事情と向き合いトキロックとの話し合いの末、浅はかではあるが今すぐ出来そうな一つの手立てとして"in coat"という当時、家に篭ってMTRで作ったミニアルバムをこのタイミングでBandcampにリマスタリングして販売することにしました。

15年前のSTAY HOME作品。

家で踊ったり、くつろいだり、愚痴ったり、物思いに耽ったりするのに最適な4曲。

当時のmothercoatを知ってる人は大いに懐かしんでください。

初めて聴く人にとってはどうだろな?ある意味、新鮮かもしれません。

今、それどころじゃないって人は少し肩の力抜いて深呼吸してください。

そして収入への不安が少ない方、

メルカリで売れそうなものを山のように持ってる方、

親の遺産が有り余って仕方ない方、

これから宝くじを当てようと思っている方、

課金購入してくれたら

僕らの今が助かります。

同時に音楽配信のサブスクリプションやってる方はmothercoatの音源もありますので

気が向いたらというか気を向けて貰って聴いてくれたらこれもまた幸い。

[ Spotify ]

[ Apple Music ]

[ Amazon Music ]

[ Google Play Music ]

[ YouTube ]

white

たとえば

ロシア人の着ている服が

必ずしも暖かいというわけではない

要は人柄である


たとえば

オランダの大地の風が

必ずしも強いというわけではない

要は土地柄である


遠い空の下というよりは

遠い地の上の空という方が

適切ではないだろうか


肉眼で捕らえた風を虫カゴに入れるボク

恥と言われる事柄に対して

ボクはまったくの無知で有る


gigadylan

丸々、2週間ほぼ家にいる。最初の1週間は家のことをやっていた。

何となくやりたいなと思っていたこと、トキロックにやって欲しいと言われたことを。

スーパームーンの日にLUNAというレコーディングシステム(DAWだけどDAWじゃないらしい)が無料でリリースされた。これを待ってたという訳ではないが、これを待っていたかのようにその日から最近録っていた曲の制作に拍車がかかった。LUNAは日本語の情報が殆どなく僕からすると物凄い早口の英語のチュートリアル動画を再生速度0.5倍速で見ながら(英語を聞き取れている訳ではない)1日はほぼ基本的な使い方を学ぶことで終わった。

そしてLogicというソフトでほぼ完成していた曲のデータを移し替え、MIXからすべてやり直すことにした。何故、そうしてしまったか? 慣れ親しんだ環境とこのタイミングでお別れしてみたくなったのである。

もちろんLUNAの方が優れているだろうことが沢山あるからUNIVERSAL AUDIOが満を持してリリースしている訳で、これからのアップデートにより進化していくことも楽しみではあるのだが、僕の理解力では現時点ではやり方がわからないことの方が多く、バグなのか、僕がたまたま押したキーが何らかのショートカットキーになっていて予期せぬ事態を招いているのか?謎なことが起きたりもしている。

それでいいのである、Logicだと簡単に出来ていたことが、LUNAでは出来ないというのが今の僕には必要火急な大事な要素であり、それはこれからどうなっていくかわからない世界と自分の暮らしに対しての免疫力となり得ると考えている。こじつけが激しさを増していることは承知であるが、それくらいありとあらゆる習慣に基づいた思考の回路を変えていく準備をしておかないととはどうしても思ってしまう現実が目の前にある。

日本政府のcovid-19への対応と同じように僕もLUNAを前に二転三転している。その対応や方法が合っているかどうかも六信四疑のまま制作を進めている。重みが違うのは、ここで駄作が出来ても自分が落ち込むだけで、誰も死なないしそもそも完成しなくても誰も困らないということがアーティストにとっては救いようのない救いである。とにかく、流倒木作品(作品というのはおこがましい)以外にもmothercoatの作品を作っているということはこれを見てくれてる稀有な人たちには伝えておきたい。

今今、立ち上がれないような人たちにも届くような作品になればと思ってます。


gigadylan

根底を覆されたまま、雨風に晒され、生きていれば本来浴びることのない太陽の光を浴びた木(ボク)の根が傾いた大木に絡まりぶら下がっていた。「待たせたな、更なる日の目を見る時が来たぞ」と言いかけたが、随分と上から目線なセリフだなと猛省し、その発言が頭に浮かんだことを浅く謝罪した後、丁寧に絡みついた枯れ草を外し家に連れて帰った。

このボクの根の扱いは他のボク達と違い繊細な箇所が多く細心の注意と敬意を払いながら洗浄し天下干しした後、ヤスリもかけず、なるべくそのままの状態がいいなと透明の塗料で軽くコーティング?だけした。

出会った時から、これは玄関開けた瞬間に見えるところにしつらえようと決めていた。


これはアートではない。


ただのひっくり返った木の根だ。


そしてそれはどこにも根付いていない


今の自分の姿である。

自分の当たり前で構築してきた日々が崩れた時、自分の中にもともとあったのか?通りすがりの獣が取り付けていったのか?思いもよらぬ引き出しがあることに気づくこともある。

その思いもよらぬ引き出しによる仕業をいくつか。


本来トイレットペーパーホルダーが必ずしもトイレットペーパーホルダーである必要はないのである。


そうでなければいけないと思わされてた事や物に囲まれて、そうでなければ豊かではないと思い込めた僕らは、自分たちがどれだけ富んでいるかに気づかないまま、そのことを子供達に伝える術を持たないまま、怒りや悲しみや恐れを表現してしまわないようにしたいな。

思うことは今夜のスーパムーンを眺めていれば簡単なことであるが、普段は、、、、。


月の美しさが伝わらないと気づき、影推しに強引に切り替える柔軟さを。

今は具体性より方向性を希望に変換する時なり。


gigadylan