BLOG

答えが出たのはちょうど東名から新東名に入る数分前のことだった。その時から遡ること90分前僕らは関越から鶴ヶ島JCTを八王子方面にハンドルを切っていた訳だが、何か聴こうかとなり数曲アップされていたLOOLOWNINGEN&THE FAR EAST IDIOTSの新譜を聴いていた。トキロックがふとアカクラの声は張り付いてくる声だからずっと聴いてはいられない声だなと呟いた。なんとなく音の立ち上がりの早い声や音楽は時に疲れたりするからということだろうと解釈し、なんとなく対照的だと勝手に思った声のsleepy.abの新譜に切り替えた。

以前の作品に比べ(全部聴いてきた訳じゃないけど) 声がとても近く感じる印象だった。やっぱり良い声してるなあと思いながら(mothercoat始めた頃はナリヤマ君の声に憧れたりもした。)も運転中に眠気を誘われてはまずいという危機感から、何か話でもしようとトキロックに「好みの声のアーティストって誰?」と問いかけた。「この声はいいなと思った人いるんだけどそのバンドの名前が思い出せない」と言う。

もっとすぐ名前出てくる人で好きな声の人いないのだろうか?と思ったが、それは気になるねというところから謎解きが始まる。提出された情報はアルバムのジャケットが女の人が頭の上に亀を乗っけていた。男性である。プログレッシブな音楽。どこの国のアーティストかはわからない。トキロックがネット検索するも該当するものが出てこず。これはドライブに最適な難題だなと頭の中にいろんな声を巡らす。途中、Steven Tylerの声は好きという意外な怪情報まで提出され、混乱する。いくつも名前をあげるも該当なし、いよいよもってトキロックもFrank Zappaを聴きながら、今聴いたら全然好きじゃないけど、これだったのかなあと弱気な発言。色々質問して更なる情報を引き出す。フジロックで観たことあるかはわからない。でもバンドのみんなでライブ映像を見てた気がする。歌というよりラップ?言葉の羅列っぽかったかも。そこで、あっプログレではないけど WHY?だ!と辿り着いたかのように言うも

答えはNO。気持ち悪いまま圏央道を車を走らせる。気分転換でもないがAEROSMITHを何十年ぶりかにちゃんと聴く。人間の声というよりも獣と同じ類の声に感じる。

このまま名古屋に着いてしまうのでは思いながら海老名JCTのカーブを曲がる。

この歳になると思い出せないことばかりだ。思い出せないままやり過ごしてる日々だ。

そういえばこれだけ長く一緒にいて知っていてもおかしくないようなことでも知らなかったなということがあるんだなと、なんとかどんな声が好きかは今世のウチに知っておきたいなと思いながら大井松田で右ルートを選択する。

トキロックから変態バンドとして絶賛されていたと思う。という情報が出た直後、

天から答えが降ってきた。


Marz Volta !!!!!!!!!!!!!! 


という声が御殿場に響き渡った。

もちろん、Marz Voltaを聴きながら新東名を西へ西へ車を走らせたとさ。

すっきりしたトキロックはMarz Voltaを聴きながら眠りに。

めでたし めでたし。


後日 ジャケを見たら女の人が乗っけていたのは亀ではなく甕だった。



にしても意外、、、、。

トキロックがMarz Voltaのアルバムを持ってることさえ知らなかったのであるから。

そんな名古屋への道中であった。


gigadylan


今年の目標はないが"再会"と"出会い"がテーマではある。

理由はどうであれ、活動をこちらの都合で休み、またこちらの都合で再開し、

その上、大した案内もせず都合よく観にきて欲しいと思ってしまっています。

情報も溢れていて楽しみ方も無限にある中で自分の音楽、ライブに足を運んでもらうことはそこに特別な何かがないと難しいことだろうなとあらゆる企業や人々のプロモーション合戦を見ながら思います。そのスピード感やマメさを見習わなければなと思ったり、小粒な焦りを感じたりすることもあるのですが、少し動いては休んでな毎日に慣れ親しんでしまったのか、その旨味に気づいてしまったのか、のらりくらりの延長に未来の希望を見出そうとしています。

みなさん色々あるの知っていますので、ご都合を擦り合わせて合った時に会いに来てもらえればと思ってます。

2月はこの2本です。


folt Release Party「in union vol,1」

-2020.02.09 (sun)@鶴舞K.Dハポン/名古屋-

■open/start17:30/18:00 adv¥2500+1D

■act folt/SIRMO STAD/diezel/'wl of the art/mothercoat

私達は19:30くらいから

予約はticket@mothercoat.comまでお名前と枚数を宜しくお願いします。


SiMoN Release Party「Waves"and"Live in New York City」

2020.02.19(wed)@下北沢440/東京

■open/start18:30/19:00 adv¥3000+1D

■act SiMoN/中野陽介(Emerald)/よしむらひらく

■DJ ヒサシ the KID (JERRY LEE PHANTOM/THE BEACHES)/篠原信夫(THE BLONDIE PLASTIC WAGON)

私達は19:40くらいから

ソールドの可能性ある為予約はalmondfishrecords@gmail.comにmothercoatで何枚とお早目にご予約下さい。


そんなりへったりな今の自分なのですが、まだまだ同じ時間を共有したい人や、行ってみたい場所作りたい音楽、やってみたいことが日々そこそこ頭に浮かぶもので、凄まじく長生きしたいとまでは思ってはないのですが、いつ死んでもいいとは思えず、今のスピード感でそれらのことをやっていこうと思った時にそこそこは生きていたいなという欲深さを持ち合わせており、こだわりで窮屈にならない程度に体は大事にしたいなと思う訳であります。

先日、整え間違いで体調を崩したと書いたのだが、あまりに喉が痛く喉の奥に違和感を感じたもので、もしや喉頭癌もしくは食道癌になってやしないかと検査しにいった挙句、ただの炎症ですねとキレイな声帯と食道の写真を前に宣告され、顔が赤く腫れ上がるくらい赤面して帰ってきた。先生やそこにいた看護師さん、受付の人、次に待っていた人等にこの人とんだ大袈裟ボーイだねと心の中で思われたことは間違いなく、死ぬリスクを減らす手段とはいえ、こんな自分の保身の為の甘めのジャッジで通院してしまっては先生方の手間が増え、他の患者さんの貴重な受診時間が足りなくなったり、また国から負担頂いてる7割の医療費が無駄になっている(すなわちみなさんが異様に気にしている税金の無駄遣いに繋がっている)とも考えられなくもなく申し訳ない気持ちでいっぱいになり心苦しく早死にしてしまいそうな気がしてきたのでこれからは体に関しては中袈裟ボーイを貫こうと心に誓った月曜日であった。

にしても喉が痛い、ライブ前は意識してしまう分より痛く感じてしまうのかもと言い訳しておこう。


今日もまた別件で前橋の病院に(病院マニアに認定されそう)訳あって受診しに行っていたのだが、帰りに農家のレストランKIMIDORIさんでランチ。先日、ナイツなラーメンで岩中豚が出てきて美味しそうだなと思っていたら今日のランチメニューに岩中豚のハンバーグがあり、迷わず注文。メインの前に出てきた自家製焼き野菜のアンチョビソースがけ(多分)も美味しくボリュームもあってさすがでありました。


gigadylan

1月を出た。つまり2月に入った。ということになる。出入りを自由に選べなくとも僕は日本の表現感覚の中で育ってきた影響かはわからないが、自分軸で日々を過ごせていると錯覚した時、絶対的な時間軸に対しても出入りしている感覚に陥ることも可能なんだなあ。なんてことを考えながら、朝から最近ハマるとこまで持っていきたいと続けている腸ヨガをし、官足法に乗っ取った足ツボ揉みをしている。足ツボ揉みは強烈な痛みを伴う。リラックスしながら痛みの我慢の限界までツボを押すことで効果があるらしいのだが、リラックスすることは至難の業ではないかと苦痛に顔を歪めている。これでは続ける気にならないと痛みを堪えるのではなく素直に「痛たたたたたたたーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!」と声を張り上げながらやると段々笑えてくるいう大技を繰り出すことに切り替え、なんとかかんとか第二の心臓の血液の巡りがより良いものになればとやってみている。

何故、そんなことをやっているかと言うと。先の記事でも書いた認知症の父が昨年末、もう死ぬのではと思ってしまうくらい状態が悪かったのであるが、足揉みの先生に来ていただいて週3回か4回2時間かけて揉み続けてもらってる(父の場合は体の状態に合わせた力加減で)うちに血色も随分と良くなり、良いのか悪いのかまた少し元気になったということで興味を持ち、実際にその先生にも会って、やってるところも見て、自分もそれなりに体の不調を嗜んでいる身であることからやってみたらどういった変化が現るかを試してみたいと先生の信念の100分の1くらいの興味本位のみでやり始めてみている。


昨日は足利にある足利織姫神社に行っていた。縁結びのご利益があるということでツアーの先々で新しい縁に恵まれればと参拝。そして振り返れば天候にも恵まれ関東平野の先の富士山まで見えありがたい限りであった。写真を撮ってみるものの遠くから見えた富士山は携帯で写真に撮っても伝わらないランキングベスト5にランクイン。因みに1位は今日の月、でかい!!と思って撮った月である。それはさておき清々しい気持ちで社を後に。


帰りに"孤独のグルメ"で見た、太田にあるブラジリアンレストランに行く予定にしていたのだが、前日の夕食ががっつりラムステーキだったことが尾を引いていることに気づき、胃腸にお伺いを立てたところ、その近くあるオーガニックレストラン"ラ・スール"に切り替えることに。

入ってみたら、土曜日ということもありそこそこ混雑していたのだが僕らが客層としては最若手に位置していた。そこら中から聞こえてくる会話は主に健康談議に終始していた。そこに僕は薬膳師の資格を持っているからということから始まり、とにかくウチの料理を食べてれば体の不調はなくなると言い切り倒す健康哲学強めの店主が客に呼ばれてはホストのように飛び回ってはその哲学を語り、お客さんは熱心に聞いたり尋ねたりしていた。壁には額縁に入った資格証とあらゆる山を妻と登頂している写真が貼ってあった。店主から放たれるその揺るぎない信念を食べている、もしくはその店主の健康体をお裾分けしてもらっている気分になった。僕が食べた薬膳カレーは丁子(クローブ)がかなりわかりやすく効いていて僕好みであった。

帰り道についで、冠稲荷神社にも寄って帰る。ここは何とも商業色強めというか複合施設になっていており、幼稚園からカフェ、結婚式場まで併設していたり各所にインスタ投稿推奨スポットを設置していたり、立派な金木犀の木の周りにガラス張りの円形の神札・御守処があるという何かとモダンな神社であった。





体に好いことや、心に好いことに惹かれ実践したり外に出て行くも、案外その場のパワーに圧倒され帰ってくると思いの外疲れていて、体調を崩したりしていることは内緒にしたいところだが、実際、昨晩からちょっと崩してしまった。ある筋の情報からそれも好転反応の一つなんて思い込むことでこの本末転倒的な状態を笑うのも人生の醍醐味であるものです。



とりあえずレッドブル飲みたい、、、。トキロックに嫌な顔されるけど。




gigadylan

先週は少し遅めの正月休みとして実家に帰っていた訳だが、予想と覚悟をしていた母親の息子夫婦にやってもらいたいことシリーズが開幕。8割方、認知症で施設に入ってる父親にまつわるあれこれである。母はお任せすべくお金を払って預けている施設に毎日通ってあーだこーだやっている(施設の方からは僕らに任せてお母さん、もっと休んでくださいと言われてしまってるくらいに)。

母は自分の足が悪くなく体がもっと丈夫であれば本当は自宅で自分が介護したいのである。その方が体は休まらないが近くにいることで心が休まるのだと思われ、かつての水と油の仮面夫婦はこの状況になり、今また出会った頃のようにお互いを必要とし、一緒にいたいと思い合ってるように僕の目には映っている。ヨメトキーが随分と元気になった今、僕らが実家に戻り介護補助すれば母がもっとも望んでいる形になることは口に出さずとも察しているが、僕自身は家族愛という観念(血の繋がりに拘る考え方)に疑問があったりするのと、僕が感じてきた父は"何もしなければ何も起こらないし誰も困らない"の人だった。父は何につけてもよく怒っていたが、今思えば人間の欲望に対して怒っていただけなのではないかと今は思う。とにかく「そんなん、せんでいい」「そんなん、いらん」と声を荒げ眉間にシワを寄せていた。とにかく僕は母を中心とした僕らがこうあって欲しい(こうしたい)父の最期ではなく、なるようになっていく父の最期を今までとさほど変わることない距離感で見届けようと思っている。


母は自分のこうしたいに突き進む人である。"何かをし、何かが起こり、時に誰かを困らせる"側の人である。

年末に自分たちが納骨されるお寺に行き、戒名の候補をもらいにいっていた。僕らが帰ってきてすぐ、「この中やったらどれがいいかね?」と5つの候補から選ばされた。母と僕とヨメトキーでせーので指を指すことにした。僕とヨメトキーはさすがで同じものを指した。そしてこんなことに無駄にプレゼン能力を発揮し母を納得させた。翌日、妹にもどれがいいと思うか一応聞いた。妹は消去方でこれとこれはないかなということで3人が決めたものは消去されなかったので、4人でお寺に行き住職にこれでお願いしますとなった。その勢いで母も私のももう貰っときますとなり、母の戒名も暫定的に決めることになった。そしてこの日から両親を呼ぶ時は戒名で呼ぶことを採用することにした。

住職さんはこちらの質問に基本、ありがたい法話を交え返答してくれた。母は基本、葬儀のお金がどれくらいかかるのかということを具体的に聞いていた。びっくりするような額ではなかったが、葬儀にそれくらいかけるのが一般的というならば、その感覚を取り払い、未来ある命にそのお金を寄付した方がいいと思うのだけれど、仏様はどう考えられているのでしょうか?と尋ねてしまいそうにもなったが、ここは朝まで生テレビの会場ではないということを強く認識して飲み込んだ。


年末、父の調子はかなり悪かった。内臓のどこかから出血してる疑いが便から垣間見れたこともあり、14日中央病院へ検査するために連れて行った。前日、もし悪い箇所が見つかっても治療しない(出来ない)ということを話し合って決めていた(悪化することで痛みを伴う場合は出来る限りの痛みを和らげる処置をしていただく)のだが、そもそも検査自体も今の状態で出来ることはかなり限られていて胃カメラと腸のエコーを撮ってもらうことくらいしか出来なかった。それでも母が連れて行きたかったは何もしないということにどうしても罪悪感が伴う環境で生きてきてしまったからではないだろうか。母は僕がいるうちに実家一度に連れてきたがっていた。父も家に帰りたいだろうと母は思っているようだ。実際はわからない、そうかもしれないし、どこで何されるかもわかってないままいろんなところに連れ回されてる父の安らぎはもはやこの世にあるのかも謎である。それでも付き添っている僕らは父の一挙一動からこちら側の主観で何かを感じ、何かしてあげたいと思ってしまうのが常であるが、僕の思いは変わることなくもうゆっくり休ませてあげて欲しいし、母には残りの人生を父の介護以外の何かに費やして欲しい切に思う。


父と過ごしたこの何日かの数時間は、食事を食べさせたり、排泄を手伝ったり、体を揉みほぐしたり、強く抱きしめたりとこれまでの人生でもっとも父と触れ合った時間となった。

便にまみれた父の陰茎と陰嚢を拭いていた時にあまりに柔らかく伸びる(本気で引っ張れば膝くらいまで伸びるんじゃないだろうか)ることに気づく、しかも手触りもとても良く、特に陰嚢の方であるが、金玉袋っていう一般的な偏見がなければ伸びるけど耐久性に優れてそうな感じがちょっとした鞄の素材にいいのではと冗談でなく本格的に思ったりしてしまい、自分のモノも年老いた時、その様になり特に使うこともないのに付いているだけの状態に達したならば、切り取って何かしら別の用途に代用出来る時代になっていればいいなと思ってヨメトキーにその旨を伝えたら一蹴されてしまった。恐らく大衆の賛同を得るにはまだまだ世紀を跨がなくてはいけない話なのだろう。


ヨメトキーがハマりつつある神社巡りの一環で産土神様をお参りしに行った。

2拍手の音を高らかに響かせたい(ネットで調べた方法で)と欲を出し、力でないことはわかっていながらも力が入り鈍い音になってしまい、そのミスが気になり神様にそのことを謝るというようなことが神社巡りでは3回に1回くらいある。参拝に上手い下手があるのかはわからないが、相変わらず邪念が多く、参拝に集中出来てない自分を見透かされてるようで、毎回最後の一礼の際には「なんかすみませんでした、、、。」となってしまう。

せっかくだから僕が生まれた時、両親が住んでいた家の辺りも行ってみようと母から住所を聞いたのだが、google mapにその番地はなく、神主さんに聞いてもこの番地はないですよと言われ。母に再度確認しても、「ちょこっと路地入ったとこよ」と路地だらけの町で言われたまま狐につままれたような気分で帰路についた。


そんなこんなで今年の正月休みは終わった。

少しずつ今ある曲をカタチにしていければなと。

ライブの方も、嬉しいことにちょこちょこ新しいお誘いも頂いていてありがたい限りです。

停滞していた、停滞させていたいろんなことが対応できるくらいにまで整理されゆっくりと進み始めている感覚の中、少し自分に期待してもいいかななんて恥ずかしいこと思ったりしています。


gigadylan




今日、実家のある神戸から帰ってきた。ライブの余韻に浸らせてくれない実家のあれこれに奔走し

(そのことはまた改めて気力があれば書き留めておこう)疲れているのに何故だか興奮して眠れない

数日であった。細かい記憶ではなく数年ぶりに出ただろうアドレナリンが僕をそうさせているのだろう。



10日の朝には大阪に着いていた僕らは、いくつかの神社巡りなどをし、げんきスパイスカレーKIKIさんで昼食を済ませ、入り時間の1時間半前には箱に到着、搬入と万事順調にことは進んでいた。

そして揚々とリハの準備に取り掛かった瞬間、万事順調に穴が空き、顔が見る見る青ざめていった(自分では見えないが)。持ってきたはずのキーボードスタンド(2段式使用)がどこにもなかった。玄関に立てかけたまま置いてきてしまったのである。熟練の演奏者であればこんなことで狼狽えないのは100も承知であるのだが、まだまだ自信が未発達な段階の僕は座り慣れたニトリの折畳み椅子まで持ち込んでいる程、自分の手足と機材との距離を最もやり慣れた位置にする必要が久々にステージに上がる僕にはあったのだ。完全に僕は狼狽えていた。必死に取り繕いながら箱のスタンドを借りセッティングを始めるも、あらゆるケーブルをインプットとアウトプットを逆にさしてしまっていたり、サスティンペダルをアウトプットの位置にさしてしまっていたりとバンド始めたてでもやらかさないミスを連発していた。それと同時刻、目の前のトキロックも音作りというか音の聞こえ具合に懸念を隠せない顔をしていた。そのことに対して手助け耳助けしてあげる余裕を僕はその時は持ち合わせておらず2段目の機材群が遠いことでマイクスタンドとの折り合いがなかなかつかず、キョンシーのようなフォルムで歌っている自分に悪寒を走らせていた。いろいろとよくしてくれるPAのオギノ君には便宜上、音についての要望を口にしていたが、音のことは正直なところどうでも良く、キョンシースタイル(スタンディングで弾きながら歌う数曲であるが)でどう乗り切るかという懸念を抱えたままリハは終わった。二人でサンマルクカフェに行き、あたたく甘いものを飲んで心を整えた。思いの外、心は整っていった。ここ数年の果たして最後までできるだろうか?であるとか、トキロックが途中で倒れたらどうしよう?だとかというものが全くなく、キョンシースタイルであろうがなんであろうが心置きなくステージに立てるということがあまりに感慨深く、心の平安を取り戻すことは驚きに容易であった。

僕らは小さなことで挫けるにはあまりに元気になってしまったのだ。もしも今、しんどい思いをしている人がいて、どうやって元気になったんですか?と尋ねられたら、10分程思案したふりをした後、とにかく僕らが受けてきた教育や今の日本社会の仕組み、更には人としてあるべき姿だと捉えられてきたことに反する程に休んだからだよ とふざけた顔して答えるだろう。休息は元気の源であり、その休息に寛容であった音楽仲間や僕やトキロックの古くからの友人、家族は宝であると実感してます。ほんとうにありがたかったし、今も進行形でありがたい。

NeeUもthe sankhwaもneonsignも休んでた僕から見たら見上げてしまうようなクオリティーの演奏で

素晴らしかった。the sankhwaのカネコとは彼が10代の頃に僕らのライブで知り合ってからの付き合いで以前は僕の勝手な視点で弱々しさが魅力であったのだが、随分とたくましくなって立派なフロントマンになってることが嬉しく、誇らしくもあった。最後はやはり好みになってしまうが進化していってる点においても音の鳴らし方においてもやっぱりneonsignには惹かれるものがたくさんあり、ビール飲み踊りながら見るneonsignはただただ楽しかった。



僕らのライブについては特筆して書くようなことは何もなくそこにいた人がそこにいた人だけの何かを感じて貰えたと思えるライブだったように思う。

その割に秘めやかな自信が芽生えたのは完全にみなさんのお陰であります。


まだ再開したばかりでまだ見てない人は気にして見にきて欲しいなと心置きなく思えてるので

今年、この先の進化も踏まえどうか会場に足を運んで貰えたらなと思ってます。


SET LIST

1.APOLLO

2.PARADISE

3.wednesday

4.CLAMCALM

5.SPICE WORLD

6.考エル人


打ち上げは気づけば朝方まで、僕が起きてたのも奇跡に近いけどトキロックも普通に呑んで人と話をしていてその時間は至福の時としか言いようがなかった。


それを(多分)許してくれてるタキイさんや、率先して司ってるpara-diceヤスイさんはじめスタッフの皆さんに感謝です。para-diceは人良し、音良し、お香とか焚いてて匂い良しなんだけど、人が入ると見えないっていうのが視界だけが悪いのが、、、って言ったら、ヤスイさんが「せやねん、だからステージ前、下に掘ったろかな思てんねん。」って言ったのが僕は単純に後ろに段をつけて上げて極小劇場的なイメージを提案しようと思ってただけに印象的で、掘っていいなら休みとって掘りにいきたい。


gigadylan


1曲、ささやかながらプレゼントさせて下さい。

こちらで視聴とダウンロード出来ます。


PARADISE


テレビをつけ忘れ見逃した、どうでもいいニュース   なぜだか全てが可笑しく悲しく見えた 

今にも消えそうな未来を温め合って  どこにもぶつけれぬ悔しさなかったフリして 

大人にならされた僕らは大人を演じ お手本を失った子供のような顔して 

行こう 行こう 行こう 


Everything is all right.   Everything is going to paradise. 


誰もが持ち得たやさしさ忘れるほどに 弱さを隠そうとする度 誰かを傷つけ 

愛しき人よこれからもっと笑い合い 言葉になりきれぬ思いを絡ませてあって


それでは残りわずか。聖夜であれ、ただの12月25日であれ皆さんにとってそれぞれの素敵な夜でありますように。(ありましたように)

メリークリスマス!!! でした。


僕らはしばらく何もしていなかったので、存在を忘れている人もたくさんいるだろうし、

そもそも知らない人も星の数以上(具体的な星の数知らないけど)にいるので、この知らせを

年末の飲み会などで「なんかmothercoat、ほんのり動き出したみたいだよ」と小さな話題として

切り出したりして欲しいなと厚かましくもお願いしたいです。

特に来年はよろしくお願いします!!


gigadylan / tokirock



今年に一句 詠みました。

不思議なものでまったくやる気が起きなかったことも、ふとやって見始めるとやれたりするもんで

「眠い、寒い」を主張するヨメトキー・アイリッシュを引っ張り出して、今年唯一完成した作品を

販売するとこまで漕ぎ着けた。

”guitARcoat Bag" 

実のところかなり満足行く印刷の仕上がりになっているので、控えめに言っても買ってほしい!!!

それに伴い、かつてキャンセルしてしまった"OQUZ"TOURの眠っていた作品群にも光を当ててやらねばと(あの時はあの時でメンバー5人、希望と不安と葛藤が織り混ざった生活の中での異様な熱量で作ったものばかりですが)と引っ張り出してきたのでコチラも気にして貰えたら。

フクノスケ(gt/?)がデザインしたTシャツは僕らには珍しくバックプリントまでこだわって刷ってました。(僕は着るまで忘れてた、、、)

レコードはフランスのプレス会社だったのですが、音がとても気持ち良いので僕はオススメします。




gigadylan


時計の針を 動脈に突き刺せば
時の流れが 脈略もなく雪崩れ込んだ 

平気な顔して 夕暮れは眺めてた
昨日のようには ぼくらは昇れなかった


神を溶かす君の 横顔にキスをして
ほんの少し安心を 枕元に挿して 

心を配らず 眠りを灯せれば
今を繋ぎ止めれるだろう 

 

曖昧発希望行きのバスに揺られ

満遍なく滞った夢にも垂れ 

迎えにきてほしい  僕はまだ 

あの日の香りが鼻についたまま


全ての意味が ベットの中に潜りこんで
自分の為の 平和が争い殺し合った 

差し込む光は 凶器のように眩しくて
瞼に鍵して 無意味な日々を愛し合った 


羽目を留める僕の 背中にしがみつき
こぼれ落ちる不安を 干からびるまで眺め 

心を配れず 眠りを灯せれば
今を繋ぎ留めれるだろう


曖昧発希望行きのバスに揺られ

満遍なく滞った夢にも垂れ 

迎えにきてほしい 僕はまだ 

あの日の香りが鼻についたまま


今年の頭に曲を作ろうと思って最初に出来た曲です。  タイトルの"clamcalm"は仮タイトルでcalm(静かな、穏やかな)とつけていたのを、logic側に間違ってclam(あさり)とタイプしていたことにある日気づき、その時期、穏やかな何かを漁る日々を送っていたことからダジャレ的にこじつけ、clamcalmにしたらその字面に癒されてしまったことに由来する。



この曲のMVを元メンバーのフクノスケと作ろうとして今年の夏から撮り始めたものの、あの頃のように二転三転。フク監督が雪のシーンがいるとなり現在雪待ち。いつかは完成すると思うのでそれも楽しみにしててください。


gigadylan

今年作った曲が数曲ある。どれもこれもスローで静かでここ数年の心象風景を音像化したセンチメンタリズム旺盛な曲ばかりである。9月のライブが決まった時に、アコギとエレキを久しぶりに触ったら指が痛過ぎて断念し、押さえても痛くないという妥協の極みから9月鍵盤とトーク主体のライブになった。今はどうかというと、アコギにクラシックギターのナイロン弦を張ることで痛みの伴いを最小限に抑えるという手法を用いたことで、来年のツアーにおいてギターの曲もどこかのタイミングで参入出来るようになる気がしている。


この"気がしている"という言い回しに「それはお前が決めてやるかやらないかだろ!」とツッコミたくなる人もいるかもしれないが、実のところ僕はこの先人間は確定的なものに心地良さを感じるよりも、曖昧さを心地良く感じれるよう努力、もしくは意識をしていった方がいいと思っていたりしている。約束し切れない未来の事柄を約束したり、保障しようとしたり、わからないことを立場上わかっているように振る舞ったり、どうしようもないことをどうにかしなければいけないよう誘導したり、ケースを上げればキリがないがそういったことに問題を集約させ苦しみの数を増加させてることに飽きてしまったのだ。はっきりする(させる)ことが快感であるが故、はっきりしないことに不快感を覚えてしまっている多くの事柄をはっきりと認識した方がいいと、かつて白黒を異様にはっきりさせたかったり、どちらかに振り切れないと興奮や快感を得れなかった僕が思っている。トキロックが病気になったことは僕にたくさんの気づきを与えてくれた。その中でも通院していた精神科の先生が教えてくれた"ネガティブ ケイパビリティー"という言葉がその時期、支える側の自分の強い支えとなっていたことはとても大きい。もともとはは詩人ジョン・キーツが 不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉で、近年だと作家・精神科医である帚木蓬生さんが著書で『どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力』あるいは、『性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力』という風に言われてる言葉である。かのシェークスピアはこの能力が異様に高かったと言われているとかいないとか。

自分の性格や癖、はたまた社会の性質も急には変わらないし、目の色を変えて変える必要もないだろう。大事なのは気づくということで、気づかされた後はその気を纏っていければほんのり生きやすく、取り留めのない古いフランス映画も楽しめるようになるのではないだろうか。


話の逸れ方の半端なさに自ら動揺している。何を書こうとして書き始めたか忘れてしまった。寒くて太陽が出ない日は部屋を暖かくして朝からブログを書くに限るの結末がこれである。

先日、寝室にブックライトを買おうとトキロックに言ったら(毎晩、眠気がきてる時に布団から出て電気を消すのが億劫な為)ソルトランプにしようとなり、届いたら届いたらで居間に設置した方がいいということになり、浄化作用があるとかないとかでつけておいた方がいいやらと、用途が変わってきてしまったことを今日の話の逸れ具合から思い出してまた話が逸れる。※ソルトランプ自体はとても気に入っている。


強引に話題をバンドに戻そう。ツアーに向けては試行錯誤中(頭の中多め、実行少なめ)であります。

1月の大阪と5月の札幌では違うことをやっているかもしれませんが、その成長というか変化も楽しんでもらえたらなと思います。

ツアーのチケット予約が入るたびに嬉しく、身が引き締まる思いをしてます。

気にかけてくれてる皆さん、予約はお早めにお願いします。ticket@mothercoat.com

通知音がなる度にけつ叩かれてる感じがして練習する気になるからです。

よろしくお願いします。

mothercoat tour 2020  

1.10(fri) 扇町para-dice / 大阪

1.28(tue) 西永福JAM / 東京 ※ギガディランソロ

2.09(sun) 鶴舞K.D ハポン / 名古屋 

2.19(wed) 下北沢440 / 東京 

4.05(sun) 二条nano / 京都 

5.09(sat) 札幌SPIRITUAL LOUNGE / 北海道 

and more ...


gigadylan


”これ"をしてから、"これ"を飲み(食べ)始めてから調子がいい。の"これ"の部分に確信はない。調子の良さは何か一つの手柄ではないのである。そこを間違ってはいけない。


気が多い僕は色々手を出す。調子が悪い時は

原因を探らず、とにかくぐで〜っと休む。


調子が良い時は手を出してるすべてに感謝する。

マヌカハニーやお気に入りのL92乳酸菌や良さげな塩(食塩は塩ではないらしい?)やポリフェノール推しのカカオ含有量多目のチョコや玄米や枇杷の葉エキスや今最もハマってるモリンガなどなど。

またそれらと同様に処方されてる薬や、お酒や、砂糖や白米や錚々たる添加物たちにも余す事なく感謝する。人の営みを善悪で語ることでカタルシスを感じやすかったりするが、善悪で語れないことにカタルシスを感じる方が平和であると思う今日この頃である。




僕を含め多くの人はそのモノの本質の周りに添加されている言葉や雰囲気を摂取している。産地や、無添加や、有機や、無農薬や、誰々のオススメや、星の数やネットの情報やら。

そして思う。自分が選択し良いと思ってるだけのことで、実のところ全部関係ないかもな と。

実感としてあるのは僕も世間も調子がいいということだけである。あーだこーだそーだどーだと僕も世間もいつの時代もそれなりに調子良くやってるのである。

にしてもモリンガ良いねえ。名前がいいねえ。
やけに良いウンコがでるねえ。名前がいいからね。









gigadylan 
とてつもなくざっくりとした1週間のスケジュールを絶対的でない感じで念頭に置いて生活している。

現時点ではお金がまだ必要なので週4日は昔ながらの労働的対価を頂く仕事をしている。

その中で日曜日は少しでも音楽的な何かをやるというのがある。しかしながらここのところ、結婚記念日だ、誕生日だと週末出かけたりすることに夢中でままなっておらず、気持ちはmothercoatのリハーサルだ!、レコーディングだ!と音楽に向いてるいるのだが、休み慣れた心と体は急には速度があがらないもので深谷のアリオにX JAPANのToshIが来るという情報をチラ見してしまい、ファンでもないのに有名人がアリオに来るというだけで少し観に言ってみたいな、日曜だけど、、、。と思考に簡単になり、トキロックに「ToshIさんも色々つらい時期を経て今があるんだよ、その今を少し観に行きたくはないかい?」と詳しくも知らないのにToshIさんの歴史を知ってるかのように誘ったら、簡単にネットでToshIさんのことを調べ僕以上に乗り気になり、朝、整理券が配られるからそれを貰いに早めに行こうとなる。

当日、朝からアリオに行く。すでにそれなりの普段はあまり見ることない列が出来ており並ぼうとするも整理券はToshIさんが色んな人の曲をカヴァーしたアルバムの予約をしなければいけないという、考えればそれはそうだろうという仕組みになっており、朝からアリオに行き帰りにガソリンを入れただけの二人となった。家に帰り、昼食を済まし12時半。整理券はなくとも2階のそこそこのところから観なければと再度アリオへ。もちろんいつもより駐車場は込んでいて深谷に来て初めて屋上駐車場まで登った。イベントスペースの周りは老若男女の人だかり。ファンの方で埋め尽くされてるかと思いきや、おじいさん、おばあさんがしっかり場所取りして(させられて)いたりして、僕らは2階のステージ正面(こんな時でも音のことを気にしてしまうところがあり、姿は見えなくともちゃんと歌が聴こえそうなところ)の人だかりの後ろ、背伸びしたり人の隙間からギリギリ見えるところで待つことにした。14時を少し過ぎてToshIさん登場。※時間限定で写真撮影OK

何がいいって姿勢がいい。遠目で観ても明白な姿勢の良さが際立っている。肝心の歌が霞むほどに背骨が最新の医療技術で固定されてるのではと思うほどに驚きに姿勢がいいのである。歌の方は2曲歌われたのだがアリオの音量制限の為だろう、サビの歌い上げるところでコンプががっつりかかって音が潰れAメロよりも迫力を失ってしまっていて(今、それ気にすることじゃない)、ほんとはもっと素晴らしい歌声だろうにそれをちゃんと届けれないのは不本意だろうなあと本人がまったく気にしていなそうな様をよそに周りの人に「本当はもっと迫力ある歌声ですよ、きっと」と耳打ちして回ろうかと思っていたら、トキロックはそんな僕の思いを他所に何らかの感動をしていて、「とにかく観に来て良かった〜」と言っていた。帰りはもちろんToshI渋滞にがっつりハマり駐車場から出れず、なんだかんだ朝から夕方までToshIさんに費やすことになる日曜日となった。こういったことは僕みたいに気の多い人間には起こりやすい。ちょっと観たいや、ちょっと食べたいが思いの外ほぼ半日がかりになり、そのこと自体は楽しかったのだが、もっと他の事ややらなければいけないこともしたかったという思いがその楽しかった思いに罪悪感をまぶし、何とも言えない焦燥感を伴ったり。反省はしないが、自分の行動原理に軽い修正はかけたいものである。


その日は家に帰り、いじり始めたら開き直ったような曲が出来た。

"大体のことは許してあげればいいさ〜 大体のことは許してもらえばいいさ〜"

というサビを二人で歌った。


後日、録っていたのを聴いたら。自分の感覚ではセンスのかけらもないダサさで

その部分はボツにすることに、、、。

あぁ 今月はクリスマスにお正月、、、。それなりに楽しみでそれなりに怖い。

来年motercoatのツアー楽しみにしててください。


gigadylan