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ジュン(2009年から2017年までmothercoatに在籍したドラマー)から渋沢栄一公(以下"公"という)が一万円紙幣になるというニュースを聞きつけバンドのLINEで祝辞を送ってきた。絡みづらいシニカルジョークを交え返してみたところ、恐らく面倒に思えたのだろう途絶えた。ここは素直にThank you, I'm proud of it.と返すべきだったのだろう。仕事帰りの電車で氷結を飲んでいたので仕方ない。

それはともかく以前近所の渋沢栄一記念館にある何かで、その昔千円札の候補になったことがあったが髭がなかったせいでオーラに欠け伊東博文に敗れた。というような記事を見た記憶があったので時を経てやはりそうなるべく人はなるもんなんだなと、芸術に置いても同じような現象は多々起こっており、作品や功績が時を経て再認識されるのは人の一生を永遠と結びつける架け橋のようで素敵なことだなと思ってみたもののそう言いたいだけかもしれない。

たまたま条件に合い移り住んだこの家の近くに公の生家があり記念館があった。いつぞや現代史で登場したであろう公のことは全く覚えていなかったが、移り住んだことで知り、少しばかり興味を抱き、うっすらと親近感を覚えた。ただそれだけのこと。ただそれだけのことであってもなんだかとても嬉しく、ここの住んでいることを誇りに思えたりする自分の脳の構造に驚きながらも感謝している。

そんな小さな盛り上がりの中、今朝、目覚めると桜に雪が積もるという祝いなのか嫌がらせなのか判

別に困る景色が広がっていた。珍しいことに触れることは嫌いではない性格上、これは雪桜と公の像を一緒に写真に収めておくべきだと青淵公園に、そして公の像のところまで行くと驚くべき光景が。普段ほとんど人などいない公の周りに人だかりができていた。そのことの方が珍しく思えその光景も含め写真に収めたかったが、昨今のプライバシー事情を加味すると気温に比例してモチベーションも下がり公に背中を向け雪桜をせっかくだからという記念に何枚か収めた。



今、読んでる小説でアルマジロ(以下"マジロ")は仰向けで寝るということ知った。すぐに動画で確認する。極めて無防備に眠るマジロの画面を目の当たりにして、仰向けで眠れなくなった自分は甲羅もないのにいったい何を防ごうとしてるのだろうともの思いに耽った。そんな季節外れの雪の日の午後であった。


gigadylan





天候と週末がハイタッチ。平成最後の桜がガッツボーズ。桜の花びらと共に乱舞する人、人、人。

これほどまでにチャラダサい表現を出来てしまうほど素晴らしいひと時に今日は触れることが出来た。

朝食を食べ終えた時点で昼に無性にケバブが食べたかった。催されていたさくら祭りの会場にいくつか出店があるとトキロックから聞いていた。が、ケバブ屋はなかった。が、桜は咲いていた。

深谷駅前の会場周辺では献血へのご協力の呼び掛けと明日に控えた埼玉県議会選挙演説の為訪れた共産党の立候補者の演説と高崎線遅延のアナウンスが入り乱れる中、子供達がダンボールで作った力士を大きなベニヤ板の土俵に縦横無尽に並べ、戦略もなければ勝利するコツも誰一人見出せないままひたむきにベニヤを叩き続けるというカオス相撲に花を咲かせていた。

僕らはそれを横目にサクラ色したロゼの甘酒(色以外どうロゼなのかはわからなかった)を飲みながら会場である神社でお参りした後、川沿いを桜に沿って散歩することにした。

もちろん木々のコンディションの違いによる咲き乱れ方の違いはあれど僕らを満足させることは今年の桜たちにとっては花びらの上で軽く躍らせるくらい容易すいことであった。


しかしながら視覚の満足だけでは腹を満たすことは出来なかったので、ケバブの代わりが必要であった。気がつけば時は多くの飲食店がランチタイムから休憩時間もしくはカフェタイムへと切り変わる

時間帯に入っていた。僕はモスバーガーか、バーガーキングを代替案として提案したが、トキロックは首を縦に振らなかった。食事に置いての明確なプランを失った時、トキロックと僕で数年がかりで編み出したとりあえずスーパーの弁当コーナーに行き値引きシールに導かれた上で明確に食べたくないと思わないものをチョイスするというプランを発動させることにした。そしてそれを持って今一度桜のたもとで食べるのは決して妥協ではなく、名案であるとさえ思えたのでコープさんに車を走らせた。そして僕らはトキロックチョイスのウニいくら巻4巻と僕チョイスのカニクリームコロッケ、ハンバーグ、オムライスのコンボプレートを膝の上に広げ先程とは異なる桜の下で食べた。そしてウニいくら巻8巻で良かったなと明確に思ったが口には出さなかった。



家に帰ってそろそろかなと思っていた庭のタラの芽がそろそろだったので今夜、天ぷらにして食べることにした。

ほとんどの事が何かのそろそろによっていざなわれそれに応えるように生かさせてもらっているだけかもしれない。自分の意思なんてものはビックリマンのシールのようなもので時にメインのように扱われたり重宝されたりすること(してしまうこと)もあるが結局はチョコのおまけなのである。

gigadylan 

秩序を正すと秩序を乱すはある意味では同義となる。正している(保っている)様で乱している。乱している様で正している。個人がそれを判断する基準をどこに定めるか、宇宙?地球?国?地域?職場?学校?SNS?家族?恋人?友人?で無限に変動し続ける基準を前にしては常に入り乱れていることが正しい、つまり混沌に耐えうる状態を保ち続けることこそが秩序を保たれている状態であると思ってしまうのは僕だけだろうか?

"混沌の中に平穏を感じること"が出来る能力?感受性?体質?さえ身に着けることが出来れば、この世のほとんどのことは問題ではなくなる。たとえその場凌ぎで合ったとしてもその場を凌げなくてはその次の場がないのだから、その場を凌ぐっていうことは決して悪いことではないし恐らく人類は未来を想像しながらもその場を凌ぎ続けてきたからこそ今があり、明日やいつかもある気がして今を過ごせている訳である。

"混沌の中に平穏を感じること"と文字で表すと簡単な様なことに思えるが、手持ちの能力には限りがあり、多くの人が挫け、助けを必要とし宗教やスピリチュアル、心療内科やセラピーやヨガ、アルコールや煙草やドラッグ、はたまた筋トレ、マラソン 等々、、、 善悪、合法非合法に関わらず様々な補助を駆使してその場を凌がざる得なかったということをたとえ代償があった(ある)にせよ肯定出来る感性を持つべきであるし、それを持たずして秩序は保たれない。


と、日曜日の朝から新しい元号は何になるのかななんて?何になったところで自分に及ぶ影響なんてほとんどないに等しいことに対して、眉間に皺を寄せ腕組みをしながら全部を推測することは至難の業であると判断し、一文字を五候補まであげていいという秩序ある推測ゲームをしながら上記にある「ところであなたは何が言いたいのだ?」というような混沌とした限りなく論文に満たないエッセイテイストの独り言を並行して綴っていた訳だが、"萌" 、"彩"、"恵" 、"希"と女性の名前に使われそうな漢字を使うことで華やかさとかつての男社会と呼ばれたような時代のあり方との決別を暗に匂わせるものになるのではないかと絞り込んだところで後一文字はやはり、いつの時代もみんな大好き"安"にしとこうと少々投げやりではあるが、こんなことに誰に頼まれる訳でもなく当たったところでサプライズパーティーが開かれる訳でもないのにかれこれ3時間余り費やしているのだから父親譲りの無難な一文字を投入したところで推測を終えることにした。

ゲームは終えたが、ところで僕は何が言いたかった?ということが残っている。

そして思う。この世は何か言わなければ、何かしなければで溢れかえっている。

高校野球中継の解説者が、初めて見た何とも言えない選手の特徴を述べていることを筆頭に。


今日の昼も何を食べたいかさえわかっていない僕に、その何かが何かを明確にすることはセックス描写をせずに官能小説を書くことくらい難しいことである。(恐らく不可能ではない)

それでも何も食べなくてもいいとは思えないのは教育の賜物か教育の代償か生物の仕組みかわからないが、その時がくれば何でもいいから食べたいに収まり何事もなかったように次のその場を凌ぎ続ける。その何でもいいの部分を肯定、受容すべく教育を受けていれば僕らの感覚は凌ぐから、繋ぐに変わっていたかもしれない。

その場繋ぎ。

悪くないじゃないか。


その場繋ぎの合間に明確な何かを読みかけの本に栞を挟むように生きていければ。

そして今夜はスパイスカリーを作るということだけは明確に決まっている。



gigadylan




三寒四温を肌身離せず感じながら、くしゃみをし鼻水を垂らしながら朝食を食べる。 ここのところ、僕が朝食を作りトキロックを起こす、または作ってる途中に起きて来て準備に参加するということが多いのだが、たまにトキロックが調子が良さそうな時は起こされる側になりたくなり、「”ご飯もう出来てるよ、いつまで寝てるの”とほんのり苛立を含めたトーンで起こして欲しい」と懇願する朝もある。トキロックの調子は大体朝一のトイレに行って戻ってきた時の感じで大まかに感じる取ることが出来る。そして今日はその日であった。 晴れの日は太陽の動きに合わせ窓際に沿って東から南へ暖を確保しながら本を読んだりする。これと言って絶対的な予定がない日は大体そんな午前を過ごす。L92乳酸菌を昨年秋から毎朝飲み続けてきたお陰か、そもそも花粉が少ないのか慢性的な花粉症の症状が例年に比べ今年は幾分ましな気がしているが、なかなか自分が掲げたパフォーマンスを出せない時は淀みなく花粉のせいにしている。 SNSに触れたり、ブログを書いたり人に会ったりすることがまだリハビリのように感じているが、 徐々にそれが日常になっていくような気配に春を感じる。それでも暖気に誘われ焦ったように咲いて(咲かされて)しまった桜が昨日、今日で散っていく様に昨年、一昨年の自分を重ね春を待てない愚かさをその散り桜に解きたい気分である。桜にすれば"そんなの知ったことかよ"であるが、、、。 


昨年の昨日と今日は繋がらなかった。今年の昨日は今日にちゃんと繋がっていた。 

曖昧な言い回ししか出来ない事を許容することで今日が明日に繋がる。こともある。 

丁度、太陽が真上に来た頃に目が合う機会があったついでに見つめ合ってみたら、二人して声を出して泣く羽目になったのち可笑しくなって笑った。 繋がらなかったあの日から一年経ち、こうして繋がる日々になった今をささやかに二人で祝った。 


gigadylan

何故だかわからないが、殆ど何もしなくてもすこぶる野菜が育つところがある。

幾人かの農家の人が口を揃えて"あそこはとびきり土がいいからさ"と言ったとか言わないとか。

何を育てるにしても、いい土壌があるに越したことはない。


我が家の1階にあるスタジオは一昨年の冬 片付けたきり一度も音を鳴らされることなく機材諸共放置され、いつの間にか僕のド素人DIYものつくり工房と化しつつあった。いつか使うかもしれないと思いつつ一生使わないだろう機材をリサイクルショップに持って行ったり、オークションに出品するなりすれば片付くし少しはお金にもなるし機材たちにとっても良いのだろうが、皆で使っていた機材を目の前にすると今はまだ虚無感の方が強く、どうにもその気にならなかった。

しかしながら昨年の冬辺りからその気になったこともない訳ではない。幾つかのレコーディング機材を元ドラムス、ジュンの元部屋に運び込み、そこをレコーディングスタジオにすることにしたのだ。

今年に入り、机を買い、足りない部分を自分で作ったりした。ある程度整ったところでさて久々に何か録って見ようかとLogicという音楽制作ソフトを立ち上げたのだが、画面を前にして音楽を制作するにあたって必要であろう手順や、基礎知識をそっくりそのままどこか遠いところに落としてきてしまったことに気づいた。とりあえず珈琲を飲むことから始め、その音楽制作空間の居心地に満足し、いくつかのアーティストの楽曲をiTunesで流し、悪くないねと心の中で言ったままひと月半が過ぎた。

そして思った。まずは土からだな と。

すなわち、音源制作における土とは言わずもがな電源であり、もっと言えば電圧のことである。この部屋に200Vを引かずしてレコーディングするなんて、水耕栽培で作られた味も香りも2流のパクチーを作ってるのと同じことだと偏った物の考え方に拍車をかけ、思い立ってジモティーを使って近くの電気工事士の資格を持っている人を探し電話し要件を伝えた。後日50代くらいの中肉中背のおじさんが約束の時間より少し早くやってきた。おじさんは3ピンと3口を間違って持ってきた。日本のコンセントはアース線を通してないとこがほとんどだから3ピンは意味がないと言った。そんなことはわかっていたが、形状的に音楽機器の電源ケーブルの先が3ピンになってるものが多いのでダミーではあるが僕はコンセントの差し込み口として3ピンにしたかったのである。そもそも2口を3口にしたいだけなら工事なんかせず優秀な電源タップを購入するのが僕が思う一般的な感覚であり、そんな工事頼む一般人は果たしているのかと思ったのだが、電気工事士にはその感覚よりも日本の一般家庭には3ピンのコンセントは必要ないという感覚の方が上回るのだろうか?いや考えれば2ピンへの変換プラグを着けて対処することの方が一般的でもあること(僕もこれまでそうしてきた)から確かに僕の感覚に非がない訳でもない。しかしながら僕は電話で一文字も違わず3ピンに変えたいと言った。悶々とした心の中をスイスにし結局1階のスタジオにつけてある3ピンのコンセント口を外して2階と付け替えてもらったのだが、そのことで工事箇所が2箇所ということになりそれだけで倍の料金取られるという納得しかねるが納得しないと先に進めないおじさんとの関係性になった。そこからおじさんはそれならアースとらないと勿体無いということに夢中になってしまいアースの取り方について熱弁を奮われた。確かにノイズが減る可能性が増えることと地球にとっても人体にとっても良いということに魅力は感じつつも少し面倒だなと思っていた矢先、我が家の裏の土の中からアースを取るための導線が生々しく壁をつたい全く使っていない外のコンセントボックスに刺さっているの発見してしまった。そしてこれを伸ばせばアースが取れるということがわかったので後で見積もりだけ出して欲しいと言ってなんとかおじさんのアース熱を取り除くことが出来た。そして本題の200Vを引けるかを調べてもらった。結果この家のブレーカーには200Vはきてることがわかった。がブレーカーの場所からスタジオ部屋までそこそこの距離がありおじさんはその作業を渋った(おじさんは腰が悪そうだった)。そして僕にステップアップトランス(昇圧機)をひたすら勧めた。音に関するダウントランスでのいい話は小耳に挟んだことはあったが100Vを200Vにするというイメージが僕にはその昇圧機の箱の中で小さいおっさん100人が必死で自転車を漕ぎ1Vづつ捻出している姿しか浮かばず、その日の小さいおっさんの個々の体調によってかなり電圧の供給が不安定になる気がしてならないのと、またその電気工事士のおじさんに対してほんのり不信感と言うか頼り甲斐にかける何かを感じてしまっており、とりあえずどっちにしろ工事のパターンと昇圧機購入のパターンの見積もりだけ全部出して連絡くださいと言ってお別れした。

後日、見積もりが出てやはり昇圧機を強く推してくるもんで、一旦予算の関係上アースは保留にした。

そして昨日、Amazon(おじさんには悪いが)から小さいおっさん100人入りのこいつが届いた。

そして今日、東の小さな畑にパクチーの種を蒔いた。


そろそろ何かと種蒔くにはいい季節になってきた。Logic入門読みながら寝るとします。







gigadylan 


先日、"STAR BUCK" (謎の邦題"人生ブラボー!")をAmazon primeで観た。簡潔にいうと個人の善意の行為が直接関係のない人たちの誤解を招くような行為であったとして、世間に激しく非難されたとしても正直にあれれば当事者同士は必ず分かり合えるということをコメディータッチで描いた映画だと僕は捉えた。見終えた後とても良い気持ちになる映画であった。その2日後、こちら側の勝手な偶然なのだが、深谷から籠原へ向かう17号線沿いのCAINZ HOME籠原店の敷地内にSTARBUCKS COFFEEがオープンした。丁度ワイヤープランツを植えたい箇所があり、CAINZ HOMEにも行く理由があった。


1997年に神戸から東京に出てきた当時、僕は来日2年目のSTARBUCKS COFFEEを甚くお洒落に感じていた田舎者の一人であった。入る時は必要以上に気取ったりもしていたと思われる。多くの場合埋まっていて極稀にしか座れないソファーに極たまに座れて砂糖をたっぷり入れたスターバックス・ラテのグランデを飲みながら歌詞を書いたりしてみたりもした。しかしながら根本であるスターバックスのコーヒーの味が口に合わなかったことと、全体的にラインナップがお菓子っぽかったこと、僕には値段が高かったことからその敷居を跨げなくなった。(U.Sツアーの際はWiFiスポットとして重宝させてもらったがやはり味に関しては同じ印象のままサイズだけが大きかったと記憶している。)

そういった20歳前後の甘い経験を経てこだわりのあるコーヒーを出す喫茶店に行く必要がない時は決まってドトールに行くようになった。家のコーヒーも最終的にドトールに落ち着いているし、先日、NEWDAYSのコーヒーがコンビニの中では一番好きだなと思ったら、ドトールの豆を使っていることを知ったりと、おそらくドトールの豆には僕の舌に丁度良い何かが入っているのかもしれない。急なドトール好きアピールをして申し訳なかったが、ならば何故そんなSTARBACKSの敷居を今回跨ぐことになった?ということを説明しなければならない、結論から言うと甘いカフェ・モカが無性に飲みたくなってしまったからだ。ある時期から砂糖断ち(全く摂らない訳ではない)のようなことを始め、コーヒーもブラックしか飲まなくなりスイーツも出されない限りほぼ食べないようになっていた。が去年だったか、一昨年だったか急激なポリフェノールブーム(世間的にもそこそこそうだが)が我が身に訪れ、カカオ含有量多めのチョコを摂り始めてから、徐々にポリフェノールと共に糖分をも欲するようになってきてしまい、この日は特に我慢出来ないくらい甘くカカオ的な何かが関わったドリンクを口にしたかったのである。そこに舞い込んだ地元にSTARBUCKSがオープンしたと情報が追い風となり数年ぶりに僕をSTARBUCKSに導き敷居を跨がせたのである。

そして数年ぶりのSTARBUCKSではカフェ・モカは予想を上回る甘さで提供され、トキロックが頼んだカモミールティーのソイ・ラテは人を困惑させるには十分な不可思議さを兼ね備えたままの味で提供された。当初、互いに図書館で借りたばかりの借りたての本を読んでいたのだがオープンしたての土曜の昼過ぎということで慌ただしく(ただほとんどお客さんがテイクアウトで席は常に所々空いていた。)落ち着いて本を読むには不十分だったことから、僕はこの喧騒の中、声を張らず会話出来るスキルを身に着ける練習をすることに切り替えないかとトキロックに提案した。トキロックは笑いながらその事に賛同した。主には上に書いてあるようなお互いにとってのSTARBUCKSとはどういった場所かということや、カモミールティーを豆乳ラテにした事によって生じたであろう不可思議な味のちょっとした分析めいたことであったり、壁に飾られている絵が熊谷の伝統的な染色技法を用いた"熊谷染"であることについてであったり、テラスでくつろいでいるお客さんの連れたパグとトキロックが似てる似てないで若手のカップルめいた小競り合いトークであったり、その他細かい取り留めのない会話を一定の距離を保ちながら伝え合った。僕の声は通らないことで定評があるので、幾度か聞き返されたが、かなり意識して相手の耳がキャッチしやすい周波数を出すようにした。

何にせよ、小田舎にSTARBUCKSが出来たことで二人とも少なからずはしゃいでいたことは確かである。

トキロックが自ら写真を撮ることは滅多にないのだが、この日勝手に写真を撮り始めた

カフェ・モカが写ってないのは残念だが、その出来事は僕にとっては感慨深く、それだけでも充分に満たされる良き一日であった。


gigadylan

去年から家で何か出来る仕事はないかと伊勢崎にあるギターのパーツを作っている会社の委託内職をしている。

その会社の製品はブリッジやらサドルやらトレモロやらシンプルそうに見えるものから複雑そうなものまであらゆるパーツが全部手作業でキメ細く作られていた。僕が使ったこともないようなチューニングが狂わないことに命を掛けてるといっても過言でもないブリッジの工程はそこまでやるのかと面食らうほどの作りであった。

てっきり今やほぼほぼ機械である程度のところまで組み付けられていると思っていた僕は深く感銘を受け、それらを自分が組み付けるのかと思うと一時的に胸が高まった。そしてそれはやってみると難しいというよりも、やはり細かい工程が多く、思っていたより慣れてきても時間がかかる作業であった。

時給にすると平成も終わりかけているのに昭和の香りがするくらいであるが、トキロックも僕も家で具体的な何かやれることがあった方がいいという点に置いてと、モノ作りの真髄を体感出来る点に置いてはとても良かったなと思っている。またそこで働いてる人達が漂わす空気が僕は好きである。

しかしながら、徐々に仕入れと納品の移動時間や実際の作業時間に費やす時間が惜しく感じるようになってしまったので今月いっぱいで辞めさせてもらうことにした。その感情は僕が自分の音楽を作り始めようとしている証拠でもある。モノ作りに置いて大事なことは時間をそのことに対して惜しみなく使いたいと思えることでなければいけない。


いやはやどうしたものか、今回はALETTAという最近懇意にさせてもらっている野菜の話に辿り着いた経緯を書こうと思っただけなのであるが、上記のような経緯の奥の経緯を書かなければその経緯に偽りがあるのでは思ってしまう自分に異常性を感じ、今し方、画面の前で脳がフリーズした。とは言え書いたからと言って犯罪になる訳ではあるまい、気にせずキーボードを打ち進めてしまおう。(この文もまた無駄である。)


本題に入らせてもらうとその仕入れ納品の関係で週に一度、伊勢崎方面に車を走らせる機会ができ、ある時354号線沿いにkaraka~zeというJAが地場野菜やらパン、調味料を販売する小さい道の駅のようなお店を見つけた。そこで出会ったのがALETTAである。ブロッコリーとケールの掛け合わせとあるが、そのフォルムは(ケールにあまり馴染みのない僕は茎の一部以外、まさに葉の部分がケールなのだろうと調べもせず思っている)ブロッコリーの本来であらば主の部分はかなり影を潜め、ケールだろう箇所が大半を占めているように僕の目には映った。おそらくそれはケールの方がオシャレ感が強く、栄養素も高いという裏付けの下、そのようになったのではないのかとALETTA売り場の前で物思いに耽った日が懐かしく思えくらい今では何と何の掛け合わせという過程よりもALETTAはALETTAでしかないと噛み締め味わえるようになってきている。適度な歯ごたえと独特の苦味と程よく物足りない甘みにどうか人々が虜になっていくことを僕は望んでいるが、ニューベジタブル戦国時代、そう簡単ではないのかもしれない。僕はALETTAファンの一人としてこのブログを読んでしまった暁にはどうか一度ご賞味願いたい。(売れてなさそうだから助けてあげてという意味ではない、単純に良い野菜なので奨めてみているだけである。もしかしたら、全国的に大流行りしていて食べたことなかったのが僕らくらいであったら恥ずかしい、、、。)


写真の右後ろからひょこっと顔を出しているのはただのブロッコリーである。


gigadylan

自我に重きを置いた行動を少しばかりとり始めたことから行動の制限を促すいくつかの出来事に遭遇することとなった。これでも長考の末の一手であったのだが、更なる長考を守護霊的な何かが僕に忠告している気がしてならない。

  "今はまだ駒を進める時ではない"

今年は本厄である為、去年に引き続き乗り気ではなかったが、ここ数年の得体の知れない身の回りの災いごとに、もはや神頼みもやむ終えないという訳で年初めに厄祓いをしてもらった。去年と同じ若い宮司さんであったのだが、時期がズレたこともありマンツーマンでのご祈祷となった。そういった場においては些細なことが全て笑いのツボを刺激する故、祈祷中はずっと下唇の内側を噛むことで対処した。祈祷後はかなりフランクに話しかけられ「儀賀さんって去年も来られましたよね、珍しい苗字なんで覚えています。」という流れから当然出身を聞かれ、「僕は神戸なんですけど、祖先は三重の方みたいです。」「へえ、そうなんですか。僕、ずっと伊勢神宮で研修していたんですよ。」「そうだったんですかあ、僕も一昨年、お詣りに行きましたよ。」、、、、「今日もうご祈祷とか誰も来なさそうですよね?良かったら今から呑みに行きません?」と言えるような雰囲気で今年の厄は祓われた訳であったのだが、去年も祓われてこれかと思ってしまうくらい転機に訪れるとされてる災厄

がドアを蹴破って入ってきており、今年もまたノックされてるなと感じる出来事が早くも起きており、まあ全て厄年だからということで苦虫を舌で転がしつつも駒を一つ二つは進めれるように注意深く、まろやかな一手を捻り出すのがしっかりと置くべき場所に方位を定めお札を置いている僕の定めなのだろう。

と、ここまで書いておきながら耳を澄ますと行動の先に弊害や障害が生じるのは至って健全なことであり、何もせず、何も起こらないように努めた時間に慣れすぎてしまっただけではないか?という内なる声が聞こえなくもない。


そんなこんなではあるが久々にライブ告知を。



とは、まだいく訳がないか、、、、、。



gigadylan



最近は彼女の音ばかり聴いている。

ピアノの旋律の音色に加え、彼女の息遣いや、ペダルや床を踏む音、鍵盤が擦れる音、そこにあった空気の音全てをそっくりそのままくり貫いたかのような音に僕は虜になってしまった。それは僕が最近聴いた他のピアノアルバムにはないものであった。



少しばかり振り返ると

昨年の始めは音楽を聴けなかった。純粋な拒否反応として触れれなかった部分と今は触れてはいけないという理性を施した部分が入り乱れ結果的に触れなかった。不思議なもので、お店で流れている音楽であるはずのものも僕にはただの音として通過していっていた。

ある時期からトキロックの治療も兼ねアンビエントミュージック的なものが何か心身に平穏をもたらすのではと聴き始めた。心を落ち着かせると謳ったスピリチュアル系の音楽も流したりもしたが、それらのほとんどが僕やトキロックの耳には不快に響き平穏を妨げた。色々流した挙句、毎朝、Lullatoneの"Plays Pajama Pop Pour Vous"を流しながら朝食を食べ、夜はBrian Enoの"Ambient 1: Music for Airports"かたまに"Ambient 2: The Plateaux of Mirror"を流しながら寝る(トキロックは寝る時は無音を好んでいたので、大体はトキロックが寝た後、秘めやかに流していた。)というサイクルに収まった。"Ambient 1"は僕が生まれた1978年に発表されたEnoのアンビエントとしての処女作だった。具体的ではない何かに縋り付きたくなるくらい疲弊してしまった時は、そういったことに具体的でない親近感や意味を感じることで平穏を手に入れようとした。それは置いといても誰もが認めるように"Ambient 1"は素晴らしい作品である。いつの間にか眠りにつけていたという点に置いては特に。


昨年は自発的に波風を立ててしまうような行動(音楽に触れるということも含め)は控えに控える努力をし続けていたが、たまにネジが弛み僕自身がおかしくなることもあった。

何故、YouTubeがその時期に僕に薦めてきたかのはわからないが、僕はその動画をクリックしてしまったことは確かでその動画を観て興奮したことも確かである。

FujiRockでのパフォーマンスも生配信で観たのだがトキロックと二人して泣かされてしまった。

何かトラブルがあったのか、単なる気分の揺れなのか、客の反応が気に食わないのか、とにかくボーカルの彼女に何らかの怒りがあり、それが生々しく溢れ出てる姿があまりに美しかった。

そして人間がそうあれる世界を無性に愛おしく思えた。


おそらくこれを読んだ人はもっと音楽って気楽なものじゃないのと思うかもしれない。僕もそう思ってるし、今は気楽に触れれるようになってきている。

ただ僕らは(主にトキロックであるが)特に昨年は普通だと思っていたことが普通でなくなっていた。当たり前に出来てたことが当たり前でなくなっていた。起きること、食べること、眠ること、それらの行為を日常としてすることが難しくなっていたし、お風呂に入ることや人に会うということはさらにハードルの高い行為となっていた。僕自身も物心ついてから初めて布団とトイレしか必要としない1日を幾日か経験した。それは考えようによってはとても幸せな時間だった。いつも何かしなければと洗脳されてしまったかのように生きてきてしまったし、社会も何かをしないといけないように作られてきてしまっただけだという気付きを得ることが出来た。話が少し逸れたが、とにかくただ生きるということさえ難しいことになってしまった時、自分の大事なものを強い意志で閉じ込めて置く時間を持つことも必要であるのかもしれない。これは誰にでも当てはまるような結論ではないが、少なくともその時間を持つことによって僕とトキロックには今がある。


gigadylan


先の年末年始、実家に長めに帰った。認知症になった父と意思疎通が取れる最後の正月である気がしたからだ。予想に反することなく症状は進んでいた。仮面夫婦を公言していた二人はずっと別室で寝ていたが介護を期に同じ部屋で寝るようになった。(夜中になると父の幻覚やらトイレやらでまともに寝れてないが、、、) 僕は同じベッドで抱き合って寝ることを勧めたが、母は断固拒否した。昭和のモデルライフに抗うことなく買った2階建マイホームの2階はただ4部屋が平家に乗っかってるだけの状態となっていた。

数学の教師であった父が引き算を出来なくなったと母から聞いた時、この人は人生を懸け身をもって僕らを笑かそうと、とっておきのボケを披露したと思った。もちろん僕は心の中で「何でやねん」とツッコンんだ。6月に帰った時、父は日に日に色んなことが出来なく、わからなくなっていく自分に冗談で「もうボケてもうとるから」と笑いながらも戸惑っていた。そんな父に僕は”人生をどう終えたいか”と率直に聞いた。父は「この先、迷惑かけると思うけど、のんびりさせてくれ。あとはお前らの好きにしてくれ」と言った。そこには長男であるお前がちゃんと面倒みてくれという意味合いも強くあった。父は直接僕には言わないが母には僕に神戸に戻って来て欲しがっていた。抗っても良くなることはないことを痛感していく中で、なんとかしようとする母と妹の思いとは裏腹に諦めてしまっていた。もともと自分が無駄だと感じたことをするのがとても嫌いな人だった。

僕は父の部屋を主に数日かけて実家を片付けていた。父には趣味という趣味がなかった、親友と言える友達も僕が知る限りいないように見えた。定年まで教師として勤め上げ、借金もなく恐らく不倫も出来ず、人にほとんど迷惑をかけることなく日常に波風を立てない無難をこよなく愛せる人だったと僕は捉えているが、実のところ父のことをほとんど知らないというか必要以上に興味を持ったことがなかった。ただこの人のような人生は送らないと思春期の頃は強く思った。そしてそれは今も変わらないが、思春期の頃あった薄っすらとした嫌悪感は跡形もなくなっていた。

父に残して置きたいモノ、要るモノはあるかと聞いたら、「何も要らない、どこかからお金が出てきたらお前にやるわ」とまだこんな冗談も言えるんだぜという顔で答えた。片付けながら、父は残したいモノではなく捨てるのが面倒だった多くのモノに囲まれて生活していたことが垣間見れた。多くのものは僕が子供の頃、目にしていたものがそのまま、もしくは使えなくなったままの状態で保管でも保存でもなく至る所にただ在った。僕はそのほとんどをゴミとして分別していった。

綺麗にファイルされた古い写真アルバムと勤めてた学校関連の人達の連絡先(お葬式の時もしかした必要かも)、いくつかの記念硬貨。そして一昨年書いていた父の日記だけ、綺麗に整理して閉まった。

その日記の始まりは"ひょんなことから日記を書くことになってしまった。"だった。

その日記は10日足らずで、"もう書きたくない" と書いて終わっていた。その日記を読んだ後は

少しばかり身体が固まり涙が出たが、父にとって自分が認知症になったことはひょんなことであったんだと思うと笑ってしまった。そして僕がバンドを出来なくなってしまっていることもまた、ひょんなことからなんだなと思えた。

レビー小体型認知症の父には幻覚が見えていた。本人は”これ病気のやつやな”とうっすらまだわかりながらも気持ち悪いことに変わりはなく、The理系街道を逸れることなくここまできたもので、不思議なことを受け入れる能力が0に等しく、その不思議すぎるであろうその状態に狼狽え、「これは考えたらあかんやつやな」と自分に言い聞かせながらも不快感を訴えていた。これを毎日一緒にいる母に訴え続けたら母の今に支障がで過ぎることは間違いなかったし、すでに夜中に起こされることで支障は出ていた。

母にこれは専門の人たちに任せるべきだと僕は介護付老人ホーム(グループホーム)への入居させることを勧め、年始早々二つばかり電話して見学に行った。その一つは偶然にもかつてのバンド仲間が立派な立場に就き働いていて、これは運命的なやつか!?と違う方向にテンションが上がってしまったが、他にも色々見て、基本的に母が通いやすく、父の年金で賄え、父にとって(今となってはこちら側の主観でしかないが)合ってるのでは思えるところを前提に母と近くに住んでる妹に後のことは任せた。

父とは違い、"好き嫌い、こうありたい、こうあるべき"がある母の最期はなるべくその意向に沿ってあげたいと思い、葬式のやり方や納骨する場所など大まかなことをこの機会に確認した。その中で母が指定した骨壷は元々紅茶葉が入っていた小さな綺麗な陶器の壺であった。それは父と自分の分、色違いで二つあった。こんなお茶目に納骨堂に並ぶ気があるなら、何故もっと仲良く出来なかったんだと思ったりもしたが、数学教師と音楽教師、ないものに惹かれあったが、きっとあって欲しいものが少な過ぎたのだろう。




今朝、母から電話があった。「父さんが話すると言ってるから代わるわ」と父に代わった。

最初、「今日は近江マラソンか?」と聞かれたので「そうかもしれんけど、僕は走らんで」

と答えた。「そうかあ、元気しとんのか?」 「元気にやってるよ、父さんはどうや?」

「元気は元気やで、この機械が難しいてなんやわからんけどな、、、。まあ元気が一番ええな、元気がええわ。     また帰ってきてくれな、、、。       ほなまた。」


問題はいくらでも作れるし世間によって作られたりもする、解くことに苦しむよりも解かないことを選ぶとそれは問題ではなくただの事柄となる。そしてその事柄に触れる時、僕(人々)は出来る限り元気であった方がいい と 今の時点では思っている。


gigadylan













ここのところ自分だけが訳分かる絵みたいな模様、模様みたいな絵をアプリでずっと書いている。

画材道具も一切なく手も服も汚れず、誰に対してなのかわからないがほんのり罪悪感を覚えながらも、かつて"かっぱえびせん"がそうであったように止められない。

いや、"かっぱえびせん"を食べる行為の方が手が汚れる分、僕が絵を書く行為よりも手重である。

そう考えるとますます罪深い。




音楽もまた同様にこれからは楽器ではなく楽器のようなもので容易に奏でられ鳴らすことが出来るようにきっとこの先ずんずんなっていくだろう。そのことに僕は異様にワクワクせざるを得ない。

芸術が前か後ろか上か下かわからないがとにかく進んだ(駒が動いた)と感じる時、必ず過去の美意識への冒涜が含まれていると僕は歴史からざっと汲み取り、強くそのように認識している。

とすれば、僕は僕の過去の美意識に対して冒涜を試みる準備をしなければならない。

自分が芸術に敬意を払う側の人間であるとすればの話であるが。


gigadylan



Seesaaブログに不満があった訳ではないが、mothercoatの公式webをAmebaowndさんで作らせて貰った関係で、Amebaさんでまとめた方がいいのではと確信はないが、素人感覚で移らせて貰った。

こっちの方で、過去の記事を見ると行間やら何やらが予想はしていたが微妙に崩れており、記事によっては只でさえ汲み取りにくい意図をさらに不可解に表示されているものもあり、気が向いたら少しづつ過去も修正していければと引越し直後には思った訳ではあるが、過去を整理するよりは未来を散乱させる方にやはり好奇心が向くもので、気の向くままではあるが綴っていきますのでお付き合い願いたい。 そして時にコメントであるとかSNSならではな感じのリアクションを頂けると嬉しく思います。 

ほくろの毛を抜くべきか抜かないべきかそこそこ真剣に悩み中。

ずっと伸び続けるなら生涯かけて伸ばしてみたいのが本音である。