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3/25(木)はUHNELLYSキムくんに声をかけてもらって渋谷HOMEと札幌SOUND CRUEの共同企画に出させてもらって来ました。

札幌SOUND CRUEはmothercoatが札幌ワンマンをやらせてもらった箱でスタッフの皆さんとも親しくさせてもらってました。

写真はキムくんと出会った時からなんだか波長が合う感じのUHNELLYSの美ドラマーmidiちゃんと。普段の穏やかな彼らとはガラリと違うクールなのに火傷する程熱い、そして何より問答無用に体を動かされるリズムと頭を働かされるリリック。二人にして最強な彼らと一緒にやれる時はいつもライヴが終わった後もとても楽しくてありがたいなと思います。

そんな彼らと最新のmothercoat、それから札幌の気鋭の2バンド喃語とplopのライヴが無料で見られる動画アーカイブが4/1まで閲覧可能になってます。

最初のmothercoatとUHNELLYSの2バンドは渋谷HOMEの配信チームによるもので、生で見る良さももちろんありますが、配信による色付けというか盛り?(笑)がこんなにも出来るんだなぁというか、自分たちがなんだかとっても素敵なもののように見せてもらえてるようで、こんな時代でどんどんライヴハウスの戦場も遷移していってるなというのをまざまざと感じます。

これまでももちろん外音の良し悪しはお客さんとアーティスト両方にとってライヴハウスにおける重要な要素であったし、これからは外音とはまた異なる配信用のミックス音、加えて映像センスもアーティストだったらそこに信頼おける箱に出たいなと思うようになっていくし、お客さんもその差に気が付いている事でしょう。さらにアーティストにとっては何せ観客は一気に世界中なのですから。

※言わずもがな、配信とは別次元で現場で愛され続ける箱も存在し続けるでしょう。

渋谷HOMEで終演後、UHNELLYSや一部お客さん、配信チームと映像観ながらワイワイ突っ込んでいた時間がとても楽しくて、その中で配信チームの考えられない程のストイックさやこだわり、チームワークの素晴らしさなどに触れる事が出来て、彼らの仕事が正当に評価されていくように自分たちももっともっと良いライヴをしたいなと思えました。

ちなみに、今現在のmothercoatとUHNELLYSの音楽性を反映して映像はかなり違ってます。どちらかと言うと静のmothercoatに対してUHNELLYSの方はアクロバティックなカメラワークも飛び出す躍動感溢れる仕上がり。そんな違いも通して見ていただけると楽しめますよ。

そんなわけで、無料配信ではありますが、映像は間違いなく配信チームの芸術作品です。時短要請、人数制限でただでさえ厳しい営業状況の中でこれだけのものを提供している彼らを応援する意味でも是非映像を見ていただいて「おぉ〜」と思ったら投げ銭をしてもらえたら嬉しく思います。大袈裟ではなく、そのワンクリックが彼らの大きなモチベーションになるでしょうし、新しい文化を創生していく糧となるでしょう。

とまあそんな固い?話でなく、最近のマザコは一体どんな事やってんのかな、トキロックはどんだけ元気になったのかな、という感じでチラ見でも見ていただければ嬉しく思います。

アーカイブへのリンク(2021/4/1まで)

https://bit.ly/3tVEb6X 

トキロック

昨年末にFBで名前とプロフィール写真も日本人でロンドン在住の方から友達申請が来て軽くプロフィールを確認して承認したのだが、その方から大晦日にかなり長いメッセージが急に届いた。

その文は翻訳機で日本語にされたような文であった。

まずその方の半生が綴られたあとに、

私は真のクリスチャンであるということ。

私は今、末期癌で病院にいて余命が2ヶ月しかなくこのメッセージも病室から書いているということ。

2012年に事故で亡くした夫の相続財産が620万ドルトルコの非居住口座にあるということ。

その620万ドルを私の最期の願いとして少なくとも60%を慈善団体への寄付とより少ない特権のために使用するようにして欲しいと、そして残りの40%はあなたが費やしてもいいということ。

そして最後にあなたがこの願いを受け入れ返信をくれたら私の今現在の病院での写真とその受け渡し方法を教えますという旨が書かれていた。

ああ、これは明らかに怪しく何かの詐欺のやつだとすぐにブロックしようとしたのだが、その文が醸し出す切迫感に、

これが万が一本当だったとしたら、、、という思いがよぎった。

というのも明確な死が目前に迫った人の心理状態は計り知れず、もしかすると闘病の中で精神疾患を患って何らかの妄想や幻聴からくる行動であったりする可能性も0ではなく、またそうではなくてもその方の善意や願いをあまりにも残酷なカタチで拒否してしまうことになるのではないかと、ブロックはせずそのまま放置していたら

翌日、

私のメッセージをご理解いただければ幸いです。

という短いメッセージが届いた。

半日迷った挙句

〇〇様

初めまして、

突然のメッセージに困惑し、お返事遅くなりました。

ご自身が大変な状況である中、あなたの勇気ある行動に敬意を示します。

しかしながら、このような大事な取引をするには

私はあまりに〇〇さんのことを知らなさ過ぎます。

ですので、限りある時間の中でのことではありますが、どなたか迅速にあなたの願いを理解し対応出来る別の方に出会えることを私は望みます。

私にはあなたの願いが現実的に達成されることを祈ることしか出来ません。どうかあなたが安らかに眠れます様に。

と返信した。

数時間後。

病床の写真と共にまたかなりの長文で私の精神はあなたが私のような良い心を持つ良い人だということを知っているので、、、、

どうか私の最期の願いを受け入れて欲しいという旨とその方のgmailのアドレスが書かれていた。

僕自身はここに書かれていることが本当であれ、その方の願いに応えることは出来ないことだけははっきりしていた。

私に願いを託されるより、直接寄付される方が620万ドル全て寄付できるのでそうされた方がいいと思います。

といくつかの寄付先のリンクを貼って返信した。

この後も再度切実なお願いのメッセージが届いたが、これ以上僕に出来ることはなく、

返信はしなかった。

もうすぐ2か月。彼女は安らかに眠れたであろうか。

彼女の願いは誰かに受け入れられたであろうか。

もしくは詐欺だったとしては僕じゃない誰かで成功したであろうか。

どちらにせよ、

自分には信じきる力も騙される力もなかった


昨日、"すばらしき世界"という映画を観た。

前々から感じていたことだが、自分は適当に生きれてるなと実感すると共に世の中がより良くなればと陰ながら思いながらも、その自分の適当さ(例えばコンビニでチョコレートやコーヒーはじめ、あらゆるものを買う時、これらを作ってる人達は豊かに暮らせるだけ対価を貰えているだろうかということとちゃんと向き合ったりはしていない)が会ったこともない多くの人を生き辛くさせてるんだろうなということも実感としてあったりして今日は少ししんどかった。


gigadylan

2021年。食べ終わった食器はそのままにしておくシステムを採用してみた。

何故か、食器はすぐ片づけた方が良いと思って生きてきたのだが、食後は十中八九のんびりしたいもので、すぐ片づけないといけない理由がこのコロナ渦で夫婦二人しかいない空間の中では見当たらないことに気づいてしまったのである。


この事により特に夕食後は二人してよりまったりと穏やかな時間を過ごせるようになった。

何故そんなことにこれまで気づかずにいたのだと自分を罵倒したくなるくらい画期的なこのシステムが導入されたことで入浴は食前の方が食後のリラックスタイムを経ての眠気にスムーズに対応出来ることが判明。入浴は食前となった。

また居間と寝室を当然のように分けていたのだが、冬場、寝る前に布団を温める時間と眠気が発動してから布団まで行く距離の事を考えると居間に布団を敷いてしまった方がスムーズかつエコではないかということで期間限定でそうすることにした。

そのことによりソファーでの寝落ちから布団への移動時間は大幅に短縮され

そのタイミングでの消灯、消暖房も以前に比べ容易になった。

唯一、風呂を食前にしたことで歯磨きのタイミングだけが定まっておらず、流れに身を委ねると夜は磨かずの朝一磨きとなるのだが、

寝る前に磨いて欲しいと歯茎が訴えているのはまったり時間中もびんびんに感じていているもので、面倒だと思いながらも暫定的に眠気が来る前に磨くことを良しとするが、磨けなくても後悔はしないシステムを採用している。

そんな一見堕落への道みたいな生活をしているが、以外に部屋は荒廃していかないもので決め事ではなく、片付けないと次の食事にありつけなくなったら自ずとどちらかが片付けるし、汚れが気になったら掃除するし

洗濯物が溜まったら(トキロックが) 洗濯するし、ゴミが溜まったら捨てるし、二人して居心地の良さの一定の基準はちゃんとあってそれを下回りそうになると気持ちが自ずとそっちに向かうということが今回の研究結果でわかった。

また二人して他者が介入する際は割と張り切るというデータもあり、気軽に来客を楽しめる世情になった際は定期的に友達等をお招き出来れば、より自分たちの居心地基準を保ちやすくなるのでは推測している。

何にせよかつての教えや染みついてしまった観念を見直し、

体の声に耳を傾け、出来る限り精神に負荷をかけない生活をし続けると

どうなっていくか?

また、何もしてない時間の肯定を何かすべきことに囲まれた場合どう完成させていくか?

最近はこのようなことばかり考えている。


gigadylan

昨年の京都のライブを終えて神戸にある実家に帰っていた。

京都の日は文字にする気にもなれないくらいの良日となったので

そのままそっとしまっておこうと思う。


年末年始は絵に描き尽くされたようなオフを勤しんだ。

オフにしないと友人に会いたくなったり、活動的になってしまう懸念があったので、

限りなく実家で起きて食べてぼけっとして食べて母がやって欲しいことをやって食べて

テレビ見て風呂入って寝るという日々を送ることで少しでも感染予防の足しになればと

オフの上にオフを重ね続けた。

父の死に纏わるあれこれを終えたあとの疲れや寂しさがどっと押し寄せて弱ってしまわないかと心配していた母は意外に元気だった。遠くに暮らしている僕らが帰ってくることはやはり嬉しいように見受けられる。犬と二人きりだと話すことがないのか、話したいことを取り留めなく思い出した順に話されるので、出来る限り自分の意見を述べないように聞くことを心がける。それでも反射的に自分の意見を述べてしまうこともあり、その場合はプラレールとNゲージの線路を繋げようとするくらい噛み合わないので話は100%脱線し、決まって母は

「私の育て方が間違ってたのかねえ。」という終着点へ向かって話を走らせようとする。

母からすると僕はよくわからない宗教の教祖様みたいという認識らしい。

最低限の衣食住だけはお金と切り離したところで保たれる世の中であるべきだと思うことは衣食住をお金で成り立たせてきてしまった人たちには理想であって現実味を沸かすことが

困難なのであろう。そんなこと言ってる僕自身も実際には難しいシチュエーションの方が多いのであるから。

そんな年末年始のことを2月の終わりに書いている自分はどうかしてるのかもしれない、

が書いている。

"中断も力なり"と言えるような生涯であれればといろんな物事に触れる中で

最近(特にこのコロナ渦の中で)は思ったりしている。

と言ったわけで、

2021年、明けましておめでとうございました。

今年も何卒よろしくお願いします。

昨日、やけに暖かかったので無性に意気揚々としたわけだが、

今日は朝から文字起こしすると"ゴォーゴォ〜"となる風が吹き荒れている、、、。


gigadylan

2021/04/03(土)

北堀江club vijon80名限定名のスタンディング+ケロックコンボ配信ライブ

bradshaw pre.

【タイトル未定というか考えてない】

[act] bradshaw / mothercoat / nayuta / camellia

[dj] サカグチマナブ

OPEN/START 18:00/18:30

①入場チケット¥3,400 別途Drink代¥600 80名限定名のスタンディングライブ(TIGET)

https://tiget.net/events/122413

(3/7 20:00予約開始)

②ケロックコンボ配信チケット-ツイキャスプレミアム配信チケット-¥2,000 (ツイキャス) https://twitcasting.tv/clubvijon/shopcart/57138

会場販売:無

(問)北堀江club vijon 06-6539-7411

info@vijon.jp

〒550-0014 大阪府大阪市西区北堀江1-22 マインズ北堀江B1

<ライブにお越しの方へ>

※80名限定名のスタンディングライブになっております。入場チケットは基本取り置きなし

TIGETと言うサイトでまとめさせて頂きます。

https://tiget.net/

※大阪府から発表された「ライブハウスにおける感染拡大予防に関わる業種別暫定ガイドライン(令和2年5月)」に沿って運営いたします。

※お客様はマスクの着用を必須とします。

※ご入場時お並びになられる際、1m以上の距離を保って頂きます。

※ご入場時の検温をいたします。平熱ではない場合、ご入場をお断りいたします。

※大阪府のコロナ追跡システムのQRコードスマホで読み取ってご登録頂きます

今年はコロナで大変だったねえ、と来年になったらコロナ渦から何らかのカタチで抜け出せるような心持ちでいた秋前。僕も含めみんな自分の立場や環境の中での自分の都合があり、

その都合を他人の目や声(他人の都合)を気にしながらも優先しようとするのはとても自然な行為であるのだが、その自然な行為に警笛を鳴らし続けるかのようにコロナウイルスは広がっているのか、検査してなかっただけなのか、感染者数は増え続けているというニュースを毎日のように目にする。

そんな中、僕らはライブをしに京都に行き、そのまま神戸の実家に帰省しようとしている。

少し前まではいくつか大阪で友達の忘年会に顔出そうとも思っていたが、母はテレビニュースの情報を総動員しライブも本当は止めて欲しいし、忘年会は絶対行かないで欲しいと言うので、、、。が帰ってこないでくれとは言わない。これが母の都合である。

当然ながら何もせず家にいるのがコロナ対策としては100点であるし、僕らは現状それを出来る環境にあるのだけれど、僕らがそうしようと思はないは何故か?

直接的な脅威にさらされてないからである。情報と想像からもたらされる脅威くらいでは

自分は自分の都合(その中には人への思いやりも入っているつもり)をやはり優先させようとする人間なんだなということを物語っている。


自分はれっきとした都合のいい人間です。


社会や他人に物申したくなる時は必ず自分の胸に手を当ててから だな。


という訳で明日は京都nanoでライブやります。

The Namelessさんの計らいでnanoが真っ白になり、その特別なnanoで僕らも演奏します。

時短営業の関係でオープンスタート早まりました。その分早く終わります。

皆さんの都合の中にある思いや迷いを大切に、都合を付け合わせ楽しい夜になればいいなと心から思っています。

何にせよ今日はメリークリスマス!!!!



「White,Tonight」

-2020.12.26 (土)@京都nano/京都-

■open/start17:30/18:00

 adv/door ¥2500/¥2000(+1drink¥500)

■act mothercoat/The Nameless/浮かむ瀬

僕らは18:55演奏開始予定。

*投げ銭制ライブ配信も同時併行!

□配信URL:https://www.youtube.com/c/livehousenanosince2004

□投げ銭送金先:

STORES→https://livehousenano.stores.jp

Paypalme→https://www.paypal.me/nanosince2004

*その他方法(pringアプリ内送金、銀行振込)→http://livehouse-nano.com/streaming.html

チケット予約はticket@mothercoat.comまで



最近は晩御飯を食べながらAmazonプライム・ビデオで映画を良く観る。明確に観たいものがあるわけじゃないが、何となくその日の気分に合わせて選んで観てるのだが、途中で寝てしまったり、つまらなくて途中で観るのやめたり、観たけど記憶に残ってなかったりするものの方が多いのだけど(どんな作品も一生懸命作ってるのに申し訳ない)、たまに気分にバチっと合ってたり、ただただ素晴らしい映画に出会えたりもするのでやめられない。

あまり邦画な気分になることは少ないのだけれど、タイトルが気になって観た

”生きてるだけで、愛。" 


開始1分くらいでトキロックに「この女優さんの顔、ギガの好みでしょ?」と言われ

若い頃は顔の好みというのがわかりやすくあったように思うが、正直今はどんな顔にも愛嬌があることに気づいてしまってからはありとあらゆる顔が好ましく、明確にこの趣里さんの顔だけが自分の好みであるとは言い難いなと思ったものの映画を観ている最中にそんな好みの変化における壮大な話を持ち込むのは芳しくないなと思ったので「そうだね。」と答えた後に「俺はよぉ、お前のパグみたいな顔も結構好みだよ」と簡潔に付け加えた。(最近、二人の間で互いに俺、お前で呼び合うのが流行っている)

そんなことはどうでもいいのだが、実際にトキロックが解離性障害と鬱病を患っていた数年はこの映画に近い状態というかもっと大変だったのだが、二人してその時期を「大変だったなあ」と振り返れてる今が本当にその頃の日々を思うと夢のようである。ある意味、夢が叶ったのである。

夢が叶った今、僕自身はあまり多くを望まなくなった。豊かで贅沢な社会の中で暮らしていると”生きてるだけで、、、”とはなかなか思いづらいけれど、目の前に灯るほのかな灯りを消さないように、消えたらそっとつけれるくらいの欲望に沿って生きていくのが自分の身の丈に合ってる気がしている。


きっと僕は無理してきた。無理して何かをやり遂げることは嫌いではない、無理しながらも何かを成し遂げたり何かを守ったりすることはやって出来ないことではないし、そうすることで達成感や他人からの称賛を得れたりするので素晴らしい生き方であることは間違いないし僕もこれから無理して何かをやり遂げに向かうこともあるかもしれない。だけど、それは素晴らしい生き方の一つであって、全ての人に求めるべき生き方ではない。日本だけの問題ではないが日本の自殺率の高さは”生きてるだけでいい”と思ってはいけないような空気が至る所で漂ってる以上は相談窓口を多く設けたくらいではなかなか減らないのではとも僕は感じている。




生きていくって本当にそんなに難しく大変なことにしなければいけないのだろうか?


GD

ずっと自分の作った曲さえもちゃんと歌ってこなかった。

ちゃんとというのは自分がこう歌いたいというのがあるのに自分の声帯や発声に対して

無頓着であったということなのだが、何となくちゃんと歌ったり、歌を上手く歌うという行為に対して嫌悪まではいかないが、かっこ悪く思っている自分がいたこともあり、その無頓着さが自分の味になっていると過信しそれでいいと思っていた。

しかしながら今年、数年ライブ活動をしてなかったことや人と会って話す機会が急激に減っていたこともあってか、声を出すのが以前よりとにかくしんどく億劫に感じていて、これは今後の人生を楽しむ時の足枷となる可能性を秘めていると切実に思ったことから"一度、人に教えを乞うてみたらどうだろうか?"という心の声がそこそこ良い声で体内に響き渡ったのが数ヶ月前。

そこからたまにその類の教室を検索したり、Youtubeでボイトレ動画サーフィンをしたりしながらもなかなか勇気が出なかったのだが、何とか先月、酔った勢いで体験レッスンに申込むことに成功。数日後、恐る恐るボイストレーニング教室の門を叩くことになった訳だが、

ドキドキのレッスン初日はまず"TOUCH W"を顔を赤らめなが歌う



という羞恥プレイ後、現時点での僕の声帯分析と発声の問題点を先生がノートに書き出し、複式呼吸のチェック、音域のチェックをし、そこから簡単なトレーニングをした。

僕より10歳くらい若い先生は一言で言うとボイトレ界のさかなクンのような方で、まず

慣れるまで笑いを堪えなければいけない側面が前面に出ていて、ボイトレよりも笑いを堪えることへの集中力が必要となる。先生は今のところ声帯研究者的な発言が多く、とにかく出てる声に対して今、声帯がどういった状態になっているということを絵や言葉で教えてくれる。せっかちな僕は声帯の仕組みはおいといて、ではどうトレーニングしていけばいいかを知りたくなるのを抑えて先生の話に耳を傾ける。先生のトーン高めでソフトな独特な話し方は実は先生自身意図的やっているそうで、理由を聞くと。どうしても低くエッジの効いた声だと

人を威圧したり、命令したりするのには向いているが人によっては素直に受け止めれず反発を招きやすいらしく、先生はこの話し方の方が指導しやすいとのことで、ただデメリットとして生徒になめられやすいと真剣な顔で言っていたのがツボに入って唇を噛み締めていたことは内緒である。

それはさておき、今月から本格的に月2で通い始めることにしたのだが、とにかく基礎を全く無視して、むしろ基礎を無視してるからこそ面白い音楽を作れるんだという若気の至り(今でも少しはその思いは残っている)をこの歳まで継続してきた煽りはとてつもなく大きく全てのトレーニングにおいて悪戦苦闘している。先生は決してネガティブな発言をしない。(おそらく意図的な指導方として) 良い声が出た時は、大袈裟なくらいに「んーいい声〜」と後押ししてくれるのだが、まだ変な照れが残っているのか、二人の空気感を俯瞰して笑ってしまいそうになっている。おそらくそれは自分の悪い癖でそれを吹っ切りその異様な光景に没入出来てからが本当のトレーニングの始りだなと思いながら本レッスン初日を終えて帰ってきた。


今年はコロナのせいで、、、。と コロナのお陰で、、、が僕の場合はありがたいことに

バランスよく生活に配置され、そのお陰の部分で過去を振り返れたり、目の前の豊かさを改めて感じたりしている日々の中でハングリー精神やがむしゃら感は今は皆無に近いけれど、また一歩踏み出すにあたって素直に人から教わり学ぶということを今はやれそうな気がして、それも一つの成長かなと、トキロックに「今はうるさい」と言われながらタングトリルをやったりしている。



GD

月曜日

市の健康診断に行く。血を抜かれたら異様に疲れた。

子供の頃、どれほどのチクッと感だったかは忘れたが現在の採血時のチクッと感と言えば

看護師さんの「チクッとしますね〜」を大幅に下回っていて、むしろ「チクッとしますね〜」

と言わなければ、こちらとしてももう少しリラックスして採血を楽しめるのに「チクッとしますね〜」と言われるからそのチクッとするんだなに対して必要以上の恐怖心を投入することになっている気がした。

近くのカフェで黒毛和牛のハンバーガーとバジルレタスコッペサンドとツナレタスコッペサンドを食べたら眠気が襲ってきて、公園の前に車を停めて昼寝をすることに。

御地蔵さんのような顔して眠るトキロックと公園のイチョウが舞い散る景色を見てたら

先日アマゾンプライムで観た”しあわせの絵具 愛を描く人 モード ルイス"のワンシーンを思い出したりして。

「私は多くを望まないから。私は目の前に鉛筆があればそれで満足なの。」

多くを望んでいないと何となく不安にならされるような環境や風潮に惑わされなければ

人は一瞬で今を満足出来るような仕組みを兼ね備えているもので僕自身は割とそうなりがちな日々を送っている。

しかしながら、そんなことで満足されては経済は回らなくなってしまう訳で僕みたいな人が今の日本政府が描く豊かな国のビジョンの足を引っ張ってるという感覚もあり悩ましいところである。


トキロックは仕事に行き、ひとり高崎線に乗って渋谷に向かう、気持ち良過ぎて昼寝の続きを。渋谷に着いたことは気づいてはいたが、眠りに心地良さには勝てずJRさんに悪いなと思いつつも横浜経由で渋谷に。

夜はWWWでGenius PJ'sの20周年企画を。

全身全霊のステージ。自分にはないエネルギーのスコール。

ただただそのエネルギーを浴びに浴びて帰路につく。

ここでも久しぶりの面々に会えたりして、楽しくて飲み過ぎ帰りの電車では少しクラついた。

そんな月曜日であった。



火曜日は午前中は整体に行った。背骨をいじられると眠くなる、そこに太陽の温もりが加わればもちろん昼寝をすることとなる。
トキロックは日月で疲れが溜まったのか、洗濯と炊事の時以外はずっと寝ている。渾身の昼飯トンポーロは驚きに美味しくてもう何もやりたくなくなったが昨晩頂いたエネルギーのお陰でなんとか制作中の新曲の続きに入ることが出来る。トキロックはトンポーロに体力を使い果たし再び床につかれる。流行りの表現を用いらせてもらうともはや禰󠄀豆子状態である。
新曲の全貌が見えてきらたところで禰󠄀豆子を起こし、晩御飯を作って欲しい旨を伝える。

全貌が見えてきたことに気を良くしてワインを飲みその全貌をそこそこの音量で流す。人によってはもの凄いカッコいいと感じる曲なのではないか首を上下にゆっくり振りながら3回聴いた後、熱めの風呂に箱根のお湯と書かれた箱根のお湯にはならない入浴剤を入れて入いる。湯冷めしないように大雑把に注意しながらパジャマに着替えパジャマの上にフリースを来て晩御飯を頂く。Youtubeのあなたへのおすすめを従順かつ素直に幾つか視聴しながらそのままソファでウトウトする。トキロックの「布団、行くよ」の声を聞き流し、今、寝たい場所で寝るということがどれだけ贅沢なことかを噛み締めながら「あーー うーーー 後で行くから、、、」と言ってソファで陥ちる。

夜中に目が覚めテレビを消してエアコン消してトイレ行って、"歯磨きしないと"と思いながら

”明日の朝でいいかと”布団にもぐる。エアコンでは得られないぬくもりに包まれ羊を一匹たりとも登場させることなく眠りについた。

そんな火曜日であった。


GD





IIOTのこの曲。曲もMVも最高。


ライブでも1曲目にやってたけど最高。


IIOTはエリーニョのバンドのように見えてイシカワのバンドであるように見えたり、オギノのバンドのようにも見えたり、ケン君(ライブ中はドラミングも勿論素晴らしいのであるが、阿部寛みたいな顔になっているのが僕とトキロックのツボであった)のバンドのように見えて、それぞれの心地良い体重が乗っかっててほのかに羨ましく微笑ましいライブであった。


あと、

昨日はダンサーのエイサクさんと出会えたこと。


もう釘付けでした。


僕らがもう少し今のカタチで成長出来たらいつかコラボさせて貰いたい。


マキちゃんから素敵な写真が。ありがたい。
251のお昼、照明暗めだったけど251と言えばこの感じという懐かしさも。
この歳になると夫婦でバンドや音楽やってる友達も増えてきたので夫婦バンドばかり集めて素敵なアンビエントミュージックをみんなで奏でながら、もしくは流しながらひたすら妻が他のバンドの夫を褒め続けるというイベントをやってみたくもなったりしたが、観たい人がいるかという疑問を払拭出来そうにないので自分内でボツにするべきであろう。

久しぶりに会えた人たちとの会話はとても楽しくずっと話聞いていたい。

人それぞれの人生に耳を傾ける。全て"イイね!"を押したくなるほどみんな頑張っていたり

何かを求めていたり、目指していたり、今を乗り切っていたりしている。

それにつけて自分の今からは何も出てこなくて、これはもうひどくて、音楽の話にしても、生活の話にしても歯切れが悪く、自分の言葉には中身がなく簡単に言えば空っぽなのである。それでいて辛かった時期からのギャップでそうなっているのか、今このコロナ渦下においても異様に幸を感じているもんで、もしやこの状態は人生のテーマの終着点に来てしまったのではという危機感を覚えると共に物を作る上では非常に困ったりもしている。 




何せ、昨日が楽しかったのでそれで十分である。


皆さん、尽くありがとうごさいました。


GD











来週の日曜日のお昼に下北沢CLUB251で古くからの友人でもあり、ずっと気になる人でもあるエリーニョの新しいバンドのIIOTの初ライブにして初企画にmothercoatで出演します。僕らがバンドを始めた頃の下北沢日曜日のお昼と言えば夜のブッキングに出るためのオーディションライブがあってその中でも251は1回落っこちて2回目で何とかかんとか受かったというようなほろ苦く甘酸っぱい思い出がある場所でもある。

18年経った今年数年休止してたmothercoatをトキロックと2人でやり始め、初心はすっかり忘れてしまいましたがこのコロナ禍下で僕らもライブハウスも世間に試されているような広い意味で正にオーディションライブと言えないこともなく大袈裟に言えば人類の試行錯誤の縮図でもあるライブハウスにある人にとっては正解であり、ある人にとっては間違いになりうる状況の中ではありますが、どうか一緒に最善を導き出せるよう友人の皆さん盛り上げに来てくれたら嬉しいです。

個人的な見解ではあの頃のより、エリーニョも僕らもライブハウスも今の方が素晴らしい空間と音楽を提供出来る気がしています。ダンサーの遠山結子さん、Eisaku Otaさんものパフォーマンスもとても興味深くんとても楽しみである。

なんとなく世情に引っ張られた堅苦しい書き方になったが、今年東京ラストライブなので出来れば足を運んで欲しいというのが何よりの本音であります。宜しくお願いしますー!

▲東京今年ラスト▽
下北沢日曜のお昼。集合願います!(人数制限あり)
■11/29(sun)@下北沢CLUB251
●OP12:00/ST12:30
●ADV.¥3,000+1ドリンク
ACT: IIOT / mothercoat
Performance: Yuko Tohyama / Eisaku
お取置きはticket@mothercoat.comまで宜しくお願いします。


大阪、東京ともに素敵な夜になった。生身の人に会えた喜びを文字にしようと

スターバックスに来てかれこれ3時間。

5行目間近でキーボードを打つ手が止まっては消すを繰り返している。生の喜びを自分内鮮度が日増しに落ちていってる状況で文字化したいという思いだけで、カフェモカで血糖値を上げ書き上げようとすることの困難さをまたしても5行目で思い知らされている。

よって6行目で諦めようと思う。

そう言えばトキロックも前のブログでそんなことを書いてたな。


(スマートフォンで見たら行の概念、崩壊することわかってなかった、、、。)

諦めたら気が楽になったので今最も諦めない人のことを少し。

「諦めたらそこで試合終了ですよ」に胸を打たれた世代はトランプ氏の諦めない姿勢をどう捉えているのだろうか。個人的にはバイデンさんの勝利を快く思っているが、トランプ氏の姿勢にはぐっとくるものがある。僕らは潔さを自他に求めながら常に往生際の悪さに惹かれ続けている。あらゆるヒット作品には往生際の悪さが盛り込まれており、鬼滅の刃とて往生際の悪さがなければ物語が始まらないわけで、トランプ氏の政策や品格は置いといて姿勢

は尊重すべきであろうと僕あたりの傍観者は思うわけである。

とりわけ自分は日本において政権が変わったことで自分の生き方や暮らしに影響を及ぼしたことはほぼないに等しく、ともすれば影響を受けずにもしくは受けてることに気づかず暮らしていくというか、そんなコロコロ変わるようなものに左右されるような人生設計するなんて馬鹿げていて、例えば急に消費税が50%になりました。であるとか年金は貰えなくなりました。となってもあっそうですか。となれる生活を目指したいものです。

とは言えどんな政権になろうとも戦争だけは回避出来ている上での話ではあるのだが。



話を唐突に変えるが、

最近"QUIZ"という曲をライブで演っている。

この曲のバスドラは予期せぬ出来事を表現している。思いもよらないところにランダムにもの凄い影響力で入ってくるがそれでも人間が保てる日常のうねりのリズムの中で必死に喰らいついていく様を表現した曲である。僕らはあらゆることに問題提議ができ問題ばかり増やし続けているようにも思える。そのほとんどが実のところ地球にとって大したことでなかったとしたらそれは問題ではなくただの個々の欲望の主張であり、その類の問題は全て解かずして溶かしてしまえばいいなと切に思ったりしている。故に自分の主張が溶かされてしまったところで大した問題ではないという寸法である。


二、三戯言めいた事を書き殴ったところで今夜は牛タンがヤオコーで半額だったということで焼肉に。

大体のスーパーで毎日、何かは半額になったりしていてそれでも捨てられてしまうものも沢山あると思うと、、、 豊かさとは何ぞや、、、。は置いといて(すぐ思考がそっちに行こうとする)
今はそんなことを考える時ではなく、ありがたく何も考えずビールを飲みながら牛タンを味わって食べる時である。

いただきます。

GD