発揮してしまいそうな環境に身を置いていないだけ
朝、起きて昨日のことを思い出す。
「楽しかったなあ みんな凄いなあ」 がすっかり我が家の口癖。
今日は何ができるだろう。今日は誰と会えるだろう。
何とか珈琲を淹れて、ふわふわの頭に投げかける。
僕らの暮らしは自由気ままとも言えるし、不規則とも言える。
昭和の親の教えが身についてしまったのか、人に迷惑はできる限りかけたくない
という観念のようなものは残っていて、人との約束や用事の為なら重い腰も持ち上がる。
トキボンのことは長く一緒に居てもわかってるようでよくわからない人だ。
と同時に自分のこともよくわからないというのが本音である。
我があるようで我はなくある種の不可抗力的な力で動いているとも言えなくもない。
そして不可抗力が働かない限りは二人ともずっと寝れる人でもある。
今の暮らしを率直に言って気に入っている。
鎧のように纏ってきた捉われや拘りを失った分だけ、もうすでに在ったものに気づけた。
先のことはわからない、ただいま、僕(ら)はそのようにあれてる 気がしている。
ここにいると世界は平和だなあと思う。情報だけがそれを否定する。
自分の中にも全てある。暴力性も卑猥さも虚言欲も見栄も嫉妬も、、、、、あるあるある。
人間の作りがそうなってるとしか言いようがないくらいに全部ある。
自分はただ、それらを発揮する環境にいないだけ、
発揮してしまいそうな環境に身を置いていないだけ。
ここも現実。あそこも現実。
闘う君の歌を 戦わない僕は笑えない。
ファイト!
応援はする、がそこに僕はいない。
GIGADYLAN
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