"ありがとう"と身を任せれば、浮かぶ。

母の実家が瀬戸内海に浮かぶ弓削島というところにある。しまなみ海道にはぎりぎり属しておらず、因島からフェリーに乗って数分の島である。子供の頃は事あるごとに遊びに行ったが、思春期とバンドに夢中だった20年くらいは足が遠のいていた。お爺ちゃんとお婆ちゃん、母の妹さんが亡くなってからは島に会いに行く人もおらず、何年か前の正月にお墓参りに一度行ったきりであった。誰も住んでおらず、お隣さんだったキヨちゃんに管理してもらってる家と小さな畑だけが残っている。(もしかしたら、爺ちゃんが持っていた山とかもあるのかもしれないが遺産相続の時、田舎特有の揉め事が勃発して裁判だのなんだので大変だったようで実際のところどうなってるのか僕は知らない。)

今年の盆に母が連れて行って欲しいという事で久しぶりに行く予定であったのだが、母が体調を崩し

行けず、仕切り直して大阪のライブついでに母とトキロックと弟とソラ(犬)と行くことした。今回の目的の一つに実は将来の移住の候補地としてどうかな?という思いもあった。もちろん過疎が進んで行く一方ではある島ではあるのだが、移住者も多く、気候もいいし、災害も少ない印象なので自分が描く暮らしをしていく環境としては周りの人達と人間関係さえ築ければ悪くないなと思っての事だった。

実際に行ってみると、もっとも惹かれたのは海であった。


子供の頃行っていた時はまだ因島の造船業も盛んで工業廃水も生活廃水も垂れ流しだったので、汚くて泳げないというほどではなかったが、綺麗という印象はなかった。時代の変化と人々の環境保全への意識の高まりを経て今はびっくりするくらい水が綺麗で意味もなく"ぶわさあああぁぁぁーーーーん"と飛び込みたくなる仕様になっていた。そして残暑が本暑に引けを取らないレベルだったおかげで淀みなく飛び込めたのは幸中の更なる幸いであった。今まで怖くて身を任せて海に浮かぶという事が出来なかったのだが、シチュエーションとライブをやり終えた安堵感ががっちり手を繋ぎ、万物にありがとうーーー!という思いで海に身を任せ浮かぶ事に成功した事はこの夏のすこぶる良い思い出となった。

それ他にはお墓参りや実家を軽く掃除したり、気になってた島カフェでランチ。ここの女主人は母の同窓生らしく、しまの会社をやってる方なのだが、移住の話をすると"なめたらあかんで"的なジャブトークを喰らわされ、なめてはないが久々に強い女性を前にして少々たじろいだりした。母は久々にあったにも関わらずあまり話をしていなかったので、学生時代仲悪かったのだろうかと深読みしてしまったりもした。あともう一つ気になっていたパン工房、『Kitchen313Kamiyuge』さんにも行ったのだが、オーブン故障の為生憎その日は閉まっていた、残念。


神戸に帰省すると必ず父には会いに行く。

6月に帰った時はまだ一緒に歩けて、カメラを向けると反射的にピースしていたが、

今はもう僕のことが誰なのかもわからなくなっているように見える。それは認知症の疑いを感じた数年前に抗うことを望まなかった、ある意味父の望みでもあるわけで、日に日に血の繋がりよりも目の前に現れる誰だかわからない人の温かさや冷たさが全てであり、人類皆家族になり得てると捉えれば僕の思想からすると願ったり叶ったりでもある。それでも、今の父の姿を見て涙が出てしまったりするのは、きっと"北の国から"とか見て涙を流してきてしまった自分のルーツの名残なのだろう。

これからの時代は色んな見方を味方につけて、昭和の親が描いたあるべき長男の在り方には性格上、応えられそうにはないが、応えられないなりの親孝行を模索はしようと思う。納得してもらえるかどうかはまた別の話かもしれないが何にしても、言葉にならない"ありがとう"によって互いに生かされている事だけ分かり合えれば、浮かばれることもあるだろう。というか、ありますように。


gigadylan 


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