stAr BuCk(s)

先日、"STAR BUCK" (謎の邦題"人生ブラボー!")をAmazon primeで観た。簡潔にいうと個人の善意の行為が直接関係のない人たちの誤解を招くような行為であったとして、世間に激しく非難されたとしても正直にあれれば当事者同士は必ず分かり合えるということをコメディータッチで描いた映画だと僕は捉えた。見終えた後とても良い気持ちになる映画であった。その2日後、こちら側の勝手な偶然なのだが、深谷から籠原へ向かう17号線沿いのCAINZ HOME籠原店の敷地内にSTARBUCKS COFFEEがオープンした。丁度ワイヤープランツを植えたい箇所があり、CAINZ HOMEにも行く理由があった。


1997年に神戸から東京に出てきた当時、僕は来日2年目のSTARBUCKS COFFEEを甚くお洒落に感じていた田舎者の一人であった。入る時は必要以上に気取ったりもしていたと思われる。多くの場合埋まっていて極稀にしか座れないソファーに極たまに座れて砂糖をたっぷり入れたスターバックス・ラテのグランデを飲みながら歌詞を書いたりしてみたりもした。しかしながら根本であるスターバックスのコーヒーの味が口に合わなかったことと、全体的にラインナップがお菓子っぽかったこと、僕には値段が高かったことからその敷居を跨げなくなった。(U.Sツアーの際はWiFiスポットとして重宝させてもらったがやはり味に関しては同じ印象のままサイズだけが大きかったと記憶している。)

そういった20歳前後の甘い経験を経てこだわりのあるコーヒーを出す喫茶店に行く必要がない時は決まってドトールに行くようになった。家のコーヒーも最終的にドトールに落ち着いているし、先日、NEWDAYSのコーヒーがコンビニの中では一番好きだなと思ったら、ドトールの豆を使っていることを知ったりと、おそらくドトールの豆には僕の舌に丁度良い何かが入っているのかもしれない。急なドトール好きアピールをして申し訳なかったが、ならば何故そんなSTARBACKSの敷居を今回跨ぐことになった?ということを説明しなければならない、結論から言うと甘いカフェ・モカが無性に飲みたくなってしまったからだ。ある時期から砂糖断ち(全く摂らない訳ではない)のようなことを始め、コーヒーもブラックしか飲まなくなりスイーツも出されない限りほぼ食べないようになっていた。が去年だったか、一昨年だったか急激なポリフェノールブーム(世間的にもそこそこそうだが)が我が身に訪れ、カカオ含有量多めのチョコを摂り始めてから、徐々にポリフェノールと共に糖分をも欲するようになってきてしまい、この日は特に我慢出来ないくらい甘くカカオ的な何かが関わったドリンクを口にしたかったのである。そこに舞い込んだ地元にSTARBUCKSがオープンしたと情報が追い風となり数年ぶりに僕をSTARBUCKSに導き敷居を跨がせたのである。

そして数年ぶりのSTARBUCKSではカフェ・モカは予想を上回る甘さで提供され、トキロックが頼んだカモミールティーのソイ・ラテは人を困惑させるには十分な不可思議さを兼ね備えたままの味で提供された。当初、互いに図書館で借りたばかりの借りたての本を読んでいたのだがオープンしたての土曜の昼過ぎということで慌ただしく(ただほとんどお客さんがテイクアウトで席は常に所々空いていた。)落ち着いて本を読むには不十分だったことから、僕はこの喧騒の中、声を張らず会話出来るスキルを身に着ける練習をすることに切り替えないかとトキロックに提案した。トキロックは笑いながらその事に賛同した。主には上に書いてあるようなお互いにとってのSTARBUCKSとはどういった場所かということや、カモミールティーを豆乳ラテにした事によって生じたであろう不可思議な味のちょっとした分析めいたことであったり、壁に飾られている絵が熊谷の伝統的な染色技法を用いた"熊谷染"であることについてであったり、テラスでくつろいでいるお客さんの連れたパグとトキロックが似てる似てないで若手のカップルめいた小競り合いトークであったり、その他細かい取り留めのない会話を一定の距離を保ちながら伝え合った。僕の声は通らないことで定評があるので、幾度か聞き返されたが、かなり意識して相手の耳がキャッチしやすい周波数を出すようにした。

何にせよ、小田舎にSTARBUCKSが出来たことで二人とも少なからずはしゃいでいたことは確かである。

トキロックが自ら写真を撮ることは滅多にないのだが、この日勝手に写真を撮り始めた

カフェ・モカが写ってないのは残念だが、その出来事は僕にとっては感慨深く、それだけでも充分に満たされる良き一日であった。


gigadylan

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