梅雨、明いた。

頭の中を整理しないととは思ってはいるのだが、今はこう過ごすべきだと定めれるほど確定的な未来がないのをいいことに散らかしたままにしている。


何かと問題提起しがちな世情である。

だからと言って素晴らしいことも山のようにあって、素晴らしいことから決して目や耳を逸らしてはいけない。


今もボブ・ディランの新譜を聴いているというか流しているのだけれど、

もはやディランの声さえもボブディランという楽器として聴こえるレベルである。

とにかくサウンドが温かく、ずっと流しておけるくらい素晴らしいのである。


梅雨は明けたのだろうか? 

今朝は朝日が差し込みパッと目が覚めた。

トキロックはすでに起きていて、久しぶりに二人とも朝から調子が良かったので

散歩に行くことにした。

きっかけは忘れたが、遺伝子組み替えについての話になり、そこから

陰謀説や局地的悲劇を過剰に全体的危機感に導く情報に触れた時の対応について

議論するという異例の散歩となった。

何気ないことをきっかけに思わぬ方向に進みすぎてしまい、思っていたのと違う時間を過ごすことなんて日常茶飯事である。


だからと言って落ち込むこともない。

先のことは常に予定や予測であって確定した未来は絶対的にないのだから。


夏が来なかったとしても落ち込むことはない。

素晴らしいことは海のようにある。



GD





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