混沌の中に平穏あり。

秩序を正すと秩序を乱すはある意味では同義となる。正している(保っている)様で乱している。乱している様で正している。個人がそれを判断する基準をどこに定めるか、宇宙?地球?国?地域?職場?学校?SNS?家族?恋人?友人?で無限に変動し続ける基準を前にしては常に入り乱れていることが正しい、つまり混沌に耐えうる状態を保ち続けることこそが秩序を保たれている状態であると思ってしまうのは僕だけだろうか?

"混沌の中に平穏を感じること"が出来る能力?感受性?体質?さえ身に着けることが出来れば、この世のほとんどのことは問題ではなくなる。たとえその場凌ぎで合ったとしてもその場を凌げなくてはその次の場がないのだから、その場を凌ぐっていうことは決して悪いことではないし恐らく人類は未来を想像しながらもその場を凌ぎ続けてきたからこそ今があり、明日やいつかもある気がして今を過ごせている訳である。

"混沌の中に平穏を感じること"と文字で表すと簡単な様なことに思えるが、手持ちの能力には限りがあり、多くの人が挫け、助けを必要とし宗教やスピリチュアル、心療内科やセラピーやヨガ、アルコールや煙草やドラッグ、はたまた筋トレ、マラソン 等々、、、 善悪、合法非合法に関わらず様々な補助を駆使してその場を凌がざる得なかったということをたとえ代償があった(ある)にせよ肯定出来る感性を持つべきであるし、それを持たずして秩序は保たれない。


と、日曜日の朝から新しい元号は何になるのかななんて?何になったところで自分に及ぶ影響なんてほとんどないに等しいことに対して、眉間に皺を寄せ腕組みをしながら全部を推測することは至難の業であると判断し、一文字を五候補まであげていいという秩序ある推測ゲームをしながら上記にある「ところであなたは何が言いたいのだ?」というような混沌とした限りなく論文に満たないエッセイテイストの独り言を並行して綴っていた訳だが、"萌" 、"彩"、"恵" 、"希"と女性の名前に使われそうな漢字を使うことで華やかさとかつての男社会と呼ばれたような時代のあり方との決別を暗に匂わせるものになるのではないかと絞り込んだところで後一文字はやはり、いつの時代もみんな大好き"安"にしとこうと少々投げやりではあるが、こんなことに誰に頼まれる訳でもなく当たったところでサプライズパーティーが開かれる訳でもないのにかれこれ3時間余り費やしているのだから父親譲りの無難な一文字を投入したところで推測を終えることにした。

ゲームは終えたが、ところで僕は何が言いたかった?ということが残っている。

そして思う。この世は何か言わなければ、何かしなければで溢れかえっている。

高校野球中継の解説者が、初めて見た何とも言えない選手の特徴を述べていることを筆頭に。


今日の昼も何を食べたいかさえわかっていない僕に、その何かが何かを明確にすることはセックス描写をせずに官能小説を書くことくらい難しいことである。(恐らく不可能ではない)

それでも何も食べなくてもいいとは思えないのは教育の賜物か教育の代償か生物の仕組みかわからないが、その時がくれば何でもいいから食べたいに収まり何事もなかったように次のその場を凌ぎ続ける。その何でもいいの部分を肯定、受容すべく教育を受けていれば僕らの感覚は凌ぐから、繋ぐに変わっていたかもしれない。

その場繋ぎ。

悪くないじゃないか。


その場繋ぎの合間に明確な何かを読みかけの本に栞を挟むように生きていければ。

そして今夜はスパイスカリーを作るということだけは明確に決まっている。



gigadylan




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