stART from abOUT three.

それなりに長くやってきたことを解体し、また0から始めますと言ってみたいものだが、0の状態にするにはあまりにやろうとしてきたことの残骸が多くどんなにリセットボタンを押したところでやはり3くらいから始めてみようと言うのが、かつて一緒に切磋琢磨してきた仲間達への礼儀であり自然なことだと感じている。

2017年12月23日にバンドを凍結させてから400日と幾日の時間が過ぎた。その間、音楽と音楽で繋がった人達とは距離を”置かざるを得ない、置きたい、置く、置いてみる、少し触れてみる”というこれまで体験したことのない心身のグラデーションに僕の生活は染まっていた。そういった時を経て今、僕自身に”触れたい”という心境とそれに耐えうる状況の変化が限りなくゆっくりと穏やかに近づいてきている気がしている。しかしながら後悔はなくとも過去の失敗、過ち(要因は一つではないがいくつかの引き金を引いたのは間違いなく僕であり、これらのことについては今はまだどう書けばいいのかわからない)は踏まえなければならない。それはホモ・サピエンスの宿命であり暗黙の義務である。そのことを踏まえつつも、そろりそろりと表現を始めてしまったのは、詰まるところ、少しでも人と繋がっていたい、もっと心の内にこっそり閉まって置きたいような言い回しをすれば "寂しい" ということに尽きるのかもしれない。とりわけ僕のあるのかないのか判別に困るような才能が寂しがって溢れ出てしまったのである。

といった訳で、今は寂しさが溢れ出てしまっただけの今であり、mothercoatのweb上のコンテンツではあるがmothercoatに直接的に繋がる今ではないかもしれない。ただ僕の脳裏にはいつもmothercoatで出会った人達の顔や思いや言動がまるで永住権を取得したかのように住み着いている。そしてその脳裏では僕もトキロックもよく笑いよく泣きよく怒っている。



10代の頃に味いつくせなかったセンチメンタリズムを39才で完食し、今もまだデザートを堪能出来そうな心象ではあるが、とにかく今に関して言えば私には元気はある。単純なことを回りくどく、かも複雑であるように表現出来ているのだから。そのことは興に乗ればきっと複雑なことを率直に、かも単純であるかのように、もしくは単純に表現することも不可能ではないだろうという気に僕をさせる。


おそらく僕は自分が思っている以上に元気なのだろう。



gigadylan

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