低ければ低いほど素敵。
机に座って、猫が来るのを待っている。
新しい猫の餌と新しいまたたびをジョイフル本田で買ってきたからだ。
最近のこと。書いてる途中で頓挫してること多し。
このディレイ感が今の自分のグルーヴに。
なんてカッコだけはつけることに余念のない日々です。
すっかり政治に関心がなくなっていたというか出来る限り関わりの薄い人生でありたいな
という中での衆院選。
世代特有の責務感なのかなんなのか、投票にいかないのはよくないよな的な原動力が働き、数日前から選挙関連の動画ばかり見ていた。
申し訳ないくらい、あらゆることが人ごとに感じ、人ごとであるが故、
ちゃんと選ばないとという気持ちが芽生えたりして迷いに迷ったり。
皆が政治に興味関心を持たずして暮らしていけるような、
個々の幸せというものが政治に左右されるようなものでなければいいな、
というのが、率直な今の思いである。
過去のブログを読むと面白かったりもする、その時々で言ってることもやってることも違う、そういったことを咎める人たちはおそらく縛られることで安心を得ることに慣れてしまったのだろう。
僕はと言えば循環の中で変化していくことから安心を得ることに味を占めてしまったのだろう。
思いを持ち一生懸命、国民のことを考えておられる政治家の方々のことを思うと心が傷んだりもするけど、投票率が低ければ低いほど素敵な国のような気もしなくはない。
適当なこと言ってる自覚はあるが、まだまだ適当さが足りていないという自覚もあり
今回の投票が自分の人生最後の投票になれるよう日々精進しようと思う。
GOOD BYE 選挙。
GIGADYLAN
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