我なかったので続いているが、、、。

9月5日のライブが中止になったので、時間ができた。

タイミング良く、昔、大阪ツアーの際はいつも泊めてもらっていた、吉岡星(元イベントプロモーター、現ガラス農家)の東京初個展が銀座でやっているということで、元マザコギターのフクノスケとガラス作家の彼女のチヒロちゃんと行くことになった。

前日になり、のっぴきならない事情が交錯し、急遽僕とフク、トキロックとチヒロちゃん、時時間をずらし別々に個展に行くというスタイルで予定を強行。


時間をずらさざる得なかったことで少しばかり昼に空き時間ができた。

LINEのアイコン写真から元マザコドラマーのイリマジリジュンに二人目の子供が生まれたということ察していた僕はここぞとばかりにベイビーの顔を拝みに行くのも乙だなと東京に向かう電車の中でジュンにLINEを。

唐突すぎる提案に、ジュンは躊躇いながらも、持ち前の優しさと押しに弱い性格とたまの休日が絶妙にマッチして会えることになった。

昼過ぎにジュン選りすぐりの浅草の喫茶店で待ち合わせることになり、フクと浅草へ。

1歳半の子供を抱えたジュン現る。3歳のお姉ちゃんはお昼寝に入ってしまって今回はお留守番となった。昭和の趣そのままのお店で素敵なとこだねえ と中に入ろうとするとまさかの全席喫煙可の子連れ入店不可で退店を余儀なくされる。

いくつか近くの喫茶店を巡ったがやってなかったり満席だったりで、最終的に商店街にある昼間から暗いお洒落かつ怪しいカフェバーに落ち着く。

久しぶりに会ったジュンはすっかり大人びてお父さんの貫禄がでることもなく、お爺ちゃんと少年を足して2で割ってもおじさんにはなれなかったような風貌で、変わったことと言えば眼鏡からコンタクトになっていたということくらいだろうか。

この寝顔の為なら、どんな苦労も惜しまないなと思える寝顔をチラ見しながら他愛のない話をする。勝手な僕の思いでは、またジュンがドラムを叩いてる姿をみたいなと思う。もっと遊び、子育て、仕事を誰もが心地よいバランスで出来るような社会になればいいのになと無責任に思ったりしている。ここでの会話のハイライトはジュンの妹も結婚したらしく、名字がイリマジリとがっぷり四つ張って、じりじり押し出せるくらい珍しい名字の方と結婚したという話であった。プライバシーをおもんぱかりここには書けないが、漢字も響きも素晴らしいということだけは何より伝えておきたい。



ジュンと別れフクと銀座のギャラリーへ。

しばらくしてトキロックがのっぴきならない事情をのっぴきなる方向へ誘い
チヒロちゃんと共に現る。

チヒロちゃんに写真を撮ってもらう。


今回の作品群の中からトキロックのお気に入りと僕のお気に入りを互いにプレゼンし合う。

トキロックは作者吉岡星の意図や器の用途を少々重んじ過ぎている傾向にあるように僕には感じた。僕はとにかくデザインとその器が発するエネルギーみたいなものを重んじる傾向にあり、お酒を注ぐことが主流の片口ではあったがその口の部分に人差し指をひっかけ手前側から飲むことでロックグラス、もっと言えばワイングラスとしても全然いけるということを実際に手に取りトキロックに熱弁をふるったところ、トキロックの腑を落とすことができた。



お会計と挨拶を済ませギャラリーを後にし、フクが気になっていたBONGEN COFFEEでコーヒーを買って高速道路の上の公園で4人でアーシングしたり足つぼロードを歩いたり、陽が完全に暮れるまで語らったり、濃い目の時間を過ごし家路についた。


帰ってきてなかなかのくたびれ具合であったが買ってきたグラスで何か飲みたいという一心で簡単に晩ご飯を作りトキロックお手製の梅酒を注いで二人で労を労った。

思惑以上の飲み心地にトキロックはご満悦のご様子。

その様子を横目に僕は満面のしたり顔で疲れに身を委ねそのままソファで眠りに墜ちた

そんな9月の第一日曜日であった。


思い起こすとMOTHERCOATが凍結する前の最後のアー写は星君にメンバー分のグラス作って欲しいと頼んで作ってもらったグラスであった。

左からギガディラン→トキロック→イリマジリジュン→ワダケンスケとなっている。

ジュンは今もこのグラスを持っているだろうか。

我なかったので今も続いてるとも言えるが、

今は輝いているようには思えずさてどうしたものか、、、


あっトキロックは輝いてるかも。



GIGADYLAN

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