gigadylan

mothercoatという拭い切れないようなバンドの雑巾を担当してます。

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yeS todAY

三寒四温を肌身離せず感じながら、くしゃみをし鼻水を垂らしながら朝食を食べる。

ここのところ、僕が朝食を作りトキロックを起こす、または作ってる途中に起きて来て準備に参加するということが多いのだが、たまにトキロックが調子が良さそうな時は起こされる側になりたくなり、「”ご飯もう出来てるよ、いつまで寝てるの”とほんのり苛立を含めたトーンで起こして欲しい」と懇願する朝もある。トキロックの調子は大体朝一のトイレに行って戻ってきた時の感じで大まかに感じる取ることが出来る。そして今日はその日であった。

晴れの日は太陽の動きに合わせ窓際に沿って東から南へ暖を確保しながら本を読んだりする。これと言って絶対的な予定がない日は大体そんな午前を過ごす。L92乳酸菌を昨年秋から毎朝飲み続けてきたお陰か、そもそも花粉が少ないのか慢性的な花粉症の症状が例年に比べ今年は幾分ましな気がしているが、なかなか自分が掲げたパフォーマンスを出せない時は淀みなく花粉のせいにしている。

SNSに触れたり、ブログを書いたり人に会ったりすることがまだリハビリのように感じているが、 徐々にそれが日常になっていくような気配に春を感じる。それでも暖気に誘われ焦ったように咲いて(咲かされて)しまった桜が昨日、今日で散っていく様に昨年、一昨年の自分を重ね春を待てない愚かさをその散り桜に解きたい気分である。桜にすれば"そんなの知ったことかよ"であるが、、、。 

aLEtTa

去年から家で何か出来る仕事はないかと伊勢崎にあるギターのパーツを作っている会社の委託内職をしている。その会社の製品はブリッジやらサドルやらトレモロやらシンプルそうに見えるものから複雑そうなものまであらゆるパーツが全部手作業でキメ細く作られていた。僕が使ったこともないようなチューニングが狂わないことに命を掛けてるといっても過言でもないブリッジの工程はそこまでやるのかと面食らうほどの作りであった。てっきり今やほぼほぼ機械である程度のところまで組み付けられていると思っていた僕は深く感銘を受け、それらを自分が組み付けるのかと思うと一時的に胸が高まった。そしてそれはやってみると難しいというよりも、やはり細かい工程が多く、思っていたより慣れてきても時間がかかる作業であった。時給にすると平成も終わりかけているのに昭和の香りがするくらいであるが、トキロックも僕も家で具体的な何かやれることがあった方がいいという点に置いてと、モノ作りの真髄を体感出来る点に置いてはとても良かったなと思っている。またそこで働いてる人達が漂わす空気が僕は好きである。しかしながら、徐々に仕入れと納品の移動時間や実際の作業時間に費やす時間が惜しく感じるようになってしまったので今月いっぱいで辞めさせてもらうことにした。その感情は僕が自分の音楽を作り始めようとしている証拠でもある。モノ作りに置いて大事なことは時間をそのことに対して惜しみなく使いたいと思えることでなければいけない。いやはやどうしたものか、今回はALETTAという最近懇意にさせてもらっている野菜の話に辿り着いた経緯を書こうと思っただけなのであるが、上記のような経緯の奥の経緯を書かなければその経緯に偽りがあるのでは思ってしまう自分に異常性を感じ、今し方、画面の前で脳がフリーズした。とは言え書いたからと言って犯罪になる訳ではあるまい、気にせずキーボードを打ち進めてしまおう。(この文もまた無駄である。)

it iS not Time tO advance the Piece now.

自我に重きを置いた行動を少しばかりとり始めたことから行動の制限を促すいくつかの出来事に遭遇することとなった。これでも長考の末の一手であったのだが、更なる長考を守護霊的な何かが僕に忠告している気がしてならない。  "今はまだ駒を進める時ではない"今年は本厄である為、去年に引き続き乗り気ではなかったが、ここ数年の得体の知れない身の回りの災いごとに、もはや神頼みもやむ終えないという訳で年初めに厄祓いをしてもらった。去年と同じ若い宮司さんであったのだが、時期がズレたこともありマンツーマンでのご祈祷となった。そういった場においては些細なことが全て笑いのツボを刺激する故、祈祷中はずっと下唇の内側を噛むことで対処した。祈祷後はかなりフランクに話しかけられ「儀賀さんって去年も来られましたよね、珍しい苗字なんで覚えています。」という流れから当然出身を聞かれ、「僕は神戸なんですけど、祖先は三重の方みたいです。」「へえ、そうなんですか。僕、ずっと伊勢神宮で研修していたんですよ。」「そうだったんですかあ、僕も一昨年、お詣りに行きましたよ。」、、、、「今日もうご祈祷とか誰も来なさそうですよね?良かったら今から呑みに行きません?」と言えるような雰囲気で今年の厄は祓われた訳であったのだが、去年も祓われてこれかと思ってしまうくらい転機に訪れるとされてる災厄がドアを蹴破って入ってきており、今年もまたノックされてるなと感じる出来事が早くも起きており、まあ全て厄年だからということで苦虫を舌で転がしつつも駒を一つ二つは進めれるように注意深く、まろやかな一手を捻り出すのがしっかりと置くべき場所に方位を定めお札を置いている僕の定めなのだろう。と、ここまで書いておきながら耳を澄ますと行動の先に弊害や障害が生じるのは至って健全なことであり、何もせず、何も起こらないように努めた時間に慣れすぎてしまっただけではないか?という内なる声が聞こえなくもない。

ひょんなこと から。

先の年末年始、実家に長めに帰った。認知症になった父と意思疎通が取れる最後の正月である気がしたからだ。予想に反することなく症状は進んでいた。仮面夫婦を公言していた二人はずっと別室で寝ていたが介護を期に同じ部屋で寝るようになった。(夜中になると父の幻覚やらトイレやらでまともに寝れてないが、、、) 僕は同じベッドで抱き合って寝ることを勧めたが、母は断固拒否した。昭和のモデルライフに抗うことなく買った2階建マイホームの2階はただ4部屋が平家に乗っかってるだけの状態となっていた。数学の教師であった父が引き算を出来なくなったと母から聞いた時、この人は人生を懸け身をもって僕らを笑かそうと、とっておきのボケを披露したと思った。もちろん僕は心の中で「何でやねん」とツッコンんだ。6月に帰った時、父は日に日に色んなことが出来なく、わからなくなっていく自分に冗談で「もうボケてもうとるから」と笑いながらも戸惑っていた。そんな父に僕は”人生をどう終えたいか”と率直に聞いた。父は「この先、迷惑かけると思うけど、のんびりさせてくれ。あとはお前らの好きにしてくれ」と言った。そこには長男であるお前がちゃんと面倒みてくれという意味合いも強くあった。父は直接僕には言わないが母には僕に神戸に戻って来て欲しがっていた。抗っても良くなることはないことを痛感していく中で、なんとかしようとする母と妹の思いとは裏腹に諦めてしまっていた。もともと自分が無駄だと感じたことをするのがとても嫌いな人だった。僕は父の部屋を主に数日かけて実家を片付けていた。父には趣味という趣味がなかった、親友と言える友達も僕が知る限りいないように見えた。定年まで教師として勤め上げ、借金もなく恐らく不倫も出来ず、人にほとんど迷惑をかけることなく日常に波風を立てない無難をこよなく愛せる人だったと僕は捉えているが、実のところ父のことをほとんど知らないというか必要以上に興味を持ったことがなかった。ただこの人のような人生は送らないと思春期の頃は強く思った。そしてそれは今も変わらないが、思春期の頃あった薄っすらとした嫌悪感は跡形もなくなっていた。父に残して置きたいモノ、要るモノはあるかと聞いたら、「何も要らない、どこかからお金が出てきたらお前にやるわ」とまだこんな冗談も言えるんだぜという顔で答えた。片付けながら、父は残したいモノではなく捨てるのが面倒だった多くのモノに囲まれて生活していたことが垣間見れた。多くのものは僕が子供の頃、目にしていたものがそのまま、もしくは使えなくなったままの状態で保管でも保存でもなく至る所にただ在った。僕はそのほとんどをゴミとして分別していった。綺麗にファイルされた古い写真アルバムと勤めてた学校関連の人達の連絡先(お葬式の時もしかした必要かも)、いくつかの記念硬貨。そして一昨年書いていた父の日記だけ、綺麗に整理して閉まった。その日記の始まりは"ひょんなことから日記を書くことになってしまった。"だった。その日記は10日足らずで、"もう書きたくない" と書いて終わっていた。その日記を読んだ後は少しばかり身体が固まり涙が出たが、父にとって自分が認知症になったことはひょんなことであったんだと思うと笑ってしまった。そして僕がバンドを出来なくなってしまっていることもまた、ひょんなことからなんだなと思えた。

stART from abOUT three.

それなりに長くやってきたことを解体し、また0から始めますと言ってみたいものだが、0の状態にするにはあまりにやろうとしてきたことの残骸が多くどんなにリセットボタンを押したところでやはり3くらいから始めてみようと言うのが、かつて一緒に切磋琢磨してきた仲間達への礼儀であり自然なことだと感じている。2017年12月23日にバンドを凍結させてから400日と幾日の時間が過ぎた。その間、音楽と音楽で繋がった人達とは距離を”置かざるを得ない、置きたい、置く、置いてみる、少し触れてみる”というこれまで体験したことのない心身のグラデーションに僕の生活は染まっていた。そういった時を経て今、僕自身に”触れたい”という心境とそれに耐えうる状況の変化が限りなくゆっくりと穏やかに近づいてきている気がしている。しかしながら後悔はなくとも過去の失敗、過ち(要因は一つではないがいくつかの引き金を引いたのは間違いなく僕であり、これらのことについては今はまだどう書けばいいのかわからない)は踏まえなければならない。それはホモ・サピエンスの宿命であり暗黙の義務である。そのことを踏まえつつも、そろりそろりと表現を始めてしまったのは、詰まるところ、少しでも人と繋がっていたい、もっと心の内にこっそり閉まって置きたいような言い回しをすれば "寂しい" ということに尽きるのかもしれない。とりわけ僕のあるのかないのか判別に困るような才能が寂しがって溢れ出てしまったのである。といった訳で、今は寂しさが溢れ出てしまっただけの今であり、mothercoatのweb上のコンテンツではあるがmothercoatに直接的に繋がる今ではないかもしれない。ただ僕の脳裏にはいつもmothercoatで出会った人達の顔や思いや言動がまるで永住権を取得したかのように住み着いている。そしてその脳裏では僕もトキロックもよく笑いよく泣きよく怒っている。